食卓の説得と作業場の未来
「甘いっ!」
夜、自宅のリビングにシゲルの怒鳴り声が響いた。缶ビールを片手に、卓上をドンと叩く。
「じいちゃん、うるさいよ」
アヤコはフォークでハンバーグを切り分け、白いご飯を口に運びながらジト目を向ける。その合間にニンジンも頬張った。
「あめぇんだよ! お前、グレゴに何か弱みでも握られてんのか!」
シゲルはクロを指さし、目を光らせて叫ぶ。
クロは自覚しているからこそ反論せず、黙々とハンバーグを箸で口に運び、味噌汁をすする。
「聞いてんのか!」
「聞いてます。私も甘いとは思いますよ」
クロは箸を置き、静かにシゲルを見据えた。
「ですが、勿体ないのも事実です。だから雇いました。更生するなら――いい奴隷になりますし……」
「クロ様、ですから何度も言いますが言い方を」
クレアがすかさず突っ込む。テーブルの上で小さな体を揺らしながら、ハンバーグに添えられたニンジンやブロッコリーに悪戦苦闘している最中だ。
「……いい従業員にもなりますし」
クロは言い直し、味噌汁椀を持ち直す。
「じいちゃん、クロが決めたことなんだから受け入れなよ」
アヤコは呆れ顔でシゲルを見ながら、残りのニンジンを口に放り込んだ。
するとふと首を傾げる。
「あれ? さっきニンジンなくしたはずなんだけど……クレア?」
前足をぺろりと舐めていたクレアの体がびくりと跳ねた。
「なんでしょうか?」
つぶらな瞳でアヤコを見上げる仕草は愛らしいが、アヤコは容赦しない。
「次やったら野菜しか出さないよ」
「もうしません! ごめんなさい、アヤコお姉ちゃん!」
クレアは慌てて前足を揃え、ぺこりと頭を下げた。その様子に、食卓には小さな笑いが広がる。
シゲルは毒気を抜かれたように背を伸ばし、フォークを皿に置いた。
「で、近所の店を買ったってわけか」
「はい。掃除や片付け、それにライフラインの手続きを自分たちでやる条件を出したら、少し値引きしてもらえました」
クロは淡々と答え、ご飯をひと口運ぶ。
シゲルは納得しきれない様子で眉を寄せたが、もう話が進んでしまっている以上、これ以上は言っても仕方がない。無言で茶碗を空け、味噌汁で流し込む。
その時、ふと何かが閃いたように口を開いた。
「待てよ……お前の社員ってことになるんだよな?」
クロは箸を止めて頷く。
「扱いはそうですね。私が社長で、クレアが副社長。エルデが社長秘書ですね」
そう言ってまたハンバーグを口に運ぶ。するとシゲルの口元がにやりと歪んだ。
「なら俺は会長だ。アヤコは副会長。それでいいよな?」
「別に構いませんが……何を考えているんですか?」
怪訝そうに目を細めるクロに、シゲルは堂々と胸を張って宣言した。
「簡単だ。俺もこき使うだけだ。お前の社員は、つまり俺の下僕ってことになる」
「じいちゃん、言い方!」
アヤコが即座に突っ込むが、シゲルは意に介さず続けた。
「いいんだよ。アレクの野郎、前に痛い目を見て泣かされたくせに、まだアホな真似を繰り返してるのが悪いんだ。それに、更生させるなら俺が直々に叩き込んでやる。いやぁ、これは妙案だったな」
得意げにビールを煽り、いいことを言ったとばかりに満足げな表情を浮かべるシゲル。しかしアヤコは気乗りしない顔で首を振った。
「え~……いらないよ。邪魔になるんじゃない?」
「バカ野郎」
シゲルは一喝し、逆に説得にかかる。
「よく考えてみろ。クロが買った店って、何年か前に引っ越したエアカーショップだっただろ? なあ、クロ」
「はい。これです」
クロは「ごちそうさま」と手を合わせ、端末を取り出すと購入した物件の情報を映し出した。
広い店舗部分――ジャンクショップよりもずっと奥行きがあり、シゲルが一番気にしていたスペースを指で示す。
「やっぱりな。防音・防振対策済みの作業場が付いてる。これで長年の悩みも解決だ!」
その言葉に、アヤコの瞳がぱっと輝いた。
「そうか! これなら作業場を分けるのも簡単だし、それぞれ広々と使える! 効率も段違いになる!」
「そういうことだ。こっちは慣れてるから俺が使うが、新しい作業場はアヤコの好きにしろ。今までスペースが足りなくて置けなかった機械も入れられるし、それぞれの得意分野を活かした作業ができる。しかも、おまけに“下僕”付きだ」
シゲルの顔には、悪戯を思いついた子供のような笑みが浮かんでいた。家族の食卓に漂っていた重苦しい空気は、いつの間にか賑やかな笑いと、現実的な未来への夢想に塗り替えられていた。
「なら、あれも置けるし……これも出来る……」
アヤコは端末を操作し、次々とカタログを映し出した。溶接機、最新式の旋盤、大型ドローンの整備台――画面に映るたびに目を輝かせ、まるで新しい作業場を自分の頭の中で組み立てるように指先を動かす。未来の景色を見ているその瞳は、子どものようにきらきらしていた。
シゲルも同じように楽しげにビールを煽り、焼き鳥を齧りながら言葉を重ねた。
「俺も今まで我慢してた大型のビームカッターやパーツ洗浄機を導入できるな。新しい作業台も置ける。いや~、クロ、いい買い物したじゃねぇか。アヤコの道具やパーツを向こうにまとめちまえば、今の作業場は相当広くなる」
「じいちゃん! まるで私の道具が邪魔みたいな言い方、やめてよ!」
アヤコが頬を膨らませるが、シゲルは一蹴する。
「邪魔だ! アヤコ、お前の悪い癖だ。滅多に使わねぇ道具まで大量に買い込むから、作業場が圧迫されてるんだ。気づかねぇのか?」
「そ、それは……」
アヤコは言い返せずに黙り込む。自分でも心当たりがあるのだろう。
「これを機に、いらんもんは売っちまえ。残すのは絶対に使うものだけにしろ。俺も若い頃は『いつか使う』ってガラクタを抱え込んで、結局場所ばかり取って後悔した。整理がつけば、もっと効率も上がるんだ」
シゲルはそう言ってビールを飲み干し、串を手に取ろうとした。しかし皿はすでに空で、横ではクレアが小さな口でもぐもぐと焼き鳥を咥えていた。串の肉だけ器用に引き抜き、ハンバーグの野菜は皿に残している。
「クレア! 肉ばっかり食ってんじゃねぇ、野菜を先にしろ!」
シゲルが鋭く叱ると、食卓には笑いが広がった。
「結局、これでいいんすかね?」
エルデが笑いながらクロに問いかける。
クロは微笑み、静かに答えた。
「――いいということです」
家族の笑い声と食器の音が重なり、夜のリビングには温かい空気が満ちていた。