嵐の装甲と異形の強敵
ヨルハはバハムートの叱責を受け、目の前の異形――オヤクムと対峙した。
次の瞬間、嵐が彼女の身体を包み込む。
「ストームアーマー――展開です」
その声と共に、空気が震えた。ヨルハの細身の肢体を取り巻く風が暴風の渦へと変わり、荒々しい防御と加速と攻撃を兼ね備えた嵐の装甲が編まれていく。
即座に突進。ヨルハは一直線にオヤクムへと距離を詰め、フレアを纏った鋭爪で胴を一閃しようと――
だが、刹那、彼女の動きがぴたりと止まる。
鋭い眼差しが針山のように尖った敵の姿を捉えた瞬間、ヨルハは跳躍し、後方へと風のように退いた。
「……その針、厄介です」
低く抑えた声に、わずかな苛立ちが滲む。睨みつける先、オヤクムは丸まり、防御と攻撃を両立させた“球状刺突体”となっていた。全身から鋭く突き出した針は、触れた瞬間に相手を貫く――まさに迎撃を前提とした殺意そのものの構え。
そして、その針山が静かに捻じれる。
オヤクムが回転した。
球体のように丸まった肉体が、次の瞬間、重力を無視した速度で回転突進してくる。
回転体当たり――超音速のローリングアサルト。
ヨルハは冷静にステップでその軌道を外す。が、すれ違った刹那――
「っ……まさか!」
風を切る異音。空間が震える。
オヤクムの身体から、爆発的に針が四方八方へと弾け飛んだ。
回避を読んだ上での罠――広域拡散射撃。すべてが仕組まれていた。
ヨルハは即座に声を発する。
「――ストームアーマー、最大展開!」
轟音と共に風が爆ぜ、嵐さらに暴風を纏いが四方へと膨れ上がる。体全域に張り巡らされた風の防壁が、迫り来る鋼の雨を次々とはじき返す。
だが――そのすべてを止めきれるほど、余裕はなかった。
一瞬だけ、嵐の密度が薄れた箇所を突き破り、数本の針がヨルハの腹部を貫いた。
「……っ!」
鋭い痛みが脳に突き上げる。彼女は息を呑み、わずかに身を屈めた。
しかし、膝は折れない。嵐は再び渦を巻き、ヨルハの身体を支えるように旋回する。
「……想像以上、ですが――」
ヨルハの目が細く鋭く細められる。
「――一度限りの攻撃ならば、対処可能」
呼吸を整えたヨルハは、即座にオヤクムの側面へと移動。反撃のタイミングを見計らう。
だが。
「っ……再生――!?」
オヤクムの体表に再び異変が走る。
砕けたはずの針が、まるで時間を巻き戻すかのように再構成され、再びその殺意を全身に漲らせていく。
ヨルハが見つめる刹那、オヤクムはまたも丸まり、迎撃体勢へと移行した。
「腹立たしいっ!」
忌々しげに唸りながら、ヨルハは距離を取る――が、それすらも見透かしたようにオヤクムが再び加速。
高速回転が始まり、地鳴りのような音が空間に広がる。
だが――今度は、ヨルハが一歩上だった。
「――舐めるなっ!!」
怒声と共に、彼女の口元に紅い光が閃く。
喉奥から迸ったのは、圧縮されたフレアの一撃。細く、鋭く、絞り込まれた熱線――収束フレアブレス。
その奔流がオヤクムの回転軌道を直撃する。
「ガチッ……ガギャアアアアッ!!」
金属音とも断末魔ともつかぬ悲鳴が響く。
直撃した針が溶解し、外殻が焼き剥がされ、内部の生体組織が赤々と剥き出しになる。
――そこへ、ヨルハが舞う。
宙を旋回しながら猛然と接近。フレアを纏った爪が風と共に閃く。
すれ違いざま、深く鋭い一閃がオヤクムの胴に走った。
空気を切り裂く音が残響を引き、時間が止まったかのような静寂が宙域に満ちる。
「ガ……ギャ……ッ!」
裂けた傷口から、黒く焼け焦げた体液が滲み、無重力空間に煙のように漂いはじめる。
再生のための肉芽すら現れる暇もなく、ヨルハの爪が刻んだ深い傷口からは、黒く焼け焦げた体液がどろりと滲み出し、無重力の宙にじわりと広がっていく。まるで毒素を孕んだ墨のように、空間を濁らせながら滞留するそれは、生命の“底”が抜けたような、不気味な虚無の匂いすら漂わせていた。
ヨルハはその異様な光景に一瞥をくれたのみで、すぐさま身を翻す。嵐を纏った身体が軌跡のように風を引き裂き、ほとんど反射のような速度で未再生のオヤクムの顔面めがけて飛び込む。今度は爪ではなく――牙だ。
その顎はまさしく猛獣。ヨルハは、奥底から剥き出しになる野生の衝動を解き放ち、肉を裂き骨を砕かんと咆哮を放ち鋭い牙を見せ、口を大きく開いた。
咬み砕く。ただそれだけを目的とした、純粋な殺意。
だが――その瞬間、オヤクムの肉体が異常な速度で再構成を始める。
崩れ落ちかけていた肉の奥から、まるで内側を食い破るように、クワガタのような巨大な顎が突き出すようにせり上がってくる。裂けた皮膚と筋肉が蠢きながら組み上がり、迎撃の構えを完了させていた。
まさに獣の本能と、機械的な再生速度の融合――それがオヤクムの異形。
ヨルハの急接近とまったく同時に、その顎が激しく打ち鳴らされる。
バギンッ!! ――乾いた衝撃音が空間を切り裂いた。
鋭く尖った節状の板が、音速で迫り――そしてヨルハの胴体を、逃れられぬ檻のように挟み込む。
「ガギギギギ……ギチギチチチ――ッ!!」
岩盤を圧し潰すような轟音。展開していたストームアーマーが瞬時に軋みを上げ、暴風で構成された風の装甲が、凄まじい圧力に一瞬で凪ぎ払われる。嵐だった風の壁が崩れ、空気そのものが押し潰されたような圧迫感がヨルハの身体を直接襲った。
体の奥――ヨルハの肋骨がきしみ、皮膚の下から鈍く、赤く、焼けるような痛みが滲み出す。
「くっ……このっ……!」
苦悶に顔を歪め、ヨルハは必死に身体を捩る。だが、顎の締め付けは容易に緩むことなく、まるで体ごと噛み砕こうとする意志すら感じさせる。
全身を覆うストームアーマーは、もはや機能というより気合で保たれていた。暴風は装甲としてではなく、精神の支柱として彼女の形をなぞるだけの“残像”となりつつある。
だが、オヤクムの責めは止まらない。
ヨルハの左方――死角から、長くしなった尾が迫る。
それはムカデの外殻を備えた鞭。風を切る甲高い唸りと共に振り抜かれ――ヨルハの顔面を打ち据える
直撃した一撃が、ヨルハの意識を激しく揺らした。
閃光のような衝撃。目の奥で何かが爆ぜ、視界が一瞬、真っ白に染まる。
肉体が反応するよりも先に、脳が揺さぶられ、感覚が霞む。三半規管が軋み、内臓が逆流するような錯覚。首筋から背骨まで貫く振動が、神経の根元を直撃していた。
そして――さらに畳み掛ける。
尾の先端。ムカデの頭部のような、禍々しく異形の突起が、ギィ……と不快な音を立てて口を開く。
粘液混じりの泡立つ音と共に、口腔から溶解液が噴き出された。
体に触れた瞬間、煙が立ち、音を立ててヨルハの体が焼ける。
「ッ……ぐ……ぅっ!」
皮膚の下で神経が焼き切れるような激痛が駆け抜け、反射的に身体が震えた。ジュッという焦げ音が彼女の耳を満たし、灼けた肉の臭いが嗅覚を突く。
さらに、その突起がガブリと顎を開き、噛みついてくる。
顔面から胸部、そして脚部に至るまで、火傷と裂傷が怒涛のように刻まれていく。それはもはや単発の痛みではなかった。連打のように押し寄せる苦痛の奔流が、神経を灼き尽くしながらヨルハの意識をすり潰そうとしてくる。刃ではない。だが、それ以上にえげつない“捕食”の一撃が、何重にも刻まれる。
ヨルハの視界が、痛みで赤く滲んだ。
だが――それでも。
その双眸は、閉じられなかった。
どこか機械的で、冷徹とも見える瞳。だが、そこには確かな意志の炎が揺れていた。
痛みの奥から立ち昇る怒り。焼け爛れ、締め付けられ、視界を奪われてもなお消えない“殺意”が、ヨルハの内部で、確かに燃えていた。