依頼の始まり
クロたちがデータ室を出ていくと、扉が静かに閉まり、室内にはジンとギールだけが残った。淡い光を放つホロディスプレイには、四人の情報がまだ浮かび続けている。人物ごとの経歴、行動履歴、過去の依頼記録が幾層にも重なり、無機質な光景のはずなのに、どこか生々しい気配を漂わせていた。
「どうなると思います?」
ギールが唇の端を持ち上げ、からかうように言葉を落とす。目はホロディスプレイに注がれたまま、だが声音には面白がる色が隠せなかった。
ジンは小さく息を吐き、微笑みを浮かべた。
「まず娘が苦労しそうね」
その響きは淡々としていたが、どこか確信めいている。
ギールは眉を上げ、記憶を探るように目を細めた。
「ああ、そうか。確か一番上の娘さん、マルティラの首都でギルド職員として働いていましたね。どうします?クロの正体、教えておきます?」
悪戯心をにじませながら問いかける。
ジンは首を横に振り、涼しい笑みを崩さなかった。
「話さないわよ。孫を連れて暫く滞在してくれるなら、考えなくもないけどね」
軽やかに言い捨てると、指先の操作で表示を閉じていく。その動作は決断の速さを物語っていた。
「面白がってますよね」
ギールが半ば呆れたように言うと、ジンは胸を張って堂々と答える。
「勿論。楽しみだわ、どんな反応をするのか。クロもレンも」
ギールは思わず笑みを零す。
「レンさん、さぞ驚くでしょうね」
最後に残るホロディスプレイには、ドリーム星系の地図が映し出されていた。星々の軌道が緩やかな曲線を描き、冷たい光が室内を照らす。ふたりはしばし見つめ、未来の行方に思いを馳せる。
「良い方に進めばいいんだけど……間違いなくクロがかき回すだろうな」
「そうかしら?意外と、スマートに片づけるかもよ」
互いに笑い合い、最後の光が消えると、ジンとギールはそれぞれの職務へ戻っていった。
その頃、クロたち一行は一階へと降り、カウンターに立つグレゴへと歩み寄った。広いフロアには依頼を待つハンターや職員が行き交い、ざわめきと金属音が交錯する。そんな中でも、グレゴの姿は周囲に自然と緊張を走らせる存在感を放っていた。
クロが軽く頭を下げ、落ち着いた声で告げる。
「依頼、受けます。ただ……もう少し準備させてください」
グレゴは短く頷くと、端末を確認してから言葉を返す。
「ジンから受領のデータは来ている。後は好きに動け」
淡々と告げながらも、その目はクロの背後に控える面々へと向けられる。真剣さを帯びた視線が順に注がれ、まるで一人ひとりを試すかのようだった。
「アレク」
名を呼ばれた青年が姿勢を正す。
「道は険しい。だが実力でAランクになった腕を腐らせるな。ハンターとして戻れることはないが、精進して励め」
言葉は厳しいが、その裏には過去の栄光を知る者ならではの期待が込められていた。
「はい。ありがとうございます」
アレクは深々と頭を下げ、その瞳にはかつての誇りと、新たな道を進む決意が宿っていた。
次に、アンジュへと視線が移る。
「猫背が治って、最初は誰だか分からなかったぞアンジュ。男前だし、経理もできる。整備の腕も悪くない。その力を腐らせるな。その腕でクロを助けてやれ」
「はい。頑張ります」
アンジュも素直に応じ、深く頭を垂れた。
続いてはポンセクレット。
「ポンセ。お前も腕はいい。一人で戦艦を動かせるのは、並大抵の技じゃない。存分に生かせ」
「はい。本当にすいませんでした」
謝罪を添えて頭を下げる姿に、過去の過ちを乗り越えようとする覚悟が滲む。
そして最後にタンドールへ。
「タン。お前はどこにでも溶け込める。諜報も情報収集も得意だ。オールマイティなんだ。その力を下心に使わず、クロやアレクたちを支えるために使え」
「はい。心づかい、本当にありがとうございます」
タンドールも静かに頭を下げ、その声は誠実さを帯びていた。
四人が順に応じる姿を見届け、グレゴはひとつ息を吐く。だがすぐに口を開き、最後に言い添えた。
「それから、これは俺からの願いだ。このバカに少しでも常識を叩き込んでやってくれ。毎回毎回怒鳴るのも面倒なんだ」
「それは怒鳴らなければいい話では?」
クロがあっさり返すと、場の空気が一瞬凍りついた。本人に悪気はないのだろうが、その無邪気さこそがグレゴを疲弊させている。
額に手を当て、盛大なため息を吐くグレゴ。
「こういうところだ!頼むぞ!」
言葉には諦めと切実な願いが混じっていた。
「はい!」
アレクとアンポンタンが一斉に声を張る。その真剣な返事にクロは口を尖らせ、肩をすくめた。
「みんなして酷くないですか」
その抗議めいた声に、肩に乗るクレアが小さく囁く。
「クロ様……正直、最近私もクロ様が少しずれていると感じる時がありますので」
穏やかな声だったが、迷いのない指摘だった。
「クレアもですか……」
クロは苦笑を浮かべ、視線をエルデへと向ける。
「エルデは?」
問いかけられたエルデはきょとんと目を瞬かせ、首を傾げて答えた。
「わかんないっす。クロねぇはクロねぇでいいと思うっす。けど、時々……野蛮っすよ」
悪気のない一言に、空気が一気に和らいだ。アレクもアンポンタンも堪えきれず笑みをこぼし、グレゴはまたも頭を抱える。クロは唇を尖らせつつも、どこか楽しげにその場を受け止めていた。
「では、最後にちょっと居酒屋に寄ってきます。皆さんはここで待っててください」
軽く手を振ってそう告げると、クロは一人で歩き出した。仲間たちは互いに顔を見合わせ、止めようか迷うそぶりを見せたが、結局はその背を黙って見送るしかなかった。