昼の構成食と、静かな記憶
クロたちはギルドに併設された居酒屋へと足を踏み入れた。
「おばちゃん、こんにちは」
軽く手を上げるクロに、奥から威勢のいい声が返ってくる。
「おや、クロじゃないか! 昼飯かい?」
彼女が姿を見せるや否や、店内でくつろいでいたハンターたちが一斉にざわめいた。まるで伝説を見たかのような視線が注がれるが、クロは特に気にした様子もなく、肩に乗るクレアを軽く撫でながら、エルデに声をかける。
「テーブルの確保をお願いします」
「任せるっす!」
元気よく駆けていったエルデを見送りつつ、クロは改めておばちゃんに頭を下げる。
「のちにグレゴさんとジンさんも来ます。ただ、注文は私たちだけになりますが……テーブルを使わせてもらってもいいですか?」
一瞬きょとんとしたおばちゃんは、次の瞬間豪快に笑い出した。
「何を言うかと思えば! ちゃんと許可を取りに来るなんてねぇ。好きに使いな!」
大笑いするおばちゃんに軽く頭を下げ、クロはエルデの確保しているテーブルへ向かう。その背に、まだ「珍しいものを見た」と言わんばかりの視線が突き刺さる。
「おまえら! クロを眺めてないで、飯食って腹満たしな! 酒ばっかりひっかけてるんじゃないよ!」
「いや、おばちゃん、ここ居酒屋だから!」
常連の突っ込みに場が和み、店内には笑い声が広がった。
「クロねぇ、こっちっす!」
エルデが隅のテーブルで手を振る。クロは頷いて席に着き、メニューを手にしたエルデを見やった。
「ありがとうございます」
「いいっすよ! 何食べるっすか?」
浮かび上がるメニューを前に、エルデはまるで子供のように目を輝かせて迷っている。クロは小さく笑い、肩に乗るクレアへと声をかけた。
「クレアはサイコロステーキとミルクでいいですか?」
「はい。お願いします」
そう答えた途端、クレアは大きなあくびをしてしまい、慌てて前足で口を押さえる。その仕草にクロが思わず微笑む横で、エルデが「決めたっす!」とメニューを指差した。
「スパゲッティで! 飲み物は……リンゴジュースっす!」
「はいはい。では私はカレーにしましょうか」
クロが注文を通そうとしたところで、クレアが真剣な顔を向ける。
「クロ様、あの四人……本当に大丈夫でしょうか?」
問いに、クロは苦笑し、肩をすくめる。
「大丈夫だと信じましょう。あの四人の前では言いませんでしたが……意外と、掘り出し物だったのかもしれません」
その言葉に、クレアは細い尾を揺らしながら小さく頷き、それ以上は追及しなかった。テーブルに一瞬、穏やかな沈黙が流れる。
やがて――居酒屋の扉が開き、昼下がりの喧噪を切り裂くようにざわめきが走る。グレゴとジンが姿を現したのだ。常連のハンターたちが一斉に視線を向け、低い囁きが広がる。
だが次の瞬間、グレゴの鋭い視線が客席を一掃する。店内のざわつきは音を失い、まるで風が止んだかのように静まり返った。
「待たせたな。注文は済んでるか?」
「お父さんですか? ええ、もうしてありますよ」
クロがさらりと返すと、テーブルの空気が一瞬止まり――次の瞬間、グレゴが肩を震わせて苦笑する。その笑みは、居酒屋に漂っていた緊張をほどくように柔らかく広がり、ジンも堪えきれずにくすくすと笑い声を漏らす。
冗談は軽くとも、そのやり取りが確かに場の空気を和ませ、ハンターたちの注がれていた視線も自然と逸れていった。
二人の手には、それぞれ弁当箱があった。グレゴは質実剛健な二段重ね、ジンは彩りを意識した小ぶりな一段。いずれの蓋にも、淡い光を帯びた小さなボタンが組み込まれている。
二人が同時に押すと、弁当箱は低い駆動音とともに展開し、内蔵された構成機構が作動する。数秒後、立ちのぼる湯気と共に温かな香りが辺りに満ちた。
クロはその光景を目を細めて見つめ、低く呟く。
「……この世界では、弁当すら“構成”なんですね」
ジンが微笑み、軽やかに返す。
「ええ。私たちにとっては当たり前の仕組みよ。――クロのいた星には、なかったの?」
クロは静かに息を整え、ゆっくりと語り始めた。
「ええ。宇宙に出る技術そのものはありました。ですが……人々は肝心の宇宙そのものにはさほど関心を示さず、むしろ“魔法と機械技術の融合”にばかり力を注いでいました」
彼女の声音は淡々としていたが、その奥にほんのわずか、懐かしさと寂しさが滲んでいた。
「料理にしても、こちらのように“構成”で用意するのではなく、食材を一から切って下ごしらえして……魔法や調理器具を使って煮たり焼いたりする。――そういう形でしたね」
一瞬、卓を囲む面々の間に静かな沈黙が落ちる。ジンは感慨深げに頷き、グレゴは「なるほどな」と短く鼻を鳴らす。エルデは目を輝かせ、「へぇ、なんか手間だけど楽しそうっす」と呟き、肩の上のクレアは「本当に……随分と違うのですね」と小さく付け加えた。
クロは小さく微笑み、視線を弁当へと戻す。湯気の立つ料理の香りが、場を柔らかく包み込む。
こうして会話は途切れ途切れながらも続き、昼の居酒屋の片隅には、さっきまでの緊張をすっかり拭い去るような――穏やかで温かな空気が広がっていった。