惑星行きの前触れ
「という訳で、準備が整いつつあるんですが惑星にはいつ頃?」
ギルドのカウンターで機体登録を行いながら、クロは先ほどまでドックで交わされたやり取りを報告する。その声を受けたグレゴは、重い眉を寄せ沈痛な表情を浮かべた。
「俺のフレーム、随分といじってくれたようだが……高かったろ?」
気安さの裏に、長い年月を共に過ごした幼馴染としての遠慮がにじむ。
クロは苦笑し、肩をすくめる。
「ええ、グレゴさんに請求を回さなくてよかったと思ったぐらいには」
「……腕は一流なのに性格が終わってやがるからな、あいつ」
吐き捨てるような口ぶりに、しかし親しさと諦観が混ざっていた。長年の付き合いがある者にしか出せない響きだった。
ひと息ついたグレゴは端末に目を落とし、エルデの機体の登録欄を開く。
「で、名前は?」
視線を受けたエルデは一瞬だけ言葉を探し、隣で見守るクロが口を挟む。
「えっと……」
「トラン〇フォーマーで」
とたんにクレアが小さな前足でクロの頬を押し、呆れと困惑が入り混じった瞳を向ける。その仕草は、想定内だとでも言いたげだった。
クレアは声を落として叱責する。
「クロ様! 却下されたじゃないですか。今回はエルデが自分で考える約束でしたよ!」
さらにぺしぺしと頬を叩く小さな肉球に、クロは思わず目を丸くした。
「まさかクレアに止められるとは……」
「止めますって何度も言いました!」
胸を張る姿は小さくとも堂々としていた。その成長がクロには誇らしく、わずかな寂しさと共に胸を温める。
(肯定だけでなく、きちんと否も告げられるようになった。悲しくも、確かな成長だな)
「エルデ。クロ様は私が止めておきますから、決めた名前を」
「ありがとうっす。クレアねぇ……」
勇気をもらったように一歩前へ出るエルデ。その瞳はわずかに緊張しながらも、しっかりとグレゴを見据えていた。
「機体名は……ファステップ」
グレゴは短く復唱し、真剣に問い返す。
「ファステップね……意味は?」
エルデは頬をかき、照れ笑いを浮かべる。
「えっとっすね、自分で考えた機体っすから、本格的にクロねぇ達のサポートをする最初の一歩。それを踏み出した気がしたんすよ。だからファーストステップからもじったっす」
その言葉には、背伸びと純粋さが同居していた。
グレゴの口元がわずかに緩む。
「いい名前じゃねぇか。登録したぞ」
軽く端末を叩きながら告げると、彼はそのままクロへと視線を向け直す。
「とりあえず、軍の弱った隙を狙ってきたアホどもはだいぶ掃除できた」
淡々とした口調に、しかし長年の現場を知る者としての疲れがにじむ。
クロは短く相槌を打ちながら、後ろを振り返り居酒屋へ視線を流す。
以前に比べればまだ少ないが、徐々にハンターたちが戻り始めていた。ジョッキが卓に置かれる音、抑えきれない笑い声――その一角だけは、かつての喧騒を取り戻しつつある。
だが、ふと視線を横に流せば、まだ空席のまま冷え切った卓も目についた。戻り始めた熱気と、残された静けさ。その対比が、この港がようやく息を吹き返そうとしている最中であることを物語っていた。
クロは再びグレゴへと顔を向けた。
「まだ数は少ないが……まさかSランクのハンターまで出稼ぎに来るとはな。おかげでだいぶ治安は戻ってきた」
グレゴは頷き、カウンター越しに手を組む。
「軍は今も一部で機能不全が残ってるが……」
グレゴは声を少し潜め、カウンター越しに視線を落とした。低く響く声には苦々しさが滲む。
「腐っていても軍は軍だ。国際的な批判を浴びる前に、普段は動かしもしねぇ第一軍と第二軍まで、ようやく重い腰を上げてきた」
吐き出すように言い、短く鼻で笑う。
「いつまでもハンター任せじゃ、批判の的になるからな」
「なるほど。各国の批判が高まっていると?」
クロの静かな指摘に、グレゴは渋い顔でうなずいた。
「ただでさえ腐敗で有名なフロティアン軍だ。その第七艦隊が、公式発表じゃ“原因不明の空間異常で消滅”だとよ。誰が信じるってんだ。平気でそんな寝言を垂れる連中だ」
言葉の端に怒気をにじませながらも、どこか突き放した響きがある。
「もともと高かった批判はさらに膨れ上がり、今じゃ“制裁”なんて言葉まで出始めてる。いい加減、国として動かんと立場がなくなる」
グレゴの声音は低く、硬い。長年この地で治安の揺らぎを見守ってきた者だからこそ、言葉の底に積み重ねた重みが滲んでいた。
「……そういう訳でだ」
そこで一度、言葉を区切る。グレゴはカウンター越しに身を乗り出すこともなく、ただクロの目をまっすぐに見据え、覚悟を定めるように告げた。
「今度の惑星での依頼は、長期滞在になる。本来なら、何カ月もかけて惑星に腰を据え、依頼をこなしていく類いの案件だ」
「まぁ、私ならすぐに帰ってこれますね」
クロの声音はさらりとしたもので、事実を淡々と述べただけだった。
その軽やかさに、グレゴはわずかに眉を動かすが、やがて納得したように頷いた。
「……そういうことだ。本来なら、行けば長々と滞在しなきゃならん面倒な依頼だが……お前に限っては、滞在する必要がねぇ」
吐き出す言葉には苦笑と羨望が混ざり、普通のハンターにはあり得ない“別格”を認めざるを得ない響きがあった。