冷静な狩人
クロは無表情のまま、淡々と問いを重ねていく。
「もう一度、確認します。――人身売買、行っていますね?」
「……はい……間違いありません……」
かすれた返答。言葉に重さはないが、否定は含まれていない。
「会社の社員は、その実態を把握していますか?」
「在宅勤務の連中は……多分、知らないと思います。直接関わってない……はず」
クロの目は微動だにしない。
「資料はどこにありますか?」
「ち、地下です。地上と下層構造の隙間に、専用の空間があって……そこに……」
「出入口は?」
「二階の奥……でも、開けることは……俺にはできない。権限がない」
言い終えた直後、沈黙が落ちる。クロは数秒、何かを測るように視線を向けた後――静かに告げた。
「……嘘ですね。まだ、ありますよね?」
「……っ……い、いや……そんな、他には……」
苦しげな否定。だが、言葉の先には怯えしかなかった。その瞬間――背中にかかる圧が、じわりと強まる。まるで氷刃が、皮膚越しに心臓へと迫ってくるような錯覚。警備員の呼吸が乱れ、目が見開かれる。口元から、かすれた声が漏れた。
だが、クロは容赦しない。むしろ、淡々と、当然のように言葉を重ねた。
「……わかりました。やはり、まだ千切り足りなかったようですね」
声に怒気はなかった。ただ、実行者としての静かな意志だけがあった。
「中途半端でしたから。今度は――綺麗に、いきますね」
その言葉とともに、クロの右手が再び伸びる。無重力にふわりと揺れる警備員の頭部。その右耳に、冷たい指先が、そっと触れた。
「まっ、待って! 話す! 本当は……ある! 別ルートが……あるんだ……!」
クロの声に、ほんのわずかな熱が宿る。だが、それは怒りでも憐れみでもなかった。静かに研がれた刃――皮肉という名の冷たい光だった。
「良かったですね。私、駆け引き……苦手なんです」
言葉は穏やかでも、突き刺さる温度だけが異質だった。
「騙されてくれて、ありがとうございます。……おかげで少しだけ、早く終わりそうです」
そして、音もなく問いが重ねられる。
「では――“もう一つの”入り口は、どこですか?」
しばしの沈黙ののち、崩れた声が落ちた。
「……警備待機所……中に通路が……ある……鍵は……ない……」
「そうですか。それは、助かります」
クロは静かに言い、続けて――何気ない口調で、異常なことを告げる。
「それで、確認なのですが――皆さんは殺しても問題ない人たち、ということでよろしいですね?」
警備員の目が、見開かれる。
「……は?」
混乱と恐怖が滲んだ声が漏れるが、クロはそれを意にも介さず続ける。
「見つかりますよね? 通路に入ったら、そちら側の誰かに。発見された時点で反抗されますよね。攻撃されますよね」
ごく淡々と、あくまで“業務的”に。
「ですから、無力化は不可避です。殺処理と非殺処理、どちらに分類するかを今、決めておきたくて」
警備員の喉がひくつく。
「殺しても、構わない相手ですよね? 反抗してくる者たちなのですから」
まるで、それが当然の工程であるかのように。クロの瞳には、迷いも怒りもなかった。そこにあったのは、ただ「判断」の色だけ。
「――殺されたくないですか?」
淡々とした問い。だが、その言葉の端にだけ、わずかに揺らぐ“選択肢”の気配が滲んだ。
「あっ、当たり前だろ! 誰が……好きで死ぬかよ!」
警備員が声を荒げる。震える口調に、痛みと恐怖がにじんでいた。
クロは一拍、無言のまま彼を見下ろす。そして――淡々と、刃のような言葉を落とした。
「……人を“売る”側の人間が、“殺されたくない”と口にするんですか?」
声音に怒りはない。ただ、乾いた軽蔑だけが漂っていた。
「命を値札に変えてきた側が――自分たちの命だけは尊いと?」
言葉の余韻が無重力空間に溶ける。
「……クズですね」
実際に刃はなかった。けれど、言葉の刃は、どんな刃物よりも冷たく、静かに、深く突き刺さる。
警備員の肩がびくりと震える。否定も言い訳もできず、ただ唇を噛み締めることしかできなかった。
クロは表情ひとつ変えずに問いを続ける。
「人は――どうやって集めたんですか?」
「そ、その……ゆ、誘拐……それに、犯罪組織から買い取ったものが……多くて……」
声は震え、目は伏せられた。それは言い訳ではなかった。ただ、事実を吐き出すしかなかった。そしてその事実は、何よりも確かな“罪”だった。
クロは一拍、静かに頷いた。
「……わかりました。もう充分です。聞きたいことは聞けました」
そして、ごく自然な口調で、異常な言葉を告げる。
「では――お掃除、しましょうか」
警備員の顔が引きつる。
「……掃除?」
「ええ」
クロは静かに微笑んだ。けれどその笑みには、一片の優しさもなかった。
「死なない程度に――全員、壊します。まずは貴方から」
「やめっ……やめてくれええええっ!!」
絶叫が響く間もなく、クロは背中に添えていた手を放し、滑らかに両腕をねじり上げた。抵抗の暇すら与えず、関節を無理な角度で固定する。
次の瞬間――ホルダーから抜いたスライムタッカーが起動する。ぷつりと音を立て、粘着性の高い拘束体が警備員の両腕に巻きつき、形を変えて瞬時に硬化した。続けて足元にも同じ処置を施し、もがく体を完全に封じ込める。
「……気絶、しましたか」
無抵抗となった相手を見下ろしながら、クロは小さく呟く。だが、その声に同情の色はなかった。
「証拠は撮り終えましたし、もう隠れる必要もありませんね」
そう言うと、クロは端末を操作し、無音で浮かんでいたドローンを呼び戻す。それを裏面の格納部に収めながら、ゆっくりと空間湾曲を解いた。
視界に――少女の姿が静かに浮かび上がる。
「……粗大ゴミと一緒に戻りましょうか」
その声音はあくまで穏やかで、どこまでも静かだった。けれど、次に続いた言葉には、迷いも猶予もなかった。
「――狩りの開始です」
それは宣言ではない。既に決定された、冷静な“未来”だった。