構成された食卓、でもそこに“席”がある
自宅のリビングに入るなり、クロは別空間から次々と食材や酒、つまみを取り出した。その光景に、どこか温かく満たされていたはずの心が――たった一瞬で、冷え切った。
目の前に現れた“食材”を見た瞬間、感情が反転する。胸の奥から湧きあがってくるのは、再び渦巻き始めた“世界を破壊したい”衝動。
「クロぉ~。そんな顔しない。料理、見ててよ」
アヤコの声に、クロはわずかに目を伏せた。
「……はい」
二人はそのままキッチンへ向かう。一方、シゲルはすでに冷蔵機に酒とつまみをしまいながら、高級ビールの蓋を迷いなく開けていた。
「じいちゃん!」
「俺は運転して働いた。あとは任せる」
そう言い放ち、ソファー脇の調理機にプレートを滑り込ませる。正確には、自分の座る位置のすぐ隣だった。
「今日はソーセージがいいな。ビールに合うし、この高いプレートでどう変わるか、ちょっと気になる」
メニューを操作し、五種盛りを選択。しばらくして、プレートの中からふわりと湯気が立ちのぼる。そこに現れたのは、さっきまで“ゴムの塊”だったとは思えない――ふっくらと焼き上がった、見事なソーセージの山だった。
「おかしいです……どうしたら、あんなゴムが、ソーセージに……?」
クロが震える声で呟くと、シゲルはビール片手に、どこか誇らしげに語り始めた。
「加工プレートの正体は、大豆だ。農業エリアで育てた加工用大豆。それを分解して、栄養素とタンパク質を抽出、再構成する」
「構成、ですか……」
「そう。ベースは野菜ゼリー、肉ゼリー、海鮮ゼリー、加工添加物。そこに主素材プレートを足して、内部で分解・混合・再構成。味も香りも、ぜんぶ計算済みだ」
シゲルはできあがったソーセージを箸でつまみ、口に運ぶ。
「――で、うまい。信じられんかもしれんが、これが今の“料理”だ」
クロは黙って、湯気の立つ皿を見つめていた。香り、色、形。感覚だけを頼れば、それは確かに“食べ物”だった。
だが、その根底には――大きな違和感が横たわっていた。
(これは……料理じゃない。ただの、構築作業……)
調理とは呼べないその行程。火も包丁も要らない。素材は“ゼリー”。完成は“出力”。
「アヤコ。料理すると言いましたが……」
震え混じりに問いかけるクロに、アヤコは調理機を操作しながら振り返る。
「ん?同じやり方だよ。クロは何がいい?好きな料理、ある?」
無邪気な笑顔。だが、それが――クロにとってはとどめだった。
(料理じゃねぇ!!!!)
叫びは、心の中でしか響かない。
「料理を作る、と言ってましたが……私は、それを“料理”とは認められません」
静かな、だがはっきりとした拒絶。
「えー、せっかく私が作るって言ってるのに?」
アヤコは少しだけ頬を膨らませる。
だが、クロは首を振った。
「それは料理ではありません。あれは――“構成”です」
その声には、静かに湧き上がる拒絶と、切実な想いが滲んでいた。
「料理とは……素材を選び、理解し、下ごしらえをして、味を染み込ませ、火で丁寧に仕上げることです」
一つ一つ、言葉を刻むように。
「ご飯だって、稲から育てた米を洗って、浸して、焚き上げる。それが“料理”なんです」
その言葉の裏には、かつて自分が見ていた“本物の食事”への憧憬があった。温度、香り、湿度、手触り――すべてが記憶の底にあった。
しかし。
「いや、聞いたことないよ。それにさ、コロニーで火を使うなんて、最悪でしょ?」
アヤコは呆れたように笑った。
火気使用は、コロニーで規制されている。それは、クロも理解している。
沈黙したクロに、シゲルが言葉を継いだ。
「面白いな、クロ。お前、ずいぶん原始時代にいたんだな。今どきそんなのやってるのは皇帝とか、王族くらいだろ」
「……は?」
ぽつりと漏れた戸惑いに、シゲルは今度は真面目な口調で続けた。
「今の時代、農業や畜産なんて無駄そのものだ。広い土地も時間も要る。そんな手間をかけて作るのは――コストが合わん」
「……」
「それに、このコロニーには約500万人が暮らしてる。全員に“本物”を届けるなんて、どう考えても非現実的だ。だから、構成技術が進化した」
その言葉に、クロは……否定できなかった。
効率。人口。供給。すべてが理にかなっていた。
「……悔しいですが。……その通りです」
わずかに震える声。けれどそれは、納得ではなく――譲歩だった。
「クロ。それで、何が食べたい?」
空気を察したのか、アヤコがそっと肩に手を置いて尋ねてきた。声は柔らかく、どこまでも優しかった。
クロは少しだけ目を伏せ、息を整えてから答える。
「……では、ご飯と、みそ汁。生姜焼きに……焼き鮭を」
言葉にするたび、胸の奥にあったなにかが、静かに落ち着いていくのを感じた。
「渋いね。いいよ、ちょっと待っててね」
そう言ってアヤコは調理機へ向かい、各種ゼリーを手際よく補充し始める。主食プレートに、魚用、肉用――それぞれ対応する素材を、順番に挿入していく。
白いゼリーは、見た目が炊飯器というより給湯ポットに近い調理機へと入れられた。装置のインジケーターが反応し、静かに処理を始める。
「クロの食器、一回洗うね。そこにある洗浄機に入れておいて」
アヤコが指さした先には、引き出し型の食洗器が備えられていた。
(……あまり変わってないように見えるけど)
そう思いながら、クロは先ほど購入した黒地に赤いラインの食器セットを一つずつ丁寧に並べていく。
引き出しを閉じた瞬間、機械が反応し、わずか十秒ほどで洗浄と乾燥が完了した。
(進化してないと思ったけど……中身は別物か)
そう思いながら、クロはそっと息を吐いた。この世界の“当たり前”は、やはりどこか――不思議なほど合理的だった。
「洗い終わったら、まずお皿ちょうだい」
アヤコの声に、クロは洗浄機からお皿を二枚取り出し、そっと手渡した。受け取ったアヤコは、できあがった料理を手際よく盛りつけていく。
再構成された焼き鮭と生姜焼き。皿の上には、湯気とともに、かすかに焦げ目のついた肉と、ふっくらとした魚が並んでいた。
「お椀とお茶碗もお願い。残りの食器はそのままでいいよ。あとで片づけるから。まずは、この料理をテーブルに運んで」
「……はい。ありがとうございます」
クロは素直に返事をして、料理の乗った皿を丁寧に運ぶ。テーブルの上に置かれた皿を、じっと見つめた。
焼き鮭と生姜焼き――。
見た目は申し分なく、湯気から漂う香りも、どこか懐かしさを誘うような匂いだった。
「……本物じゃないくせに、この匂いと焼き加減……」
ぽつりと漏らした言葉に、アヤコの明るい声が返ってくる。
「本物だってば。ほんと凝り性だね、クロって」
クロはゆっくりと首を振る。
「凝り性ではありません。ただ……期待値が高かった分、その落差を体感しているだけです」
感情を抑えた口調だったが、その奥には“寂しさ”が静かに潜んでいた。
「そんなに言わないの。だったらさ、今度どこかの惑星に行ったときに探してみなよ」
アヤコは軽く笑いながら、炊飯機の操作パネルに指を滑らせる。
「でもその“クロ流料理”?すっごく手間かかりそう~。私だったら一発でギブアップだなあ」
そう言いながら、白いゼリーの入った調理機――炊飯器というよりは給湯ポットに近い装置のボタンを押す。
すると、筒状のノズルから、お茶碗へと白く光沢のある“ご飯”が巻かれるように盛られていく。その様子は、まるでソフトクリームだった。
クロはその光景を見つめたまま、言葉を失う。
「…………うそ、でしょう……」
呟きは、驚愕と静かな絶望が交じり合った、まさに本音だった。
だが、衝撃は終わらない。今度は別のポット型調理機から、みそ汁が注がれ始める。具はきちんと入っている。だが、まるで給湯機のように機械的に注がれるその動きに、どこか“情緒”はなかった。
「クロ、これも運んでね」
アヤコが楽しげに声をかける。片手には、熱々のみそ汁を湛えたお椀。
「じいちゃんはどうする?」
「ご飯と、ホッケ」
ビールを口にしながら、シゲルが短く答えると、すぐ端末を操作する。空中にホログラムモニターが展開され、映像が浮かび上がった。
昨日と同じようにスポーツ中継かと思ったが、画面に映し出されたそれは――クロの知る“スポーツ”とはまったく異なるものだった。
「これは……?」
「ん?エアバイクバトルだ」
シゲルは缶を片手に言う。
画面の中では、すでにレースが始まっていた。しかしそこでは体当たりは当たり前、銃火器が飛び交い、シールド膜での防御。挙げ句には、実体剣で斬りかかる者までいる。
「……物騒すぎませんか?」
呆然と呟いたクロに、シゲルはあっさりと言い返した。
「お前が言うか」
返す言葉もなく黙り込むクロ。その横では、アヤコが手際よく食器を並べ終えていた。
クロはふと、自分の置いた黒地に赤いラインの食器に目をやる。
湯気の立つ焼き鮭。香ばしい生姜焼き。ポットから絞り出されたはずのご飯も、こうして並べられると、妙に“まとも”に見えてくる。
けれど――心のどこかで、まだ認めきれない何かがあった。
(……これが、食事?)
理解はできる。味も、香りも整っている。栄養も充分、効率も完璧。でも――何かが、足りなかった。
その“違和感”の正体を、クロはまだ言葉にできなかった。それでも、ふと気づく。アヤコとシゲルが座るテーブルに、自分のための席があるということに。
(……それでも)
クロは静かにソファーに座った。
(……これは、悪くない)