シゲルの威圧
クロはそろそろ動くべきだと思い、四人に向けて微笑みを浮かべる。視線を作業場へと移し、さて――という顔つきで口を開いた。
「さて、では動きましょうか。まずは掃除ですね。作業場に行きましょうか」
「はい。社長」
返事をしたアレクは、クロよりも早く前に出て、作業場へ向かう。無駄のない動きでシャッターの開閉ボタンに手を伸ばす。
エルデも歩みを進めようとしたが、クロが軽く手を上げて制した。
「どうしたっすか、クロねぇ」
「見ていてください。面白いものが見れますよ」
にこりと笑うクロの言葉に、エルデは首を傾げつつも後ろを振り返り、アレクたちの様子を見守った。やがて、シャッターがゆっくりと持ち上がり始める。クロやエルデの立ち位置からは、まず作業場の奥の床と足元がちらりと見えた。
エルデは目を丸くして思わず声を漏らす。
「クロねぇ、あれって……」
「まあまあ、見ていてください」
クロは面白そうに微笑み、エルデも苦笑を返しながら――心のどこかで「どういう展開になるのか」と期待を抱いていた。
前方では、アレクたちが高揚した面持ちでシャッターの上がっていく先を見つめている。だが次第に、その視線が強張った。奥に立つ影の存在がはっきりしてきたからだ。
完全に開いたシャッターの向こう――そこにはシゲルが無言で佇んでいた。
頭には溶接用のバイザー、身に纏うのは油染みのついたジャンプスーツと厚手の防護エプロン。手には無骨な作業グローブ。普段なら職人気質を思わせるその姿でさえ迫力を帯びているのに、今の彼は一切の言葉なく、ただ立っているだけで異様な威圧感を放っていた。
その“いつもの姿でも恐ろしく見えるのに”――次の瞬間、さらに彼らの心臓を締めつける光景が重なった。
シゲルは何も言わず、おもむろに手元のビームカッターを展開した。
「ヒィ!」
誰かの口から震えた声が漏れ、場の空気が一気に凍りつく。バイザーの奥ではシゲルの口元が不敵に歪んでいた。
「よう、アレク。それと取り巻きども。……どうやら前に叱ってやったのに、また同じことをやったらしいな。俺はグレゴより甘くねぇのは……知ってるよなぁ」
低く響く声に、アレクの全身が一瞬で崩れ落ちる。
「申し訳ございません!!」
土下座。床に額を擦りつけるその動きは反射のように速かった。
アン、ポン、タンの三人も慌ててその後に続く。
「申し訳ございませんでした!!」
アンは額を床に押しつけたまま、拳を固く握り震えている。ポンは脂汗を流し、背中まで湿らせていた。タンは声が裏返り、情けない嗚咽を堪えるように肩を震わせていた。揃って額を床につける四人の姿に、作業場の空気は張り詰めながらも、どこか滑稽な緊張感が漂った。
シゲルはそんな彼らを見下ろし、バイザーの奥で声を殺すように笑った。クロも肩を震わせ、ついに小さく吹き出してしまう。
ただ一人、真正面から光景を眺めていたエルデは、呆れ半分のため息をつき、それでも口元にはかすかな笑みを浮かべていた。
「意地悪っすね」
小さく洩らしたエルデの声は、緊張に染まった場の中でひときわ柔らかく響いた。
シゲルはそれを合図にしたかのように、手にしていたビームカッターをオフにすると無造作に仕舞い込み、ゆっくりとバイザーを上げる。鉄の板が擦れるような音が静寂を破り、その動作だけでも空気が一段と重くなった。
そしてシゲルは、何の前触れもなくしゃがみ込み、土下座しているアレクの頭に手を置いた。その瞬間、アレクの全身がびくりと跳ねる。額を床につけたまま、肩が小刻みに震え、呼吸さえ詰まったようだった。
シゲルはその頭を軽くポンポンと叩く。まるで子どもをあやすような手つき――だが、それが逆に恐ろしい。
「全く、グレゴのやつは甘いよなぁ……。しかしな、お前、以前俺がしこたまボコった時に『もうしません』って言ってただろ? それがこのざまか」
「申し訳ないです、シゲルさん!!」
アレクの声は涙声に近く、床に響いて掠れていた。
シゲルはさらに口角を吊り上げ、わざとらしく首を傾けてみせる。
「いいよ。だけどなぁ……俺がせっかく許して、戦艦や機動兵器の設計者まで斡旋してやったのになぁ?」
その言葉に込められた圧力は、恩を売った上でなお縛り付けるような重みがあった。シゲルの口元に浮かぶニタニタとした笑みが、場にいる全員の背筋を冷たくさせる。
あまりのやり口に、クロも思わず小さく肩をすくめた。
「やり過ぎですね。お灸をすえるというより、ただのいじめです」
冷静に告げるその声音には、呆れと苦笑が半分ずつ混じっていた。
「そうっすね……止めるっす?」
エルデが半ば本気、半ば冗談めかして問いかける。
クロはしばしシゲルを見つめ、それからわずかに唇を吊り上げた。
「いえ、もう少しこのまま見ていたいです」
その答えにエルデも苦笑し、「仕方ないっす」と肩をすくめる。アレクたちの恐怖の時間は、まだ途切れる気配がなかった。
「しかもなんだ……捕まったってか……」
低く投げかけられたシゲルの問いに、アレクは顔を伏せたまま蚊の鳴くような声で答える。
「はい……」
シゲルはそこで一つ、深く息を吸い込んだ。その仕草だけで、場の空気が凍りつく。アレクの背筋は硬直し、次に来るであろう怒鳴り声に備えて身をすくめる。
――しかし。
待てど暮らせど、怒声は落ちてこない。
「……?」
不思議に思ったアレクが恐る恐る顔を上げた瞬間、視界に飛び込んできたのは必死に笑いを堪えているシゲルの顔だった。
その目元は小刻みに震え、口角は引きつり、今にも爆発しそうに歪んでいる。
アレクの真顔と視線がぶつかったその瞬間――作業場の空気は、針一本落ちても響くほどの静寂に閉ざされた。息を呑む音すら憚られるほど張り詰め――
「ガッハハハハハハハッ!」
堰を切ったように、豪快な笑い声が作業場に轟いた。腹の底から響く豪快な笑いに、場の緊張が一気に崩れる。
大きく息を吐きながら、頭に当てていた手をどかし、シゲルはようやく声を落ち着かせた。
「ふぅ……いやぁ、面白いわ」
まだ笑みを浮かべつつも、その目には確かな厳しさが残っていた。
「まあなんだ……次はねぇってことだ。クロにのされたし、正体も知ったろ。今度は真面目にやれ」
そこで一拍置き、口元をわずかに緩める。
「そうすれば……笑って過ごせる。いずれはお前たちとも笑いながら酒を酌み交わせるかもしれんしな」
その言葉は叱責であり、同時に救いでもあった。緊張の糸を切った笑いの余韻と共に、シゲルなりの“もう一度の機会”が示されたのだった。