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バハムート宇宙を行く  作者: 珈琲ノミマス
惑星に巣くうもの
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更生への第一歩

 翌朝、クロたちは不法占拠されていた保管庫に到着した。


 昨日まで壁一面を覆っていた乱雑な落書きは、すっかり拭き取られて白い下地が露わになっている。入り口の戸は大きく開け放たれ、外には中から運び出されたガラクタの山――破れたソファーや埃をかぶったスピーカー、空き缶や雑誌データの束までもが雑然と積まれていた。


 保管庫の中に足を踏み入れると、鼻をつく埃っぽさはまだ残っていたが、床には箒の掃き跡が走り、角には掃除布が無造作に丸められていた。窓から差し込む朝の光が舞い残った塵を照らし、かえって“昨夜、誰かが必死に動いていた”痕跡を浮かび上がらせている。


「一部はまだ掃除が終わってませんが……上出来でしょう」


 クロは小さく頷き、視線を先に移すと、管理施設へと歩を進めた。


 受付に立つと、顔を上げた職員がクロを見るなり目を見開き、次の瞬間には弾かれたように立ち上がった。


「おお! 本当にありがとう! 君のおかげであの厄介者どもが出て行ってくれたんだ! しかも自分たちで掃除と片付けまでやるなんて……いったいどんな魔法を使ったんだい?」


 興奮気味に詰め寄る職員に、クロは軽く首を振る。


「魔法ではありません。ただ、選択肢を示しただけです」


 それだけ言って、すぐに話を切り替える。


「ところで、今までの迷惑料ですが――いくらになりますか?」


 職員は驚いたように瞬きをし、すぐに手をぶんぶん振った。


「いやいや、もう済んでるんだよ。昨日、あいつらのほうから申し出があってね。“迷惑料は100万C”と伝えたら、即座に支払ったんだ。それだけじゃない。夜通し片付けをしても終わらなかった場所については、清掃業者を手配して費用まで出してくれてね。もう振込まで確認できている」


「そうですか」


 クロは短く返しつつ、心の奥でわずかに表情を和らげた。


(昨日渡した金で酒や遊びに散財すると思っていたが……こういう使い方をしているなら、まだ立ち直る余地があると見ていいのかもしれませんね)


 職員は深々と頭を下げた。


「いやぁ、本当に助かったよ。ここ数年で一番の厄介事だったんだ。君に感謝してもしきれない」


「今までご迷惑をおかけしました。あのアレクと取り巻きたちは、私が責任を持って引き取ります。もし費用が不足するようなことがあれば、クロ宛てにご連絡ください」


 そう言って管理施設を後にする。


 背後で職員が深々と頭を下げる気配が残り、クロはその重みを背に受けながら保管庫へと向かっていった。


 外に出ると、肩に乗ったクレアが尻尾を揺らしながらも不満そうに口を尖らせた。


「クロ様のお金の使い方としては間違ってないんでしょうけど……なんだか腑に落ちません」


 クロは歩調を崩さず、淡々と返す。


「ぼやかない。どのみち彼らには給料から月々返済させるつもりでした。今回の支払いは先を見据えた行動に過ぎません。問題はありませんよ」


 クレアは納得しきれないように小さく唸ったが、やがて耳を伏せて口をつぐむ。エルデが「まあまあ」と笑って取りなす。


 朝の光に包まれた保管庫は、昨日までの荒れ果てた姿が嘘のように整えられていた。小さな変化にすぎない。だがそれは確かに“更生”へ向けた第一歩であり、クロたちもまた、その歩みを見届ける覚悟を新たにしていた。


 もう一度保管庫へ足を運ぶと、奥から布を擦る乾いた音が聞こえてきた。


「どうやら、まだ掃除を続けているようですね」


 クロがそう呟き、裏手に回る。


 そこではアレクとアンポンタンの三人が、壁に残った落書きを必死に磨き落としていた。汗で額の髪を張り付かせ、服の袖を真っ黒にしながら黙々と腕を動かす姿には、昨日までのふてくされた態度は微塵もない。やがて最後の一筆が拭い取られ、三人は揃って深く息を吐いた。


「ふむ」


 クロは小さく呟き、ゆっくりと歩み寄る。


「――やればできるじゃないですか」


「社長!」


 振り返ったアレクが声を弾ませた。その顔はもう腫れも歪みもなく、整った輪郭が戻っている。昨日までのひしゃげた印象は消え去り、若者らしい素直さが表情に宿っていた。


 だが、変わったのは彼だけではなかった。


 取り巻きの一人――アンポンタンのアンと呼ばれていた青年が、背筋を伸ばし堂々と立っていた。これまで深く猫背を丸め、常に小さく見えていた男が、背筋を正したことで思いのほか背が高く、印象が一気に変わって見える。


「……社長?」


 訝しげなアレクの声に、クロは視線を二人へと移した。


「アレクの顔はすっかり治ったようですね。そして……アン、猫背が治ると随分と背が高い。印象まで別人のようですよ」


 クロの言葉に、クレアとエルデも思わず見上げる。青年は気恥ずかしそうに頭をかき、僅かに肩をすくめた。


「自分でも驚いてます。まさか治るなんて思ってませんでした……視界が高いって、変な感じですね」


 そう言いながら、彼はしゃがんでクロに腕輪を差し出した。


「……ありがとうございました」


 クロはそれを受け取り、目を細める。


「いえ。まさか猫背まで治るとは。正直、アレクの顔の回復よりもインパクトがありましたよ」


 淡々とした言葉に、しかし微かな笑みが滲む。清掃の終わった壁よりも鮮やかな“変化”が、そこに立つ若者たちから感じられていた。


(だが……この変化が一時的なものかどうかは、これからを見なければならない)

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