データ室と悪夢の星系
二階のデータ室の前で、クロが指先で静かにドアをノックした。
返ってきたのは、ジンにしては妙に間延びした、作ったような高い声だった。
『どなた~?』
「……クロですが……風邪ですか?」
『どうぞ~』
ますます疑問が膨らみつつドアを開けると、そこには――
口元を押さえて笑っているギールと、苦々しい表情を浮かべて溜息をついているジンがいた。
「……どう? 似てた?」
ギールがいたずらっぽく問いかける。
「まったく似てません。それより、グレゴさんに聞かれたら面倒ですよ」
クロの一言に、ギールの笑顔がピタリと止まり、すっと真顔になる。
「……黙っててね。ほんとに」
真剣なトーンに、クロは思わず苦笑を漏らす。そのままアレクたちと共に室内へ入ると、ジンとギールは大型ホロディスプレイの前に立ち位置を移す。
ギールはアレクたちを見やると、深く頭を下げた。
「さっきのやり取り、見てたよ。アレク、アンジェ、ポンセクレット、タンドール――君たちの行動は、僕にも責任がある。嫌われたとしてももっと注意や警告を出して、止めるべきだった。……申し訳ない」
真っ直ぐな謝罪に、アレクたちは慌てて手を振る。
「違うんだ、ギルマス。俺たちが悪かった。謝るのは、俺たちのほうだ。……本当に、申し訳ありませんでした!」
四人は揃って深々と頭を下げた。その姿にギールは少しだけ驚いた表情を浮かべ、ゆっくりと歩み寄るとアレクの肩に手を置いた。
「……厳しい道になる。だけど、俺は応援してる。……公にはあまり言えないけどな」
そう笑って、アレクの肩をポンポンと軽く叩き、座るように促す。
「さ、かけて。クロ、あとは頼んだよ」
「ええ。こっちも、思ったよりいい“拾い物”でしたから」
「クロ様、前から言ってますが言い方がダメです……」
エルデの頭に乗っていたクレアが、クロの肩へ飛び移りながら小声で注意する。
「ちょっと気をつけましょう」
その声にギールが目を細める。
「……クレアが喋ってるってことは、この四人にはもう“正体”を明かしてるってことでいいのかな?」
「はい。すでに開示済みです。もちろん、呪い付きで」
「しれっと言わないの」
ジンが軽くため息をつきながら、端末に触れて準備を始める。
「今日は、惑星での依頼の確認ね?」
「はい。ギールさんも同席してるということは、かなり重要な内容ですか?」
クロが問いかけると、ギールは少し苦笑して頷いた。
「本来なら、アレクたちに任せるつもりだった依頼なんだ。うちのチームと合同で。……ただ、あの件があってからは、さすがにそれは難しくてね」
「申し訳ありません」
アレクが静かに謝罪すると、ギールは首を振る。
「もう大丈夫。今回の件はむしろいい機会だと考えてる。だからクロに頼むことにした。うちのチームは今も海賊の入れ食いが続いていてね」
「……まだ終わってないんですか?」
クロが目を細めると、ギールは顔をしかめて首を横に振る。
「まるで津波だよ。一度引いたと思ったら、また別の方向から押し寄せてくる。しかも、軍の機能がまだ本調子じゃない。だから怪獣も犯罪者も、こっちに処理が回ってくる状態だ」
ジンが端末を操作する手を止め、横目でギールを見る。
「ギール」
しかしギールは話を止めず、少し声を落とす。
「……それに、妙なんだ。侵入してくる海賊や犯罪者の数に対して、被害報告が極端に少ない。交戦せずに引き返すケースが妙に多い。しかも、こちらの戦力が明らかに劣っているときでも、なぜか襲ってこない」
「それって……ハンターが抑止力になっているだけ、ではない?」
クロが問うと、ギールは考え込むように腕を組む。
「それならいいんだけどね……でも、本当にそうだろうか? 動きが“間合いを測ってる”ように見えるときがある。まるで、“別の意図”を抱えているかのように」
ピリ、と空気が緊張する。だがその瞬間、ジンがピシャリと声を上げた。
「ギール。その話、今回は関係ないわよ」
「ああ……失礼」
ギールが肩をすくめて微笑むと、ジンは再び端末を操作し始めた。大型ホロディスプレイに、いくつかの惑星情報と依頼概要が次々と浮かび上がる。
「それじゃあ、説明に入るわね」
ホロディスプレイに映し出されたのは、ここからかなり離れた場所に存在する、辺境の星系だった。中央の主星はくすんだ黄色。周囲の軌道をいくつかの惑星が周回し、全体的に沈んだ色調が印象的だった。
「ここは?」
クロが問いかけると、ジンが端末を操作し、中央に星系名が表示される。そこには【星系ランク:D】の文字と、その下に、やや浮いたフォントで《ドリーム》と書かれていた。
「ドリーム……なんとも夢のある名前ですね」
そう言いながらクロは少しだけ眉を上げる。まるで、その名の裏にある現実を見抜いたかのように。
すると、その隣から二重のため息が漏れた。
「皮肉よ。まったく」
そう揃って返したのは、ジンだった。その声はどこか苦々しげな表情を浮かべていた。
「この名前ね。つけたのは、ここのアホ……じゃなかった、“大大将”とか名乗ってる恥ずかしいハゲなのよ」
「ジ、ジンさん……もうちょっとだけ、言い方を……」
ギールが苦笑いでなだめようとするが、ジンは一切引かない。
「なにが“大”よ。“大”すぎて脳みそまで抜け落ちてんじゃない?」
「ジンさん。ジンさん。落ち着いて。顔が怖くなってる」
ギールがそっとフォローに入りつつ、クロの方に目線を投げる。クロは後方にいるアレクに確認を促すように視線を向けた。
「ニュースで聞きました。……ジンさんの言ってた通り、“この国を実質支配しているハゲ”で間違いないです」
「“大大将”って……他になにか良い肩書きはなかったんですか? “元帥”とか“総統”とか。……せめて“将軍”でも」
クロは首をかしげつつ、皮肉混じりの視線をディスプレイに向けた。
「元帥は別に存在しています。ですが今、その方は――行方不明です」
アレクが少し言い淀みながらも説明を補足する。
「この国の制度は、ちょっと特殊でして……“元帥の指名”がなければ、軍内の正式な肩書きが名乗れないらしいんです」
クロはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いて目を細めた。
「……それで“大大将”ですか。……間抜け極まりないですね」
その言葉に、ギールが小さく咳払いをし、ジンは表情を変えずに腕を組んだまま頷いた。クロは正面を向き直しジンたちの説明を聞く。
「ええ。しかもその肩書きが――ちゃんと法的に認められているの。……まったく、この国の最大の汚点のひとつよ」
ジンは語気を抑えながらも、吐き出すように言う。
ホロディスプレイに浮かぶドリームの文字が、淡い背景の中でひどく場違いに見えた。
「夢どころか……この星系にとっては、もはや“悪夢”よ」