猛獣の逆鱗と武器選び
クロは、階段を降りて一階の受付へと向かう。カウンターの奥では、大柄な体に似合わぬ手つきでデータを整理するグレゴの姿があった。
降りてきた気配に気づいたのか、彼は顔だけをこちらに向ける。
「……猛獣」
一言。それだけで、場の空気がぴんと張りつめる。
グレゴの頬が、わずかに引きつった。
「死にたいのか、クロ」
その声音には、低く押し殺した怒気が滲んでいた。どうやら、あの呼び名は――彼の逆鱗らしい。
クロは、すぐに判断を切り替える。
「依頼を受けました。スライムタッカーを貸してください」
しかし、グレゴは手元の書類に目を落としたまま、無言で首を横に振った。
「嫌だ。その前に、言うことがあるだろう」
少しだけ呆れをにじませたその声に、クロはわずかに瞬きを返す。
「……ごめんなさい」
素直な謝罪。それを受けて、グレゴは深く溜息をついた。
やれやれ――そんな仕草を見せながら、彼はようやく端末を操作し、装備リストをクロの前に表示した。
「どれがいい? おすすめは小型の奴だ。軽くて扱いやすいが――スライムの容量が少ない。追加でカートリッジが必要になる」
グレゴは端末を操作しながら、いくつかの機種を表示させていく。
「今回は借りられるんですよね?」
クロの問いに、彼は小さくうなずいた。
「ああ、そうだ。……まさか、お前――」
「はい。それぞれ一種類ずつ、貸してください。それでどれが合うか決めます」
真顔のまま告げたクロに、グレゴは机を叩きそうになるのをぐっと堪えた。
「遊びじゃない! ダメだ!」
その叫びには、職務に対する真剣さと、どこか呆れの入り混じった怒気が込められていた。
だが、クロはまったく動じない。
「では、小型で。カートリッジ一本で、何人まで拘束できますか?」
唐突に現実的な質問が飛び出し、グレゴはわずかに眉を寄せた。
「……疲れる。一本で、大体7~10人だな」
「そうですか。では、念のため予備を五本、お願いします」
即断即決。感情の起伏のなさが、逆にプレッシャーを生んでいた。
「……わかった。用意する。お前、優秀なんだが……ほんと、疲れる」
小さく呟きながら、グレゴは端末に手を伸ばし、いくつかの操作を行う。しばらくすると、奥のドアから職員が現れ、小ぶりな箱を両手で抱えてクロの前に置いた。
「いいか、壊すなよ。壊したら買取だ。今回、カートリッジは依頼人持ちだから、金は要らん」
「買うと、いくらですか?」
クロの問いに、グレゴはわずかに口角を上げる。
「15万Cだ。……買うか?」
数秒の沈黙が流れる。クロは真剣な面持ちで思案したあと、首を横に振った。
「……いえ、今回は見送ります」
「ちっ……わかった」
舌打ちまじりにそう返しつつ、グレゴは内心でため息をついた。少しばかり期待していたのだ。だが――どうせ一度使えば、いずれ買うことになる。そう確信しながら、彼は再び端末に目を戻した。
「一応、カタログを送っておく。欲しくなったら買え」
「わかりました。では、行ってきます」
クロはスライムタッカーを丁寧に受け取り、ビームガンとは逆側――ジャケットの内側ホルダーへと装着する。カートリッジは数本、無造作にポケットへと滑り込ませた。
「いいか。無茶はするな」
その一言に、クロは無言のまま小さく頭を下げ、受付を後にする。足取りは軽やかだが、どこか浮世離れした雰囲気をまとっていた。
その背中を見送りながら、先ほど装備を持ってきた職員が、ふと不安そうに呟いた。
「あの子……大丈夫なんですか?」
だが、その問いとは対照的に、グレゴの表情は落ち着いていた。眉一つ動かさず、淡々と答える。
「問題ない。面倒で、常識もない奴だが――もう、この依頼は終わったようなもんだ」
その言葉には、数日しか関わっていない少女に対する、揺るぎない信頼が滲んでいた。
「なんせ、シゲの子だ。安心して待てる」
「ならいいんですけど……迷子にならないか、ちょっと心配で」
ぽつりと漏れた言葉に、グレゴは一瞬きょとんとした表情を浮かべ――そして、腹の底から笑い出した。
「……それは、確かに心配だ。迷子センターから連絡があるかもしれんぞ」
その笑いは、どこか嬉しそうで、優しかった。