嵐の説教タイム
虚空に散った群れの残滓が、きらきらと光の粉のように漂っていた。戦場の余韻というにはあまりに軽い光景。その中心で、バハムートの巨躯は沈黙のまま静止している。重苦しい空気が支配し、肩にいるヨルハも言葉を失っていた。
「……」
耐え切れなくなったように、ヨルハが小さく咳払いをする。
「バハムート様……その、次がありますよ」
控えめな声音に、エルデの通信がおずおずと重なる。
『そ、そうっすよ……あの、映像、消しとくっすか?』
だが、バハムートは答えられなかった。拳を放てば、一撃で砕け散る。蹴りを繰り出せば、跡形もなく霧散する。技を叫ぶまでもなく、フレアソードを抜くまでもなく、ヨルハの機敏な動きもあって群れはあっさりと滅んでしまった。
そこに残ったのは、勝利の充実ではなく、どうしようもない虚しさとやるせなさだった。喉奥までせり上がった叫びは、結局行き場を失い、胸の内で澱のように渦を巻くだけだ。
「……ノードスパイアを設置して、帰る」
低く押し殺した声に、ヨルハが即座に頷く。
「わかりました」
エルデも短く返す。
『了解っす』
その簡潔なやり取りには、主の苛立ちを敏感に察したがゆえの遠慮があった。二人は言葉を重ねず、端的に従う。
やがて、バハムートの疑似コックピットから降りたクロは、近づいてきたクーユータからスパイクを受け取った。無機質な光を宿す装置を手に取ると、すぐさま設置作業に移る。
『起動確認っす。20本、すべて正常稼働したっす』
冷えた報告が終わると、船内には重い静寂が戻った。先ほどまでの戦闘は、あまりにも一方的で、冗談のように幕を下ろした。その余韻を引きずるかのように、空気だけがひたすらに冷えていく。
バハムートとヨルハはクーユータへ戻り、本体から離脱すると無言のまま船内へと戻ってきた。
リビングでは、クロがソファーに深く腰を下ろし、身じろぎひとつせず俯いていた。その傍には、クレアが静かに寄り添っている。言葉は交わされず、ただ沈黙だけが場を支配していた。
すぐ前方のブリッジの操縦席では、エルデが気まずそうに背中を丸めたまま、航路データを操作していた。ちらと視線を後ろへ向ければ、クロの背中が目に入る距離。けれど、今の彼女に何をどう声をかければよいのか、まったく分からなかった。
「……次です」
ぽつりと落ちた声が、空気を振るわせた。小さな呟きだったが、静まり返った船内にははっきりと響いた。
「次ですか?」
クレアが顔を上げて問い返す。その視線に応えるように、クロはすっと立ち上がった。
ぎゅっと拳を握りしめる。その動きには、静かな怒りと誇りが混じっていた。
「次を見ていなさい。その時こそ“伝統”を示し、その素晴らしさを理解させてやる」
言葉に込められた熱量が、部屋の空気を変える。けれど――
「クロねぇ、バハムートの“地”が出てるっす……そんなに重要っすか?」
ブリッジ側からの、のんきな声が響いた。空気が一瞬にして凍りつく。
クレアは反射的に「あっ」と小さく声を漏らした。出発時に注意されていた、エルデの“なんでも口にする癖”。今の空気を読まずに放たれたその一言は、まさに爆弾だった。
沈黙の中、クロの目がゆっくりと細められる。
胸の奥底――何層もの記憶の奥に封じていたものが、静かに姿を現す。転生前の魂に深く刻まれた、憧れと敬意と、夢と呼ぶにはまっすぐすぎる想い。
それは、言葉ではなく信念だった。伝統とは、ただ受け継ぐものではない。血のように燃え、心を震わせるもの。
クロの口元がわずかに歪む。
「エルデ……貴方には、ロマンが必要ですね」
その声音は、深海の底から響くように低く、静かだった。だがその奥に秘められた熱は、確かに空気を焼いた。
思わずエルデは肩をすくめ、小さくひっと息を呑む。
操縦席のすぐ背後――そこから、ひたひたと忍び寄る気配。視線を感じるでもなく、ただ圧が背中に張りついてくる。
「コロニーに着くまで、まだ時間があります。ゆっくり、ええ、ゆっくりと語りましょうか」
その声音は妙に穏やかで、逆に怖い。ぞわりと背筋が冷える。
「ま、まずいっす……」
そう呟いた時には、すでに遅かった。
「まず、スーパーロボットとは“正義の味方”です。神にも悪にもなれる存在。勇者と呼ばれる者たち。心を一つにして戦う者たち。白い悪魔と呼ばれる者。一方的に粘着する者」
抑えた語調から立ち上るのは、限りない熱。もはや開放された情熱の奔流。
「ちょっ、ちょっと待つっす! なんっすか? 変なの混じってないっすか!」
エルデが慌てて振り返るが、クロはまるで聞いていない。瞳は遠くを見つめ、どこか懐かしさすら帯びている。
「いえ。これらは全て、私の擬態の元となっている“先輩”たちです! そこに――新たに、私も加われるんです!」
「でも、クロねぇはバハムートっすよね? 竜っす。ロボットじゃないっすよ?」
――図星だった。
その一言が、クロの胸を鋭く突いた。たしかに、今の身体は竜であり、この世界の“スーパーロボット”の文化は既に廃れつつあり子供向けのスーパーロボットぐらいしか存在しなくなっていた。クロの思いは、あくまでも前の世界のもの。誰にも理解されない、ただの憧れ。
「……それはそれ。“これはこれ”です」
低く返された声に、エルデは背筋を正す。これはもう、止まらない。
「エルデには、どうやら“素晴らしさ”を知らないようですね」
そう告げると、クロは勢いのまま語り出した。いかにスーパーロボットが輝いていたか。理不尽な絶望に立ち向かい、誰かのために力を振るうその姿が、どれだけ心を打ったか。味方の裏切り。敵との共闘。かつて心を揺さぶった“ドラマ”たち――それらすべてを、クロは言葉にして溢れさせた。
「……つまり、そこには“魂”があるんです。演出ではなく、意志としての叫びが!」
エルデは、何度も「はぁ……」「なるほどっす……」と頷いてみせるが、その実、三割も頭に入っていない。
そしてその様子を、ソファーの上で小さくなっていたクレアが、そっと息を殺して見つめていた。その姿はまるで、“嵐が過ぎ去るのを待つ小動物”そのものだった。