見えざる暴力
クロは静かに――けれど、確かな期待を込めてその瞬間を心待ちにしていた。
「……さて。ここまで説明しても、クレアは納得していないでしょうね」
肩の上でむっつりと黙りこくるクレアに、クロがやや困ったような微笑を向ける。すると、クレアはぴくりと反応し、やや気まずそうに目を逸らした。
「当然です。ただ……商人としての構え方、今のお父さんにちょっと似てたので、そこは認めます」
「お父さん……?」
首を傾げたスミスが問い返すと、クロがやや口調をやわらげて説明を始める。
「今は豆柴サイズの“狼”ですが、クレアはいずれ――人間の姿をとれるようになります。そのとき、私の養父であるシゲルさんに、正式に養子縁組をお願いするつもりです――まあ、それは後の話です。今は、“威力”を見せてほしいですね」
そのひと言に、スミスはやれやれと肩をすくめ、頭を振る。
「まったく……。さっきの話がなければ、シゲルさんが誰かを養子に取るなんて、隕石が降るような衝撃だったな」
冗談まじりの返しのあと、スミスは端末を操作しながら、声を張った。
「エルデ、今から試射室全域にターゲットを展開する。好きにぶっ放せ」
「はいっす! やっと撃てるっすねっ!」
嬉々とした表情でエルデが声を弾ませ、右腕に装備した“ウルフ”のトリガーを引き出す。軽い展開音とともに、五連装の砲身がスライドし、外装の中から姿を現す。
その様子に、クロはふと、転生前の記憶を重ね合わせた。
(……いたな。ああいう感じの、重火力ロボット……たしか、ヘビーなんとか……。顔の半分にピエロみたいなマスク付けてたっけ)
そんな淡い記憶に笑いかけたそのとき、スミスが次の指示を端末に打ち込む。
――直後、試射室の壁面と天井、床にかけて、無数のターゲットホログラムが浮かび上がった。人型、獣型、飛翔体――それぞれに異なるサイズと挙動を持つ“模擬標的”たちが、立体的に空間を満たしていく。
「それと、背後に衝撃測定用の膜も展開しとく。クレアの疑問に、データで答えてやるよ」
スミスが小さく呟きながら端末を操作すると、室内の壁際に薄い半透明のフィールドが現れる。わずかに光を揺らすそれは、衝撃を測定・可視化するための“判定膜”だ。
部屋全体に、いつしか張り詰めた緊張が満ち始める。動き出す直前の静寂――嵐の前の静けさだった。
スミスはその空気を切り裂くように、エルデへと静かに告げる。
「狙いの付け方は単純だ。“腕の先すべて”が射線になる。照準なんかいらねぇ。目標の塊をざっくり意識して、一気に薙ぎ払え」
エルデの表情が引き締まり、その瞳に強い意志の光が宿る。
「了解っす。……ウルフ、吠えるっすよ」
静かに、しかし確かな動きで彼女はトリガーを押し込んだ。
直後、“ウルフ”の砲身が滑らかに回転を始める。内部の圧縮ユニットが空気を取り込み、高密度に圧縮された弾丸に変換されていく。
回転の遠心力と同時に、砲口から放たれたのは、肉眼では捉えきれないほど高速の空気塊。粒子状のプラズマで包まれたそれは、標的に接触した瞬間、目に見えぬ圧力波として爆発的に拡散し、ホログラムの標的を次々と粉砕していく。
――空間が、震えた。撃ち抜かれたターゲットは破片すら残さず、霧のように霧散していく。それが、エルデがトリガーを握り続けているあいだ、絶え間なく続いた。
「なるほど……確かに、聴覚には“遠吠え”のように聞こえるかもしれませんね。クレア、箱の遠吠えみたいには聞こえますか?」
クロが冗談めかして肩越しに問いかけると、クレアはむっとした顔で返す。
「……っ、下品です! あんなの、言葉にすらなってませんっ!」
憤慨しつつも、その視線はしっかりと“撃ち抜かれていく標的”に向いていた。言葉を重ねることなく、ただじっと――真剣に、見つめている。
クロはその様子を横目で見ながら、心の中で小さく嘆息する。
(……本当に、頑固ですね)
けれど、クレアの意地を笑うよりも先に、クロの思考は“ウルフ”の性能へと引き寄せられていった。
「これは……相手にとっては恐怖でしょうね。弾は見えないに等しく、しかも装填の必要すらない。――ひたすら、高圧の空気が襲ってくる」
その感想に、スミスがにやりと笑いながら補足する。
「それだけじゃねぇ。クロ、この衝撃データを見てみろ」
促されて端末に視線を落としたクロの目が、わずかに見開かれる。
「……衝撃が、約一トン?」
数値が示すのは、“高圧縮空気弾”が生み出した純粋な衝撃エネルギー。音もなく放たれた見えざる弾丸が、一トン相当の打撃を標的に叩き込んでいたのだ。
敵にとっては不可視の暴力。迎撃も回避も困難で、気づいた時には既に吹き飛ばされている――そんな圧倒的な暴威が、ここにあった。