グレゴの胃痛とクロの正義
コロニーに到着した一行は、余ったノードスパイアをギルドの資材倉庫にいるゲンさんに返却し、クーユータをドッグに帰港させる。そのままギルドへ転移を行い屋根裏に移動した一行は、無言のまま階段を下り、カウンターへと向かっていく。
カウンターには、グレゴがおりクロたちに気づき顔を上げた彼は、歩み寄ってきたエルデの様子を見て、わずかに眉をひそめる。
「どうやら、初めて見たクロの戦闘に驚いたようだな」
ニヤリと笑いながら言葉をかけるが、エルデは小さく首を振った。
「違うっす……クロねぇの話に、疲れたっすよ……」
肩を落とし、力の抜けた声でそう返すエルデに、グレゴは目を細める。
「クロ“ねぇ”? 呼び方が変わってるのも気になるが……どういうことだ?」
エルデはカウンターにもたれかかり、肩を落としたまま遠くを見るような目でため息をつく。まるで、魂が半分抜け落ちたかのような顔だった。
「それがっすね……」
重い口を開こうとしたその瞬間――
「それは今はどうでもいいです」
クロがすっと割り込む。
いつものように、端末をカウンターの読み取り部分に置き、グレゴの方へ視線を向けた。
「それよりも、ノードスパイアの設置と、緊急でバルチャーの討伐。完了しています」
事務的でそっけない報告だったが、その遮り方にはどこか“意図的な匂い”があった。グレゴは一瞬だけ眉をひそめるが、横で虚脱しているエルデの様子をちらりと見て、すぐに納得した。
「……まあいい。確認するぞ」
カウンター奥のギルドの端末に手を伸ばし、クロの端末から報告データを読み取る。映像ログを再生し始めたその瞬間――
「クロ! てめぇ! こんな汚ぇもん見せんな!!」
怒鳴り声がギルド内に響き渡った。
カウンターのディスプレイには、ノードスパイアの映像が映し出されている。だがそれは、本来の機能的な姿とは似ても似つかない。表面全体にバルチャーの汚物に汚され、濃厚な液体が塗りたくられ、茶褐色の斑点と粘性のある汚れがべったりとこびりついていた。
グレゴは反射的に目をそらしながら、顔をしかめる。
「……朝メシ返すかと思ったぞ、コラ……」
「記録です。状況を正確に伝えないと意味がありません」
淡々と返すクロに、グレゴの額に青筋が浮かぶ。次の瞬間――
ドンッ!
カウンターが低く鳴るほどの音とともに、グレゴの拳が叩きつけられた。
「なら先に言えよ! いきなり汚ぇもん見せんな! 何度も言わせるな、“常識を身につけろ!!”」
響き渡る説教に、ギルド内にいた少数のハンターたちが肩を揺らし始める。グレゴの背後にいた職員のひとりも、こらえきれずにぷっと吹き出した。
クロはといえば、怒鳴り声にも動じず、ただ首を傾げて返す。
「“汚い”は主観です。映像の内容そのものは、正当な報告項目です」
「……そういう問題じゃねぇ!」
グレゴがこめかみを押さえながらうめくように叫んだ時、エルデが小さく呟いた。
「……むしろ、見るより文面にする方がキツいっすけどね……」
グレゴの目がぴくりと動いた。
「まさか……これ、報告書に書く気か?」
「はい。“バルチャーの排泄物と思われる物体が、ノードスパイアに広範囲に付着”……で、どうです?」
「やめろ! 飯がまずくなる!!」
再び飛んだ怒鳴り声に、ギルドの空気は笑いと共に一層くだけていくのだった。
グレゴは忌々しげにクロを睨みつけながら、ぶつぶつと文句を言いながら処理を済ませる。報告内容を確認し、端末を操作しながら、小さく悪態を漏らした。
「……クソがっ!」
「まさにですね」
即座に返されたそのひと言に、グレゴの額が跳ねた。
「お前が言うな!!」
再び、カウンターに拳が叩きつけられる。強い音が空間に響き、職員の笑いが再燃した。
「ったく……もういい。早く帰れ!」
グレゴが顔をしかめながら手を払うように言うと、クロは静かに頷き、腰のホルダーに端末を戻す。
「了解しました。それでは、また」
「覚えておけよ、クロ!」
最後に飛ばしたグレゴの一声を背に、クロたちはギルドをあとにした。
その背中を見送りながら、グレゴは肩を落とし、こめかみを押さえる。
「まったく……仕事は素早いのに、どうしてこう……」
ぼやき混じりの呟きに、背後で控えていた女性職員が穏やかに笑った。
「仕方ないですよ。まだ子供なんですから。優秀ですし、大目に見てあげましょう」
クロの正体を知らないその言葉に、グレゴは深く息を吐いた。
「子供か……そうだな、子供なんだよな……」
その呟きに続く声は、もはや誰にも聞こえないほどの小ささだった。
(……本当の子供だったら、どれだけマシか)
目を細め、先ほどのクロの背中を思い出す。自分の自由を謳歌するその姿は、真っ直ぐで、妙に落ち着いていた。だがその奥にある“本質”を知る者にとっては、あまりに重いものだった。
グレゴはカウンターの端に肘をつき、かすかに笑う。
バハムートとは思えない行動。けれど、だからこそ――救われることもある。
今のギルドにとって、あの少女が“らしくない”のは、悪いことではなかった。