敵と伝統
バハムートは静かに姿勢を低く構え、その巨体を流れるように加速させながらバルチャーの座標へと突き進んでいく。ゴーグルの照準には、すでに赤いマーカーが点滅していた。
『クロねぇ、そのまま真っすぐ行くっす。その先に群れがいるっすよ』
エルデの通信が入る。バハムートは無言で頷くと、虚空の先を見据える。その視線の奥で、クロの意識は一点に集中していた。
(……ヨルハとエルデに、“技名”の本質を伝えるには、どうしたらいい……?)
その問いが頭の中を巡る。だが、すぐに結論は出た。
(――もう、あれしかない)
その時だった。肩に乗っていたヨルハが前方を指し示すように言う。
「バハムート様。いました。あれが……バルチャーです」
その声に応じて視線を上げると、前方に多数のバルチャーが群れを成して進んでいるのが見えた。鳥のような翼をたゆたわせるように、宇宙の無音を切り裂いて飛行している。だが、こちらに気づいた群れは――
一斉に、逃げ出した。
「ヨルハ、回り込んで逃げ道を塞げ。もし散開したら各個撃破だ」
バハムートは即座に指示を飛ばす。そして次に、ブリッジのエルデに通信を開く。
「エルデ。今回の戦闘は、通常ログとは別に“映像として”記録しておけ」
『えっ、了解っすけど……何に使うんすか?』
「決まっている。技名の“威力”と“重み”を、映像で見せてやるためだ! 叫びの価値をな!」
『……クロねぇ、それって戦闘の目的が変わってきてるっす……』
エルデの正論は、静かに通信に吸い込まれていった。
「ヨルハ、仕掛けろ!」
「了解です!」
バハムートの肩にいたヨルハが、そのひと声で駆ける。漆黒の軌跡を引いて、群れの進行方向を塞ぐように宙を斬る。
一方、バハムートは拳を軽く打ち合わせ――
「まずは格闘戦からだッ!」
宣言とともに、巨体を揺らしながら一気に突撃する。だが――その直後、思わず呻きが漏れた。
「……小さすぎる!」
予想を遥かに超えた、“サイズ差”だった。
バハムート――その全長はおよそ300m。星々を背景に進むその巨躯は、まさしく“巨大機”と呼ぶにふさわしい擬態で威容を誇っている。だが、対峙する相手――バルチャーのサイズは、それとはまるで釣り合っていなかった。
群れを形成しながら滑空するバルチャーたち。翼を最大限に広げた個体でも30m。本体そのものの体長は10mにも満たず、大型個体ですら20mに届かない。眼前に迫るその姿を見た瞬間、バハムート――正確には内部のクロの意識は、明確な錯誤に気づくことになる。
(……小さい。あまりにも……!)
怪獣という言葉の持つ意味を、完全に“誤解”していたのだ。これまで相手にしてきたのは、宇宙サメやホエールウルフといった超大型種。いずれもバハムートと同等、あるいはそれ以上の質量と威圧感を備えた存在だった。だからこそ、クロの中では――
「怪獣=巨大なもの」という刷り込みが、すでに無意識レベルで成立していた。
汚物まみれのノードスパイアに残された痕跡からも、バルチャーは大型怪獣と確信していた。さらに言えば、バルチャーの生態ログを確認した際も、“見た目”に意識がいっており、肝心のサイズ表記など目に入っていなかった。
――要するに、いつもの“ポン”である。
その事実に気づいた瞬間、バハムートが叫んだ。
「……これでは! これでは、本質が伝えられん!!」
群れの中を駆け回る“小鳥サイズ”のバルチャーたちを前に、あらゆる構想が音を立てて崩れていく。
――この戦いは、技名の重みを示すための“戦い”だった。だがこのままでは、叫んだ側がただの“浮かれたバハムート”になってしまう。
バハムートの拳が、じり、と握られる。このままでは終われない。何としてでも、技名の意味を、叫ぶことの価値を、証明しなければならない。
「バルチャー……許すまじ!!」
それは、もはや八つ当たりと呼ぶほかない怒声だった。虚空に響くその叫びは、無音の宇宙に吸い込まれていく。
伝えたかったものが、ただ空回りした――その悔しさに、拳が震えた。
バハムートが拳を振るうたび、バルチャーの群れは塵となり、無残に霧散していく。まともな抵抗も見せられず、爆ぜるように四散するその姿には、もはや“戦い”という語の重みすら感じられない。――技名を叫ぶには、あまりに役不足。むしろ、技を出す前に相手が消えてしまう。
(くそっ……! こんなはずじゃ……!)
バハムートの内心は、焦燥にも似た苛立ちに染まりつつあった。せっかくの実演の舞台――“伝統”の意義を示す絶好の場が、まるで茶番のように終わっていく。このままでは、ヨルハにもエルデにも響かない。
(頼む……今こそ……起死回生の“敵”が現れてくれ……!!)
その祈りが、果たして星の海に届くのか。あるいは、届いたとして――どんな答えが返るのか。
それはまだ、誰にも分からなかった。