呪いの儀式と覚悟
「……わかった。俺は、お前の呪いを受ける」
低く漏れたその言葉に、取り巻きたちは一斉に顔を上げた。驚愕と恐怖が混じった視線がアレクを射抜く。
「兄貴! それは――!」
「そうです! そんなことしたら、兄貴は……!」
「死なないでくださいよ! 兄貴!」
必死に止めようと声を重ねる仲間たち。だが、アレクは静かに首を横に振った。
「……お前たちも気づいてるはずだ。俺たちには、もう道が残ってないことくらい……」
その声には、過去を背負った者の諦念と、仲間を諭す響きがあった。取り巻きたちは言葉を失い、俯いたまま拳を震わせる。
クロはその様子を無表情に見つめながら、心の奥で小さく思う。
(……何を見せられているんですかね。まるでこれから死にに行くような雰囲気じゃないですか)
自分が作り出した張り詰めた空気を意識することもなく、クロは冷ややかな内心を抱えていた。
そんな彼女の前で、取り巻きたちは互いに顔を見合わせ、ついに覚悟を決める。
「俺も呪いを受ける! 兄貴にばかり背負わせられるか!」
「俺だって同じだ! 一生ついて行きます、兄貴!」
「そうだ! 俺たちは一蓮托生だ!」
次々に声を上げ、まるで合図を合わせたかのようにアレクへ宣言する。熱のこもった言葉に、場違いなほどの涙さえ滲んでいた。
「お前たち……ありがとう……」
アレクの頬を一筋の涙が伝う。歪んだ顔が、その瞬間だけは仲間の絆に照らされて凛々しさを帯びた。
だが、そんな光景を見つめながらクロは首を傾げ、少し後ろにいるエルデへと振り向いた。
「今の状況……どう理解すればいいんですか?」
「いや、クロねぇ……こういう雰囲気になるっすよ、今の話し方じゃ」
エルデは肩をすくめて笑みを浮かべる。その頭の上に乗るクレアも、こくこくと真面目に頷いた。
「……私が悪いと?」
「はいっす」
即答するエルデに続き、クレアも再び頷く。
「そうですか」
クロは小さく呟き、視線を正面へ戻した。そこには、死地に向かう兵士のように覚悟を固めた四人の顔が並んでいた。
「全員、呪いを受ける」
代表してアレクが言い切った声は、先ほどまでの震えを微塵も感じさせなかった。
顔の骨格は歪んでいた。だがその表情には、奇妙なまでの決意と統一された意志が宿っていた。倉庫の薄暗がりの中で、それはまるで戦場に向かう兵たちの出陣前の顔ぶれのように重苦しい響きを持っていた。
「……何か、私が悪者になってません?」
沈黙を裂くようにクロがぼそりと呟く。
その声に、後ろからエルデが気楽な調子で返す。
「仕方ないっす。クロねぇ、言い方が冷たいっすから」
「全く……」
クロは小さくため息をつき、すぐに表情を切り替える。
「では、始めますか。アレク、それから取り巻きも――立ちなさい」
指示を受け、四人はソファーを軋ませながら立ち上がった。緊張にこわばった顔、だが覚悟に縛られた背筋はまっすぐだった。倉庫の空気がさらに張り詰め、埃さえも動きを止めたかのように漂う。
クロは一歩、また一歩と彼らに歩み寄る。金色の瞳が淡く光を帯び、視線が交わるたびに四人の呼吸が浅くなる。
だが、近づいたクロはふと動きを止め、眉を寄せた。
「……あ」
目の前に並ぶアレクたちの首元を見上げて、しばし沈黙。
「……やっぱり、座ってください。首に手が届きません」
一瞬の静寂のあと、場違いなほどに緊張が解けかける。アレクも取り巻きも顔を見合わせ、何とも言えない表情を浮かべた。
クロはそんな空気を意に介さず、真顔のまま小さく頷いた。
「……全く、この体は。では、座って」
重苦しい倉庫に、場違いな滑稽さを孕んだやり取りが落ちる。だがそれがかえって、不気味な静けさを際立たせた。四人の喉が同時に鳴り、息を飲む音が重なる。次に来る“呪い”の儀式を前に、空気は限界まで張り詰めていた。
クロは無言のまま親指を自身の爪で、浅く切り裂いた。赤い雫が落ち、倉庫の床に染みを作る。
「順番に首に触れます。――熱くなりますが、気にしないように」
静かな声と共に、クロは右端の男へ歩み寄る。冷たい両手が首筋に触れた瞬間、血が吸い込まれるように流れ込み、皮膚の下で何かが焼ける感覚が走った。
「っ……!」
短い悲鳴が押し殺された喉から洩れる。
クロは表情を変えず、次の一人へと進む。触れられるたびに同じ悲鳴が繰り返され、やがて全員の首元に、焼き印のような黒紫の痕が浮かび上がった。それはエルデと同じ位置に刻まれた印――ただし四人のものはさらに濃く、大きく、まるで逃れられぬ烙印のようだった。
「……これで呪いが完了です。それと、念のために」
そう告げるとクロはジャケットに手を差し入れた。内側で別空間が開かれ、そこから光を反射する短い針を四本取り出す。
「手の甲を出してください。どちらでも構いません」
躊躇いながらも差し出された手。その皮膚に、血を塗った針が淡々と突き立てられていく。四人は歯を食いしばり、痛みに備えた。だが――何もなかった。刺さった感覚も、鋭い痛みもなく、ただじんわりと温もりが広がるだけ。
「……っ?」
予想外の無痛に、逆に恐怖が深まる。顔を見合わせた取り巻きの目には、困惑と怯えが入り混じっていた。
クロは流れ出た血を布で拭い、もう止まっていることを確認すると、静かに椅子へ戻った。その仕草は儀式を終えた神官のようでありながら、笑みを形作ってはいたが、その瞳には一片の温かさもなかった。
「さて。先に呪いの説明と、先ほどの針についてお話ししましょう」
柔らかな声音。だがアレクたちにとって、その笑みは救いではなかった。首元に残る痣と、まだ燻る熱の感覚――それこそが呪いの証であり、逃れられぬ恐怖だった。