正体の告白と境界の提示
「では――一番大事な話をします。そこで悶えてないで、早くソファーに座ってください。痛みは一瞬だったでしょう」
冷淡な促しに、腕を押さえて呻いていた男は涙目で顔を歪めながらも、従うしかなかった。重い息を吐きつつ、ソファーへと腰を落とす。
(クロ様……容赦ないですね。でも、彼らにはこれくらいが薬になるでしょう)
エルデの頭にいるクレアは、そんな冷酷さを受け入れるように瞳を細めた。これまで彼らが撒き散らしてきた悪行を思えば、いま受ける痛みはむしろ安い罰にすぎない――そう心中で呟きながら見守っていた。
「聞く準備は整いましたか?」
クロの問いに、アレクは乾いた喉を鳴らしながらも静かに頷く。
クロは立ち上がり、淡々とした声で続けた。
「――エルデ。これからかなりの圧を出します。一応、あなたには向けませんが……当てられないように。クレア、守っていてください」
「……了解っす」
エルデは無意識に息を詰め、緊張に背筋を強張らせる。頭上のクレアはこくんと頷き、真剣な眼差しでその身をエルデの膝へと下ろし、護るように立ちはだかった。
クロがアレクたちへと向き直った瞬間、倉庫内の空気はさらに冷え込む。
空気だけではない。四人の胸を圧し潰したのは、これまで感じたことのない質量を伴う恐怖だった。全身が逃げ出せと叫び、背骨に冷たい刃が突き立てられたかのような衝動が走る。
横にいるエルデでさえ、その重圧に息を詰まらせ、小さく声を漏らした。
「クロねぇ……」
だが、その時。クレアの鋭い睨みが空気を裂いた。瞬間、エルデの周囲を圧していた気配が和らぎ、息が戻る。
「……クレアねぇ、ありがとうっす」
小さな声で礼を言うと、クレアは「当然です」と言わんばかりに顎を上げた。
一方のクロは表情を変えず、目の前の四人を見据える。その金色の瞳が、暗闇の奥で炎のように輝き出す。
「――もう気づいていると思うが、俺は人ではない。その正体は、バハムート。今、ギルドで最も高額の懸賞金をかけられている存在。そして――少し前、この国の愚かな軍が愚かな行為をした為その艦隊を、丸ごと消し飛ばし塵にした者だ」
クロの声音には虚飾も誇張もなかった。紛れもない事実が、そのまま静かに告げられただけだ。
「……良かったな、アレク。初日にビンタだけで済んで。――理解できましたね?」
突き刺さる言葉に、アレクの顔が蒼白に染まる。
胸の奥で理解した。あの時――彼らはとてつもなく不運だった。
同時に、それ以上の幸運を掴んでいたのだ。生きてここに座っていること自体が、奇跡に等しい。
四人は悟る。いま目の前にいる存在は、決して“人”の範疇に収まらない。人の姿をしたままの、絶望そのものだ。
クロは四人の表情を見て、これ以上は持たないと判断し、じわりと圧を緩めた。途端に、溺れる者が必死に水面に顔を出したかのように、四人は荒く息を吐き出し、過呼吸のように胸を上下させた。
その姿を一瞥するだけで無視し、クロは隣のエルデへと顔を向ける。
「大丈夫でしたか? 一応抑えたつもりでしたが」
「クロねぇ……自分も死ぬかと思ったっす。でも、クレアねぇが守ってくれたおかげで助かったっす」
その言葉にクロは小さく頷き、口元だけで謝意を示す。
「それはすみません。もう問題ありません。――では、クレア」
促されると、クレアは軽やに跳び上がり、クロの肩へ戻った。小さな身体が定位置に収まると、場の空気は再び張り詰めていく。
クロは正面を向き直り、まだ荒い呼吸を整えきれない四人へ視線を向けた。
「――私の肩にいる狼。この子も私と同じ存在です。新しい種――バハムートウルフ。この姿でも、あなたたちより強い。そして……喋ります」
視線で促され、クレアが前へ出る。金色の瞳が薄暗がりを裂き、澄んだ声が倉庫に響いた。
「……私は、バハムートウルフのヨルハ。この姿ではクレアと呼ばれています。正直、あなたたちを雇うことには反対です。ですが、お世話になっているグレゴさんの紹介であれば別。――グレゴさんの期待に応えてみせなさい」
そう言って小さな胸を張る。その姿に、四人は言葉を失った。
「……マジでか……」
「新種って……」
戸惑いと狼狽が声となって漏れる。だが、その金色の瞳を直視した瞬間、否定は喉に詰まり、納得するしかなかった。
その時、一人の男が恐る恐る手を上げた。先ほどクロの制裁を受けたばかりの男だ。
「もしかして……そこの女も?」
「口の聞き方には気をつけてください。立場的には、あなたたちより上になります」
クロの声音は冷たく鋭く、刃のように突き刺さる。男はびくりと肩を震わせ、顔をこわばらせて俯いた。
アレクが慌てて仲間を制し、改めて問い直す。
「……すまない。改めて聞かせてほしい。そこの少女は……人なのか?」
クロはすぐに答えず、視線を隣に送る。
「――エルデ」
促され、エルデが勢いよく立ち上がった。
「エルデっす! 親に売られ、海賊になった初日にクロねぇとクレアねぇに拾われて、家族になったっす! 自分は人間っすよ!」
元気な声と明るい笑顔。その一言に、張り詰めた空気が少しだけ緩んだ。重苦しい恐怖に押し潰されそうだった四人の表情に、わずかながら安堵の色が差すのをクロは見逃さなかった。