ノードスパイアと操艦指導
その様子を横から覗き込んでいたエルデが、ぽつりと口を開く。
「ちょっと不思議に思ったんすけど……どうして、IDって消されないんすか?」
その問いに、グレゴはすぐさま首を振った。顔をしかめ、わずかに身を乗り出す。
「消されねぇんじゃねぇ、消せねぇんだ。タグ情報ってのはな、原則“上書き”はできても、“削除”は不可能な設計になってる」
その声には、先ほどまでの冗談めいた調子が消えていた。わずかに低く、言葉の端に警告めいた重さがにじんでいる。
「無理に消そうとすりゃ、その戦艦や機体そのものが停止する。セーフロックが作動して、起動そのものが無効になる構造だ。……ギルドの認証を通さなきゃ、上書きすらできねぇようになってる」
「なるほど……不正を防ぐってことですね」
クロは静かに頷きながら、続けて問いを重ねた。
「でも……それなら、私が使ってる“偽装ID”は? 本来の登録とは違う情報になってますよね?」
一瞬、グレゴの眉がぴくりと動いた。それから、カウンター越しに身を寄せ、声をひそめる。
「……おい、そういう話はここ以外ですんなよ?」
呆れたような目でクロを見やりながら、肩をすくめる。
「まあ、察しはついてるさ。アヤコちゃんが、うまいこと組み込んだんだろ。お前専用の端末に、な」
クロは言葉を返さず、視線を落とした。その口元には、わずかに意味を含んだ笑みが浮かんでいる。
「逆に言えば、それだけ小型ってことだ。IDタグなんて今じゃ米粒以下のサイズだ。極端な話、皮膚の下に埋め込めるくらいにはな」
「……便利ですね。だからこそ、怖いとも言えますけど」
「そうだな。便利ってのは、得てして危ういもんだ」
グレゴの声に、一瞬だけ重たさが宿る。その空気のなかで、ふとエルデが真顔で頷いた。
「なるほど~~~」
横で見ていたクロが、小さく目を細めて問いかける。
「……わかってないですよね?」
「はいっす!」
即答するエルデに、グレゴは深々とため息を吐き、カウンター越しに額を押さえた。
「てめぇ……なんなんだよ、この真面目な時間はよぉ……!」
「ひぃ~~~!すいませんっす!」
エルデが頭を抱えて縮こまると、その様子にくすりと笑い声が漏れた。離れたテーブルで休んでいた数名のハンターたち、そしてカウンター奥にいた職員までが、つられるように小さく肩を揺らしている。
その雰囲気に、クロはわずかに頬を染めた。和やかな空気は嫌いではないが、今は――と、小さく咳払いをして本題に引き戻す。
「グレゴさん。とりあえず、エルデには後できちんと言っておきますので……依頼の話に戻りましょう」
「あいよ。まったく……」
グレゴはまだ呆れ顔のまま、端末を操作する。
「依頼は簡単だ。指定された宙域にノードスパイアを設置し、起動確認をして帰ってくるだけ。内容は端末に送っておいた」
ピンという軽い通知音が鳴り、クロたちの端末に新しい依頼データが届く。クロが手元の画面を確認しながら、声に出す。
「……ノードスパイアは、ギルドの資材倉庫で受け取り、ですね」
「ああ。そっちで直接受け取ってもいいし、運搬の手間を省くなら、お前のコンテナに積んで送っとくこともできる。どっちにする?」
グレゴが確認するように視線を上げ、端末の操作を一時停止する。
クロは少しだけ視線を宙に泳がせ、思案するように唇を引いたあと、静かに答えた。
「……初めてクーユータを用いての依頼ですので、資材運搬倉庫で受け取って確認しながら動きます。移動後に倉庫で受け取りでお願いします」
「了解だ」
グレゴが頷き、再び端末に手を伸ばす。画面上に表示された依頼コードに入力が走り、搬出処理が開始される。
「コンテナ運搬じゃねぇ分、多少の手間はかかるが……ま、練習にはちょうどいいな。操艦はエルデでいいのか? それと、クーユータの搬出入口はどこにある?」
グレゴの問いに、クロはすぐに応じた。
「はい。艦の上部に設置されています。搬出も操艦も、今回はエルデに任せます」
その言葉に、グレゴは小さく頷き、視線をエルデに向ける。その眼差しは、さっきまでの軽口とは違い、明確な“教官”のものだった。
「よし。じゃあ、よく聞けエルデ。宇宙に出たら、まず資材倉庫の搬出口と、クーユータの搬出入口の位置を正確に合わせろ」
「はいっす!」
エルデは背筋を伸ばし、真剣な表情でグレゴを見つめる。
「位置を合わせたら、コロニー側から資材搬出ブリッジが伸びてくる。まずはそれが完全に接続されるのを確認しろ。接続されたら、クーユータ側の搬出ハッチを開ける。その後、ギルド側の搬出口を開く」
「順番、大事っすね……」
「そうだ。いいか、絶対に気密を保て。宇宙空間じゃ油断ひとつが命取りだ」
グレゴは指を一本立て、強く言い聞かせるように続けた。
「ブリッジが接続されてから、順を守って開閉しろ。運び込みはギルド側が担当するから、お前は艦の制御と動線の確認に集中しておけ。搬入が終わったら、離脱の際に同じ手順を逆に辿る。順番を間違えんなよ?」
「了解っす!」
エルデは拳を握りしめ、気合い十分の様子で答える。その声に、どこか頼もしさが感じられた。
グレゴは鼻を鳴らしながらも、ほんの僅かに口元を緩めていた。