収納空間の限界
そして、クロは軽く頷いて気持ちを切り替えると、次の説明へと移っていく。
「転移については――まあ、こんなところですかね」
そう前置きしつつ、ふと表情を緩めた。
「次は別空間。……“収納空間”って言った方がカッコいいかもしれませんね」
冗談めかして言いながら、クロは自分の手を空中へと伸ばす。そしてそのまま、何もない空間へ手首までを、すっと差し込んだ。
目に見えない“向こう側”から引き出されたのは、小さな苗木。掌にすっぽりと収まるその緑は、見る者を思わず引き込むような神秘に包まれていた。瑞々しく、静かな生命の気配を放っている。
「それは……?」
思わず身を乗り出すようにして、グレゴが尋ねる。以前アヤコやシゲルに同じものを見せたときには、「何それ?」と素っ気ない反応だった。だが、この二人――ジンとグレゴなら、もっと違う反応が返ってくる気がした。それを確かめてみたくて、クロはこの苗木を取り出したのだ。
「これは、世界樹の苗です」
最初、二人の顔に浮かんだのは戸惑いだった。だが次第に、その言葉の意味をかみしめていくうちに、表情がじわじわと変化していく。
「ちょっと待て……“世界樹”って、あの? ゲームとかに出てくるやつか?」
グレゴが目を見開き、記憶を手繰るように言う。
「子供がやってたゲームに、たしか出てきたわよね」
ジンも頷きながら呟く。どこか懐かしそうな響きを帯びていた。
ようやく見たかった反応が返ってきたことに、クロは満足そうに口元をほころばせた。
「ゲームに出てくるものとは違います。これには“回復効果”も“ステータス上昇”もありませんから」
あくまでさらりと説明するが、その口調には冗談めいた愉快さが混じっている。途端に、ふたりの肩がわずかに落ちる。
「なんだ、ちょっと期待したのに……」
「光ったりしないのね」
どこか残念そうなその反応に、クロはくすっと笑いながら苗を見つめ直した。
「これは、前にいた星で手に入れたものです。このように――千年以上経っても、劣化していません」
苗木の葉が、かすかに揺れた。命の鼓動のように。
「時間が進んでいない、ということなんでしょうね。……収納空間の中では」
そう言って、クロはそっと苗を別空間へとしまい込んだ。その動きは静かで、まるで宝物を扱うかのように慎重だった。
ふたりが黙ったまま、それを見送る。神秘と実用が同居するその技術に、言葉を挟む隙がなかった。
だが――沈黙を破ったのは、他でもないクロだった。何気ない調子で、しかし内容は決して軽くない。
「ちなみに、この戦艦もしまうことができますよ」
その一言に、ブリッジの空気が一瞬で変わった。驚き、混乱、そして“まさか”という想像が、ジンとグレゴの思考を一瞬で駆け抜けていく。
「ホントなのか?」
低く絞り出すように、グレゴが問う。
「はい」
クロはあっさりと頷くと、小さく笑みを浮かべる。
「考えてもみてください。元々の私――擬態する前の本来の姿は、全長数キロです。それぐらいの収納容量、余裕です」
その言葉に、ふたりはあらためて思い知らされる。目の前のこの少女が、バハムートであったという事実を。その言葉には、冗談でも誇張でもない、実感と説得力が宿っていた。
「……なら、惑星も……しまえたりするのか?」
恐る恐る、グレゴが尋ねる。
クロはその問いにすぐには答えなかった。腕を組み、静かに天井を仰ぐ。先ほどよりも長く、慎重に考えている。
そしてようやく、言葉を選びながら答えを返した。
「……恐らく、ですけど。入り口の大きさには限界があると思います」
静かな口調だが、そこには自分自身も完全には把握できていないもどかしさがあった。
「これは試したわけではないので、あくまで予想ですけど……入り口のサイズは、たぶん擬態前――つまり、バハムートの姿のときの自分のサイズが限界じゃないかと」
クロが言葉を切る。だが、まだ“続き”があるようだった。
「……ただ」
ジンとグレゴが同時に反応する。
「ただ?」
クロは再び視線を上げ、小さく息を吐いた。
「中の広さについては、私にもわかりません。もし“入り口の制限”だけで、中が無限に広がっているのだとしたら……惑星も入るかもしれませんし、入らないかもしれません」
あくまで可能性。だが、そこには確かな現実味があった。
「試せればいいんですけどね。さすがに、これは……どうにもならないので」
クロは肩をすくめて小さく笑った。その表情にはどこか残念そうな気配があったが、同時に――ほんの僅かに“試してみたい”という好奇心も滲んでいた。
そして、ふと思いついたように言葉を継ぐ。
「あと、生き物も……入れること自体は可能だと思います。世界樹も生きてますから。問題ないとは思うんですけど――入れたくは、ないですね」
その言葉に、グレゴが表情を引き締め、静かに深く頷いた。
「ああ……やめておけ。試すことすら、やめた方がいい」
その声音には、冗談の余地はなかった。ジンも同じく頷き、真顔で言葉を重ねる。
「そうね。結果がどうなるかわからないし……そもそも、無事だって保証はないんだから」
ふたりの反応は真剣そのものだった。技術として可能かどうか――ではなく、その“倫理とリスク”にこそ重きを置いた判断。ふたりの目に浮かんでいたのは、ただの好奇心ではなかった。そこには、軽口を挟む余地もない――現実を知る者の静かな抑止があった。
クロはふたりの言葉をしっかりと受け止め、そっと口を閉じた。視線を落としたその顔に、ほんのかすかな影が差す。眉間に寄った皺は――ただの思案ではない。無邪気に踏みかけた一線の先に、どんな結果が待つかを想像してしまったからだった。眉間に寄った影は、そんな想像を押しとどめるための、静かな自制の痕だった。