叩き台の機体案
シゲルは手にしていたビールを飲み干し、空になった缶をテーブルに置いた。
「まずは形から入ろうじゃねぇか。……どれに乗ってみたい?」
そう言って画面を操作すると、モニターには多彩な機体のデザインが並んだ。鋭い輪郭を持つもの、重厚なシルエットを誇るもの、滑らかな流線を描くもの――それぞれが個性を放っている。
エルデはごくりと唾を飲み込みながら、食い入るように見つめた。目に留まった機体を次々に選び、変形後の姿を確認していく。飛行形態で空を舞う姿、地上を踏みしめる陸上形態、コンパクトな箱型から展開する機能美。その一つひとつに目を輝かせ、まるでおもちゃを前にした子どものように夢中になっていた。
そんなエルデを見ていたアヤコが、穏やかな声で問いかける。
「……スペックは見ないの?」
不意を突かれたエルデは肩をすくめ、頬を赤らめながら答える。
「み、見ても……正直わかんないっす。それより、見た目が好きなやつを選んでるっす」
あまりに正直すぎる返事に、アヤコは思わず笑みを漏らし、苦笑交じりに首を振った。
「それは……勉強だね」
シゲルは豪快に笑い、腕を組む。
「見た目から入るのも悪くねぇ。気に入ったもんじゃなきゃ、命なんざ預けられねぇからな」
アヤコはシゲルの言葉に軽く頷き、真剣な表情へと切り替える。
「じゃあ今日は“見た目”からでいい。でも――明日の夜からは勉強と組み合わせをしてみよう」
「はいっす!」
エルデは勢いよく返事をし、アヤコの正面に立つと、背筋を伸ばして深々と頭を下げた。
「よろしくお願いっす!」
その素直さに、アヤコの口元に柔らかな笑みが浮かんだ。シゲルも「上等だ」と満足げに頷き、空気は厳しさの中に温かさを帯びていた。
シゲルは端末を操作し、設計図のデータをエルデの端末へと送信する。続けてアヤコも資料を整理し、同じく送った。次々と通知が表示され、エルデの画面が埋まっていく。
「これは設計図だけじゃない。勉強用の基礎資料に、各メーカーのカタログも全部だ」
アヤコが淡々と説明する。
「……多いっす!!」
エルデの悲鳴がリビングに響いた。
だがシゲルは缶を揺らし、愉快そうに笑う。
「明日からはな、その悲鳴を上げる暇すら与えてやらねぇよ」
その言葉には冗談めいた軽さと同時に、孫を本気で鍛え上げようとする決意が宿っていた。エルデは一瞬怯んだものの、すぐに唇をきゅっと結び、目を逸らさずに端末を抱きしめる。胸の奥で高鳴る鼓動が、重さを増す責任を実感させていた。
(……大変そうっす。でも、やるしかないっす! クロねぇ、クレアねぇ! 自分、絶対にやり遂げるっす!)
小さな決意の声が心の内で反響し、怯えの影をかき消していった。
そして数日が過ぎた。
朝の光が差し込むリビングで、シゲルはどっかりとソファーに腰を沈め、頭を抱えていた。
「エルデ……お前ってやつは……」
重いため息混じりの声は、呆れと心配の入り混じったものだった。
アヤコも同じように椅子に腰かけ、手を組んで目を伏せる。
「エルデ……」
その声音は悲しげで、まるで我が子の失敗を嘆く母のようだった。
ちょうどそのとき、階段を下りてくる軽い足音が響いた。姿を見せたのはクロだった。腕の中にいるはずのクレアの姿はなく、今日は一人のようだ。
「クロ、あいつはどうした?」
シゲルが問いかける。
クロは少し困ったように眉を寄せ、淡々と答えた。
「知恵熱です。……恐らく、しばらくはうなされるでしょう」
クロの一言に、シゲルは天を仰ぎ、大きくため息を吐いた。アヤコは小さく肩を落とし、暗い顔で呟く。
「やっぱりね……」
「詰め込みすぎたか」
ふたりの声には、後悔と心配が入り混じっていた。
クロはソファーに腰を下ろし、じっと二人を見据える。
「いや、素人にいきなり専門的な知識を山のように詰め込んで……さらに組み合わせの設計までやらせるなんて、地獄ですか? 今はクレアがつきっきりで見てますが……ここ数日は、どう考えてもやりすぎです」
淡々とした口調ながら、その言葉には確かな棘があった。
アヤコは「うっ」と詰まり、頬をかきながら乾いた笑いを浮かべる。
「いや~……だって、教えても教えても全然わかってくれなくてね……あはははぁ~……」
ごまかすようなその声に、クロの視線がさらに冷たく細められる。
シゲルはマグカップを手にしながら、大きく唸った。
「……『わからねぇ方が悪い』とは言えねぇな、今回は。あいつの頑張りに、俺たちが詰めすぎた」
シゲルの声音には、豪快さの裏に潜む真剣な反省がにじんでいた。
クロは小さくため息をつき、視線を二人に移す。
「ただ、エルデにも落ち度はあります。頑張りは認めますが……無理をして倒れてしまっては意味がありません」
そう言いながら端末を操作すると、淡い光が広がり、一つの映像が空間に浮かび上がった。
「これは、エルデが熱を出すほど追い込まれながらも、お父さんとお姉ちゃんに教わり、二人の機体案を組み合わせ、何度も手直しを重ねて仕上げた機体案です」
投影されたのは一機の設計図。線はまだ不安定で、粗さが目立つ。だが全体の構造は崩れず、必死に学び取った痕跡が確かに形を成していた。
シゲルは腕を組んだまま、図面に太い指先を伸ばし、甘い線をなぞる。
「……粗削りもいいとこだ。組み合わせの一つひとつに迷いが残ってる」
アヤコは小さく眼鏡を押し上げ、柔らかな声で続ける。
「うん。正直まだ穴だらけ。でも……必死に食らいついて、ここまで形にしたのは胸を張っていい。本当に誇らしいよ」
クロは二人の評価に静かに頷き、言葉を添えた。
「ですので、これは叩き台にしましょう。最終的な仕上げは、お父さんとお姉ちゃんにお願いします」
(シゲルとアヤコは正式な資格を持つ技術者だ。最終設計を任せられるのは、この二人しかいない)
未熟ながらも努力の結晶である設計図を前に、三人の眼差しに自然と熱が宿っていった。