転移の限界と可能性
そうしている間にも、ヨルハと海賊艦隊の戦闘は終盤へと差しかかる。漆黒の狼は今や小型艦を蹴散らし尽くし、残された戦艦へと照準を移していた。逃げ惑う巨体に、疾風のように回り込み――漆黒のフレアを叩き込む。その一撃ごとに、重厚な船体は赤く爛れ、悲鳴のような金属音を響かせながら崩れ落ちていく。海賊たちの断末魔も、真空の闇に呑まれて消えるのみ。
「……終わりだな」
静かな呟きがブリッジに落ち、映像が幕を閉じる。ブリッジには、しばし誰も言葉を発せず、ただ戦いの余韻が静かに漂っていた。その後、グレゴは腕を組み、深く目を閉じた。戦いの余韻とともに胸に渦巻く思考を整理するかのように。
隣では、ジンが相変わらず面白げな眼差しで画面を見ている。彼女の瞳には、恐怖や重苦しさではなく、むしろ興味と探究の光が宿っていた。その温度差に、グレゴは内心で苦笑を押し殺す。
やがて――答えに辿り着いたように、グレゴは目を開いた。瞳に宿る光は鋭く、しかし決断を秘めている。
「……クロ。もう一度、転移と収納空間について聞きたい」
低く落ち着いた声に、クロは瞬きをして振り返った。その表情は真剣で、いつもの軽さはない。
「はい。どんなことですか?」
問い返す声も自然と硬くなる。グレゴの眼差しに、彼女も気持ちを切り替えた。
「まず――行ったことがある場所なら、どこでも行けるというのは本当か?」
「はい。ただし……」
クロは一度言葉を切り、眉をひそめる。そこから先は、簡単には説明できない欠点を告げる時の声音だった。
「移動するものに関しては制約があります。例えば……マーケットをした小惑星オンリーワン。今はそこに転移できません」
短く例を示し、ゆっくり理由を続ける。
「……うまく言えないんですけど、スピードを出して“動いている”ものへの転移って、不安定なんです」
クロは少し考えるように間を置きながら、言葉を選ぶ。
「惑星の公転とか自転、それからコロニーの軌道移動くらいなら大丈夫。でも――たとえば、スカーレットが疑似ゲートで超速移動や光速移動してしまった場合、転移は無理です」
そこまで言ってから、クロはゆっくりと首を振った。
「静止しているか、ゆっくり進む。もしくは惑星やコロニー並みに“緩やかに動いている”ぐらいじゃないと、転移できないんです」
説明を聞いたグレゴは顎に手を当て、さらに問いを重ねる。
「なるほどな……では、大きさはどうだ? どの程度までなら転移できるんだ?」
問いかけに、クロは腕を組んで天井を仰ぐ。ほんの数秒、言葉を探す沈黙。
そして――しぶしぶ答えを絞り出す。
「……わかりません」
「わからない?」
思わず裏返った声がグレゴから漏れ、ブリッジの空気がわずかに和む。ジンはその声音に吹き出し、くすりと笑みを零した。
「最大で数キロ程度なら、問題ないと思います。ただ、それ以上になると……正直、試したことがないので、わかりません」
クロは少し言葉を探すように間を置き、それでも丁寧に説明を続ける。
「転移する時、基本的には――私の体に触れているものが対象になります」
そう言いながら、自分の手のひらに視線を落とす。指先をゆっくりと開き、小さく首を振る仕草には、言葉にできないもどかしさが滲んでいた。
「……でもそれなら、コロニーに立っている時だって、私は“触れている”ことになりますよね?」
問いかけるような口調に、グレゴが短く答える。
「ああ」
その即答を受けて、クロはわずかに肩の力を抜いた。
「けど、コロニー全体を転移させたことはありません。……たぶん、“転移させたい”と明確に思ったものだけが対象なんです。そして、そのうえで“つながっている”こと――それが条件なんだと思います」
クロの説明に、ブリッジの空気はぴたりと止まった。未知の可能性と危うさ、その両方が浮き彫りになったからだ。
やがて、ジンがわずかに肩を揺らし、面白そうな声を漏らした。
「ふふ……試してみたいわね」
「いやいや、冗談じゃねぇ。ジン、お前な……いくらなんでも冗談が過ぎるぞ」
グレゴが眉間を押さえながら、半ば本気の抗議を返す。だがジンは悪びれる様子もなく、楽しげに言葉を重ねた。
「ごめんなさいね、あなた。でも、知っておきたいじゃない。どこまでできるのか、って」
さらりと告げる口調には、研究者の好奇心にも似た響きがあった。
グレゴは深々とため息をつき、掌を顔に当てる。
「だからといってだな……」
ぶつぶつ言いながらも、止めきれないのを悟っている顔だ。
するとクロが軽く手を挙げ、何気ない調子で言い添えた。
「……そうですね。今度、小惑星でも見つけたら……転移してみましょうか」
クロは言いながら、ほんの少し考えるように視線を泳がせる。
「そこに、秘密基地とか作るのも……楽しそうです」
その声音は妙に真剣で、冗談半分というより“実行する前提”に聞こえる。
「……本当にやりそうだから怖ぇんだよ」
グレゴの呟きは、もはやツッコミではなく諦め混じりの本音だった。それは、近い未来に必ず現実となるであろう光景を、彼が心のどこかで予感している証でもあった。