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バハムート宇宙を行く  作者: 珈琲ノミマス
惑星に巣くうもの
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赤鬼の名と、四人の名乗り

「……エルデ、あなたには参りましたね」


 クロが苦笑を漏らす。だが、何が参ったのかエルデにはわからず、きょとんとした顔で首を傾げるだけだった。


 クロは再び椅子に腰を下ろし、姿勢を正す。その声音には揺らぎがなかった。


「一応、もう一度名乗っておきましょう。私はバハムート。この姿ではクロ――クロ・レッドラインと名乗っています」


 その名が告げられた瞬間、アレクは弾かれたように立ち上がり、血走った目で叫んだ。


「レッドラインだとッ!? ……あの“赤鬼”の親戚か!」


「……赤鬼?」


 クロはわずかに首を傾げてから、淡々と答える。


「一応、シゲル・レッドラインの養子です」


「…………っ」


 その返答に、アレクは言葉を失った。歪んだ顔にさらに影が落ち、取り巻き三人も同じように絶句する。倉庫を包む空気がまた一段と冷え込んだ。


 やがてアレクはソファーへ崩れるように腰を下ろし、ひしゃげた顔を片手で覆った。


「……“赤鬼”のところのやつなら……最初から絡むんじゃなかった……」


 その呟きは後悔とも諦めともつかず、倉庫の薄闇に沈み込み、鈍い残響だけを残した。


 クロはその響きにわずかに呆れを含んだ眼差しを向け、静かに口を開いた。


「……いえ、誰でも絡んだら駄目です。それで――赤鬼とは?」


 問いかけに、四人の視線が揺れる。取り巻きの一人が恐る恐る声を絞り出した。


「……知らないんですか。このコロニーで最強の二人……“赤鬼”と“猛獣”を」


「知りません」


 クロは即答する。


「赤鬼がお父さんのことなら間違いありませんが、その“猛獣”というのは?」


「……グレゴのことです。あいつとセットで、このコロニーじゃ伝説みたいな存在でした。“愛の決闘”って聞いたことないんですか?」


 その言葉に、クロの胸の奥で好奇心が跳ね上がる。普段なら食いついて聞き倒すところだった。だが、今は目の前の四人との話を進める方が先決だと、喉元で欲を押し殺す。


「……非常に聞きたいですが、後にしましょう」


 クロは淡々と姿勢を正し、目の前のアレクに視線を戻す。


「さて。アレクさんのことは承知していますが……奴隷――いえ、テイムした以上、改めて紹介をお願いします」


「クロ様、テイムは駄目です」


 肩に乗るクレアが即座に諫める。その声音には呆れが滲んでいた。


 だがクロはどこ吹く風とばかりに気にも留めず、右端の男へと視線を滑らせる。


「では、あなたから」


 淡々とした促しに、四人は一斉に息を呑み、場の空気が再び緊張に満ちていった。


 一番右端に座っていた、先ほど悶絶していた男がぎこちなく立ち上がる。伸び放題の髪はかつて鮮やかに染めていた色が抜け落ち、水色の地毛がまばらに混じり合っていた。背丈は一見して高く、190㎝近くはあるだろう。だが深い猫背のせいで、その大きさは陰気に縮んで見える。それでも――腐っても元ハンター。痩せ気味の体には、なお鋼のような筋肉が刻まれていた。


「……俺は、アンジュ・ローバ。21歳で、兄貴以外は同じ年齢だ」


 声はかすれていたが、なんとか名乗りを終える。


「この四人の中では、一応……経理や整備を担当していた。もちろん、機動兵器にも乗れる」


 座り直す仕草はどこか逃げ腰だった。だが、その瞳にはまだかすかな矜持が残っていた。


 次に、隣の男が重たげに立ち上がる。中肉中背の体はしっかりと鍛え込まれており、肩や胸板には筋肉の盛り上がりがはっきりと浮き上がっている。ぼさぼさに伸びた紫の髪が乱れ、荒んだ生活の痕跡を隠しきれていなかった。


「……俺は、ポンセクレット・ハーン。担当は戦艦の操舵だ。砲手も……大体、全部やっていた」


 言葉に虚勢はなく、事実だけを淡々と述べて席に戻る。その背筋には、かつての実力者としての影がちらついていた。


 そして、アレクを飛ばし、左端の男がゆっくりと立つ。


「……タンドール・バク。何でもやってきたから、特に担当って言えるものはない。強いて言えば、補給が専門だった」


 三人の中で最も背は低い。だが、クロやエルデと比べればなお頭一つ以上は高く、厚みのある体はやはり元ハンターらしく無駄なく鍛えられていた。伸び放題の黒髪は脂で汚れ、光を鈍く反射していた。


 彼らの声はそれぞれ震えていたが、自己紹介を終えるたびに倉庫を満たす沈黙は重みを増していった。四人の呼吸は揃って荒く、湿った吐息が汗の匂いと混じり合い、薄暗い空間にこもる。ソファーの軋む音すら遠のき、重石を載せられたような静けさが場を支配していた。


 そして最後に、リーダー格の男――アレクが立ち上がる。かつては黄金のように輝く髪を持っていた。だが今ではその面影もなく、汚れに濁って鈍い光を放つばかりだ。整った顔立ちも遠い昔の話。左頬はクロの制裁のビンタで陥没し、醜く歪んで“く”の字にひしゃげている。


 それでも――元Aランクハンター。背の高さと鍛え抜かれた体つき、立つだけで漂う圧は、積み上げてきた年月と実力を物語っていた。


「……俺はアレク。機動兵器のパイロットだ。それと、生身での戦闘も得意としている」


 淡々とした名乗りの裏に、わずかな誇りと悔恨が滲む。


(ふむ……さすがはグレゴの推薦枠か。素行は矯正が必要だが、確かに燻らせておくには惜しい存在か)


 クロは心中でそう結論づけ、わずかに口角を動かす。


「……気になる点はいくつかありますが――まあ、よしとしましょう」


 金色に輝いていたクロの瞳が、静かに黒へと戻る。同時に、四人を押し潰していた圧倒的な重圧がふっと消え去り、倉庫にはいつもの淀んだ空気が戻ってきた。


 四人は初めて深く息を吐き出し、硬直していた身体をようやく解きほぐす。肺の奥に空気が入るだけで、胸が痛むほどだった。


 クロは四人の狼狽を一瞥しただけで気にも留めず、椅子をわずかに前へと滑らせた。背筋を伸ばし、静かに指を組む。その仕草には、先ほどまでの圧倒的な威圧感とは違う余裕と落ち着きが滲む。


「――さて。次は、仕事内容と給料の話をしましょうか」


 張り詰めていた空気を意図的に緩めるように、その声音には楽しげな響きがわずかに混じっていた。

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