黒嵐の槍
「――いい加減、放せっ!!」
獣じみた咆哮と共に、ヨルハは顎を強く開いた。焦熱の光が喉奥に収束していく。刹那、漆黒の奔流が一点に向かって解き放たれる。
――至近距離からの、フレアブレス。
逃げ場のない密着状態で、ヨルハの口腔から迸ったそれは、光ではない。破壊の意思だ。鋭く射出された熱線が、オヤクムの顔面を直撃する。
ジュッ……という、肉が焼け爛れる音。金属に似た外殻が爆ぜ、ひび割れ、白煙を巻き上げながら崩壊していく。
焼けただれたオヤクムの顎が軋み、締めつけがわずかに緩んだ。
「――今ですっ!」
ヨルハは一気に風を爆発させた。圧縮されていたストームアーマーの嵐を炸裂させるように周囲へ放出、風の爆風と共にオヤクムの拘束から一気に脱出。そのまま数回転しながら後方へと滑空し、安全圏まで距離を取った。
前足で胸元を押さえながら、荒い呼吸を整える。
(ダメージは……浅くはないですが、致命傷ではありません)
ヨルハの身体が、じわじわと再生を開始していた。皮膚の裂け目がゆっくりと閉じ、焼け焦げた箇所に薄い新たな皮膚膜が形成されていく。それは明らかに生物の域を逸した再生能力だった。
――そう。彼女の肉体は、以前のようなホエールウルフと同等の肉体ではない。
バハムートの一部を受け継いだ、眷属としての肉体。完全な本体と比べれば劣るとはいえ、それでも並の再生力では到底追いつけぬ速度で、彼女はその身を癒していた。
だが。
その回復が、決して優位に繋がるとは限らないことを、彼女自身が誰よりも理解していた。
「……また、ですか」
前方――煙の向こうで、オヤクムが再び動く。
焼け焦げていたはずの顔が、みるみるうちに修復されていく。鋼のような外殻が再構成され、燃え尽きた針すらも、元通りの鋭さと本数で体表に現れていた。
その速度は――ヨルハの再生すら上回っていた。
(……今までにない、厄介な相手です)
ヨルハの視線が細められる。破壊しても破壊しても、瞬時に再生する。そしてあの針――ストームアーマーで受け止めきれなかった、あの殺意の雨。
(接近戦は危険……けれど、遠距離からでは仕留めきれない)
収束フレアブレスでは針を焼き切ることはできても、本体を“塵”に変えるには至らない。オヤクムの異形の装甲は、単なる外骨格ではない。再生を前提とした“殻”だ。崩しても、喰らわせても、必ず元に戻る。
そんな彼我の状況を天秤にかける間もなく、回転音が再び空間を満たした。
「また……!」
オヤクムが回転を開始していた。球状の姿に針を閉じ込めたまま、高速でその巨体を回し――宙域を切り裂く勢いで突進してくる。
「今度こそ……!」
ヨルハも即座に動く。咄嗟に口元へ光を収束。狙いを定め、収束フレアブレスを発射する。
直撃――炎が穿ち、鋭針が一気に蒸発する。敵の体勢が乱れる、そのわずかな隙を見逃さず、ヨルハは爪を研ぎ澄ませて突撃。
風を纏った肉体が軌道を描き、フレアを帯びた一閃が閃いた――が、
「ッ……!」
体を弾く衝突音。ヨルハの爪が、敵の肉体を捉えるはずの瞬間――オヤクムの尾がしなり、まるで予測していたかのような動きで、その斬撃をはじき返してきた。
鞭のような尾。ムカデのように分節された構造が、柔軟かつ鋭く曲がり、ヨルハの間合いを完璧に封じる。
その一撃に、ヨルハの身体が一瞬ぐらりと揺れた。
攻撃が通らない――致命打に至らない――それどころか、こちらの攻撃が読み切られている。
(決め手が……ない)
追い詰められた感覚が、じわりと胸に広がる。
(これが、私の弱点……)
バハムートの一部を継ぎ、幾多の戦場を駆け抜けてきた。無数の強敵を屠り、幾度となく死地を潜り抜けてきた――はずだった。
だが今、目の前にいるこの異形の敵には、そのすべてが通用していなかった。攻撃は弾かれ、反撃は鋭く容赦がない。超再生。迎撃機構。持久力。そして戦術適応力。
そのすべてが、ヨルハの経験と読みを上回っていた。
刻一刻と、時間が削れていく。焦燥という名の風が、内側からヨルハの“嵐”を静かに蝕み始めた――その時だった。
交戦中のバハムートから、ヨルハの意識へ直接、声が飛ぶ。
「ヨルハ、そろそろトドメだ。アレクたちの方が先に終わりそうだ」
「承知しました!!」
ヨルハは即座に応じた。その声音には、微塵の迷いもない。ただその言葉を受けた瞬間、心の奥底に“覚悟”が点火された。
そして――戦意が、爆ぜるように膨れ上がる。
(ならば、今ここで……“創る”しかない!)
己の限界を越えるしかない。目の前の怪物を討ち倒すには、常套手段では足りない。必要なのは、ただの攻撃ではなく――絶対的な“破壊”。
(バハムート様のような、“必殺”の一撃を――この手に!)
その意志が、脳髄から全身へと電撃のように走った瞬間、風が変わる。ヨルハの周囲に奔流する暴風が、かすかに色調を変え、空間を切り裂くような重い旋回を伴い始めた。
だが――その思考の隙間を狙ったかのように、敵は再び迫ってくる。
オヤクムが、四度目の、回転攻撃を開始した。
球状に丸まった肉体が、無数の鋭針を抱えたまま高速回転し、超音速の殺意の塊と化して迫る。
だが、そのすべてを前にしても、ヨルハの瞳からは、怯えの色は完全に消えていた。
「――来なさいっ!!」
叫びと同時に、口元へ漆黒の閃光が凝縮されていく。破壊の炎が渦を描き、熱が極限まで収束する。
収束フレアブレス――解放。
刹那、ヨルハの喉奥から放たれた閃熱の奔流が、一直線にオヤクムを貫いた。焼け焦げた針が爆ぜ飛び、空間に歪みが走る。
――が、その一撃の直後、ヨルハはあえて“攻め”を止めた。
反撃に転じるのではない。迎撃されるより先に、自らが動きを止め、跳躍し、後方へ飛ぶ。
距離を取ったのだ。
反転、離脱、再配置。ヨルハの身体が空間を滑るように後退し、数十メートル単位で旋回しながら空域の中心へと舞い戻る。
彼女の目は、敵ではなく“その先”を見据えていた。
(今、組み立てる……この戦場の中で。即興で。確実に勝利をもぎ取る“新たな技”を――)
その瞬間、不意に脳裏をよぎったのは、戦場とはまったく別の記憶だった。
クロがエルデに熱心に語っていた言葉。
“いかにロマンが必要か”――その中で出てきた、心を一つにして戦う超電磁の話。
荒唐無稽で、現実離れしていて、子供向けのヒーローごっこのような必殺技。
(あの時は……正直、話半分で聞いていました。現実にはできるわけがないと――)
だが、いま自分は“現実”を突破しようとしている。
目の前にいるのは、理屈や常識の通じない異形。
ならば、自分もまた、理屈や常識を超えるしかない。
(――やってみます!)
覚悟が定まった瞬間、ヨルハの身体からストームアーマーが解かれた。
風が一度静まり、彼女の姿がむき出しになる。
だが、それは無防備ではなかった。これは“始まり”だ。
「決めます!!」
明瞭に宣言したその声と同時に、風がうねり始める。
ヨルハは宇宙を駆ける。風を裂き、真空を蹴り、光を軌跡に変えながら加速していく。
オヤクムもまた反応する。再び回転を開始し、突進態勢に入る。鋭針を抱えた殺意の塊が、高速で空間を切り裂き、ヨルハへと迫っていく。
その一方で、ヨルハは動じることなく、口内にフレアを蓄えていく。
熱量と破壊力の極限――収束フレアブレス。
ただし、それは“放つ”ためではない。
――纏うためだ。
ストームアーマーは再び展開された。だが今度は、ただの防御ではない。ヨルハの疾走する顔の前を中心に、風が一方向に渦を巻く。
螺旋。回転。捩れた軌道の組み上げ。その流れは、まるで“ドリル”のように収束していく。
中心には、極限まで凝縮された黒き焔――漆黒のフレア。燃え盛るそれが芯を成し、その周囲を風の刃が回転しながら包み込む。さらに、風の刃にも黒炎が纏わりつき、暴風が漆黒の爪痕へと変貌していく。
風と炎――両方の力が融合し、回転する破壊の塊となって、ヨルハの身体全体を一つのドリルの様に纏い続ける。
それはまさに、穿つための嵐。常識ではあり得ない構造。だが、いまのヨルハにとって、それは“可能”だった。
クロが語った“ロマン”――それは、現実を超える力。その想いを、自らの中で現実へと昇華させたからこそ、この瞬間、技は真に“存在”となった。
「これが……私の必殺技だっ!!」
吼えるように叫び、ヨルハはそのまま正面から突撃する。
高速回転するオヤクム――その針の嵐へと、真正面から飛び込んだ。
衝突の瞬間、空間がねじれたような衝撃が走る。
ヨルハを包むドリル状の嵐が唸りを上げ、針を次々と砕き、削り、塵へと変えていく。
――だがそれだけでは終わらない。
オヤクムの自身の回転が、逆にその破壊を加速させていた。
防御であるはずの高速回転が、結果として“自らを削り取る歯車”へと変わっていく。
針が砕け、外殻が剥がれ、肉体が風の刃とフレアに巻き込まれ、回転の軌道に沿って“塵”となって空間へ散っていく。
オヤクムが危険を認識したのは――もはや遅すぎた。
身体は穿たれ、外も内も等しく削られていき、再生する余地すら失っていた。
内部構造が剥き出しになり、骨のような支持体が砕け、中心核が風と炎に呑まれていく。
その必殺技の閃光の軌跡は一筋の槍。
風の槍に漆黒の焔が絡みつき――それは、穿孔を宿した“黒嵐の槍”の様だった。
ヨルハは旋回の勢いを保ったまま、最後の一撃を放つように――回転を解いた。
風がほどけ、嵐が静まり、残されたのは砕けかけた異形の残骸。
その姿を見届けながら、ヨルハはゆっくりと振り返る。
静かな目で、確かな声を放つ。
「ありがとうございました……この一撃で……ほんの少し、あの背中に、指先が触れた気がします」
その言葉に嘘はなかった。ロマンは現実になり、“自分だけの力”となったのだから。
そして――その口元に、最後の光が収束する。
漆黒の光。
ヨルハの口元が静かに開き、焼き尽くすような破壊の閃熱が放たれた。
放たれたフレアブレスが、残っていたオヤクムの肉体を完全に包み込み――そして、その存在すら塵と化して、宇宙に消えていった。