特別扱いと社長命令
総合デパートへ歩みを進めるが、流石に距離がある。三人は途中の停留所から、総合デパート前に停まるエアバスに乗り込んだ。
車体が軽い振動を伴いながら滑り出すと、大きな窓越しにコロニーの街並みが流れ始める。整然と並ぶ住居ブロック、頭上を横切る輸送ドローン、遠くには発着場へ出入りする輸送艇の影。
その風景を眺めながらも、クロの視線はふと外壁を越えた先、漆黒の宇宙へと吸い寄せられる。
(停滞……俺は進めているのか……? 確かに人とのつながりは増えてきた。仲間も、守るべきものもできた。停滞はしていない……そう思いたいが)
自らの言葉を反芻しながら胸の奥で自問自答する。
クロの肩に座るクレアが、心配そうに横顔を覗き込んでいた。小さな瞳がわずかに揺れ、その気配を感じたクロは短く息を吐き、笑顔を作る。
「大丈夫ですよ。何でもありません」
そう言って、そっと彼女の頭を撫でる。クレアはまだ不安げではあったが、尻尾を小さく揺らし受け入れる。
エアバスはやがて減速し、総合デパートの停留所に到着する。扉が開くと、冷ややかな人工空調の風が流れ込み、街の喧噪が一瞬和らぐ。
降り立ったエルデは大きく伸びをし、背筋を鳴らした。
「うーん……じっとしてるのは苦手っすね」
クロは苦笑を浮かべる。
「そんなことでは惑星までの航路に耐えられませんよ」
「そうっすね……気合いを入れ直すっす!」
拳を握り、やけに真剣な表情を作るエルデに、クロは「ほどほどに」と肩をすくめて返す。
三人は自動ドアを抜け、広々とした総合デパートの中へと足を踏み入れる。まだ開店したばかりの時間帯だが、既に多くの客が散らばっていた。朝市用の野菜や果物を買い求める主婦、出勤前に必要品を揃える労働者、子供を連れた親子連れ。ホログラム広告が明滅し、香辛料や焼き菓子の香りが漂い、空気は活気に満ちていた。
クロは端末を手に取り、通信の着信を確認する。しかし画面はまだ沈黙したまま。
「まだ連絡はありませんね。少し店内を見て回りましょうか」
「いいっすね!」
エルデは目を輝かせ、クレアも無言で頷く。
三人は歩調を合わせ、しばらくの間デパート内を散策する。ガラスケースに並ぶ最新端末を眺めたり、衣料品売り場で生地を手に取ったり、フードコーナーで焼きたてのパンの匂いに足を止めたり。三人それぞれの小さな反応が、緊張気味だった空気を少しずつ柔らかく変えていった。
やがて端末が震え、待ち望んでいた着信が表示される。
「ようやく来ましたね」
クロは小さく呟き、端末を操作して連絡を入れる。
「クロです」
『社長、アレクです。今着きましたが……どちらに向えばいいですか?』
「そうですね……」
クロは周囲を見渡し、店並みに並ぶ看板の中から一軒の洋服店に目を留めた。派手さはなく、磨き抜かれた黒檀風の木枠に品よく刻まれた文字が淡く光を返している。飾り気のない佇まいでありながら、漂う空気には確かな格と洗練が感じられた。そこには「ユアオンリー」と、控えめながらも凛とした存在感を放つ店名が掲げられていた。
「ユアオンリーに来てください」
『……は? 社長、本気ですか?』
端末の向こうから素っ頓狂な声が上がり、すぐに「大丈夫なのか?」「そんな高級店……」と心配する取り巻きの声が混じった。
しかしクロは平然と答える。
「大丈夫ですから、来てください。社長命令です」
通話の先からはまだごちゃごちゃと声が聞こえたが、「ちょっと……」とアレクが誰かを制する声が最後に残り、通信は切れた。
クロたちは先に店内へ足を踏み入れる。ドアが開くと、店内は白と金を基調とした装飾で統一され、天井には淡い光を放つクリスタル調のシャンデリア。壁沿いには整然と並べられた衣服が、スポットライトに照らされ宝石のように輝いている。中央のガラスケースには最新のドレスやスーツが展示され、かすかに香る香料が空気を満たす。
小惑星オンリーワンの店舗と同じく、メイド姿の店員たちが一斉に出迎える。制服の白と黒が整然と並ぶ光景は、外の雑踏とは別世界のようだった。
「いらっしゃいませ、お客様」
一歩前に進み出たメイドが対応に入る。
クロはその姿を見た瞬間、わずかに目を開いた。どこか見覚えのある雰囲気を感じ取ったのかもしれない。だが、気を取り直して口を開く。
「すみませんが、ここでは身だしなみも整えられますか?」
問いかけに、メイドは恭しく頭を下げて答える。
「勿論でございます、クロ様」
その言葉にクロの眉がぴくりと動く。
「……なぜ名前を? 私は名乗ってはいませんが」
メイドは慌てて姿勢を正し、深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。オーナーより厳命を受けておりまして……」
そう言うと、彼女は手元の端末を操作し、一枚のホログラムを空中に映し出す。そこには小惑星オンリーワンで行われたパレードの時にクロのドレス姿が映し出されていた。ホログラムの光の中に立つクロのドレス姿、その足元には「黒バラ姫」と銘打たれた文字。さらに、その衣装そのものがガラスケースに収められ、店内中央に展示されていた。
「オーナーより、このコロニーにおられると伺っております。もしご来店された際には、最上級のおもてなしをせよと仰せつかっております」
その言葉を合図にしたかのように、店内にいた全てのメイド服の従業員が一斉に姿勢を正し、クロに向かって頭を下げた。店内の客までもが驚き、ざわめきが広がる。
「……全く」
クロは小さくため息をつき、肩を竦める。
「申し訳ないですが、普通でお願いします」
しかし対応していたメイドは顔を上げ、静かに告げた。
「これが“普通”でございます。どうかご容赦ください」
その凛とした声音に、クロはかえって言葉を失った。横でクレアとエルデが「やれやれ」と肩を揺らし、小声で苦笑を漏らす。周囲の客たちは事情を知らぬまま注目を集め、ひそひそと囁きが広がっていく。華やかな店内で、クロ一行は完全に「特別な存在」として浮かび上がっていた。
(オンリーさん……やり過ぎですよ。ですが――今はありがたく利用させていただきます)
心中でため息をつきつつも、クロは気持ちを切り替え、軽く顎を引いた。
「なら、お願いがあります」
前置きしてから、彼は落ち着いた声で続ける。
「四人の男性が今からここに来ます。一応、来る前にスパランドで体は清めさせてありますが……衣服が、とても……この店に来るには申し訳ないほど汚れています。髪も髯も伸び放題で……場違いに見えてしまうでしょう」
控えめながらも真剣な説明に、対応していたメイドはわずかに表情を引き締め、すぐに深々と頭を下げた。
「――お任せください」
短いその一言には、職務への矜持と絶対の自信が宿っていた。
クロは頷き、さらに具体的に指示を重ねる。
「では、その四人には――下着一式、ハンター用の衣服一式、そして作業着を五着ずつ。髪を整え、髯もきちんと剃って、一人前の姿にしてください」
メイドは顔を上げ、その瞳に強い光を宿した。
「承知いたしました、クロ様。ユアオンリーの名に懸けて、必ずやご期待に応えてみせます」
その眼差しには、挑戦を受けて燃え立つ闘志がはっきりと見えた。周囲の従業員たちも姿勢を正し、一斉に視線を合わせる。クロの依頼は、もはや店全体の「誇りを賭けた仕事」となったようだった。
横で見ていたクレアは、ふっと尻尾を揺らして小さく呟く。
「……これは、なんだかすごいことになりそうですね」
エルデは目を丸くして、感心したように笑った。
「さすがクロねぇっす……。頼み方までなんか社長っぽいっすね」
クロは二人の反応を受け止めながら、改めて視線をメイドに戻す。
「よろしくお願いします」
その声は穏やかだが、確かな信頼が込められていた。