伝統という儀式
『クロねぇ、記録終わったっす。破壊してもいいっす』
「了解。では、処理に入ります」
エルデの通信に頷きながら、クロはヨルハのもとへと戻る。そして、真剣な声で告げた。
「ヨルハ。あのスパイアを含めて、周囲一帯をフレアで一掃してください」
「了解しました、クロ様!」
ヨルハはその場で体勢を整え、口を大きく開く。内部のエネルギーコアから熱量が集束し、フレアが喉奥で脈動し始める。
だが――その直前で、クロが付け加えた。
「……ブレスを吐くように、フレアを広範囲にばら撒く感覚でお願いします。そして――技名も、ちゃんと叫んでください」
「……必要ですか?」
わずかに戸惑う声に、クロは真剣な面持ちで大きく頷いた。
「絶対に必要です。これは伝統ですから」
「……承知しました」
ヨルハは微かに間を置き、フレアを一定範囲に収束させると――
「……フレアブレース」
どこか平板な声で技名を呟き、その瞬間、漆黒の閃光が広がる。破壊する光の奔流がノードスパイアもろとも汚染物を塵に変え、宇宙の一点が美しいまでに“無”へと戻った。
だが、クロの眉間にはうっすらとしわが寄っている。そして、静かに指摘した。
「ヨルハ。何故、叫ばないのです?」
「いえ……その、戦闘中でもありませんし……これはただの汚物処理でしたので……」
ヨルハが遠慮がちに答えると、クロは真面目な顔で首を横に振る。
「そういうことではありません。たとえ処理対象が何であれ、技名は叫ぶものなんです。これは様式美であり、伝統なんです!」
「……伝統、ですか」
「はい。私たちの先輩方は、どんな状況でも必ず叫んでいたのです。それが一撃必殺でも……汚物処理でも!」
その熱弁は、クーユータに戻るまでの間、ヨルハの頭上にじわじわと降り注ぎ続けた。背中で黙って聞きながらも、ヨルハはひたすら無言を貫いていた。
『クロねぇ、もう一本のスパイア、確認しに行くっすけど――このまま向かって大丈夫っすか?』
「行ってください。……残り一本、きれいであることを祈りましょう」
『了解っす』
クーユータは静かに進路を変え、最後の座標へ向かって滑るように移動する。
だが――その数分後。
『クロねぇ! 緊急事態っす! レーダーに反応ありっす! バルチャーが近くにいるっす!』
緊迫したエルデの声が通信に飛び込んできた。だが、クロの目がむしろ静かに光を帯びる。
「――タイミングがいいですね。伝統を披露する場が整いました」
その言葉と同時に、クロの姿がふっと消える。瞬間転移によって、バハムートの疑似コックピットへと移動していた。
「エルデ。バハムートで出撃します。下部ハッチ、開けてください」
『いつの間に……!? りょっ、了解っす!』
クーユータの格納庫が、低くうなるような駆動音とともに開く。次いで、固定アームがせり出し、その中央――漆黒の巨体が、静かに宇宙空間へと押し出されていく。
バハムート。宙に出たその全身が星光に照らされ、滑らかな装甲がわずかに輝いた。そして――
「バハム~~~~~ト! GO~~~~ッ!!」
星々の海に響き渡る、全力の叫び。ポーズを決め、両腕を大きく広げたその姿は、どこか様式美すら感じさせる堂々たるものだった。
そしてクロの心中には、確かな感覚があった。――これは私の精神を“起動”させるスイッチでもある。叫ぶことで、戦う自分に“変わる”。それは、かつて多くの戦士たちが実践してきた、ひとつの“儀式”だった。
……だが、ヨルハとエルデは沈黙していた。
ヨルハは、口を開きかけて、やめた。エルデは操縦席の背もたれに体を沈め、天井を見上げながら、小さく肩を落とす。
「……これも、伝統というやつだ」
苦もなく言い切るクロの声に、数秒の間をおいて――
『……奥深いっすね……』
どこか遠い目をしたようなエルデの声が返ってきた。
しかし、バハムートは気にするそぶりも見せず、すぐさま指示を飛ばす。
「エルデ、ゴーグルにバルチャーの位置を表示しろ」
『はいっす! ターゲットの位置をマーク、表示したっす!』
クロの視界内――ゴーグルの投影に、赤く点滅するマーカーが浮かび上がる。
そのとき、バハムートの肩にふわりと降り立つヨルハにバハムートは視線を向け、声を張る。
「さあ、ヨルハ。今度こそ、“技名”の重みってやつを、見せてやろうじゃないか!」
威勢よくそう叫びながら宇宙を進むバハムート――その巨躯は、星々の海を切り裂くように堂々と進んでいた。
どれだけ時代が変わろうとも、どれだけ実戦的な合理性が求められようとも――あの言葉を、叫ばずにはいられない理由がある。
かつて、数多の巨大機体たちが技名とともに拳を振るい、光を撃ち、未来を切り拓いてきた。
それを知るバハムートにとって、技名とはただの飾りではない。
声を発し、名を打ち鳴らすことで、思考は整い、血が沸き立つ。それは、心に火を灯すための“儀式”であり、戦う者たちの“矜持”であり、“美学”であった。