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バハムート宇宙を行く  作者: 珈琲ノミマス
惑星に巣くうもの
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床で寝るな

 その後は、取りとめのない会話を交わしながら順番に風呂を済ませ、自然な流れで就寝準備へと移っていく。


 ところが、その過程でエルデがやらかした。


「自分はここで寝るっす」


 そう言って、リビングの床を指差し、そのまま横になろうとする。


 クロは眉をわずかにひそめ、その手を止めさせるように一歩近づいた。声は低いが、わずかに硬さを帯びている。


「……私の部屋に来てください」


 その眼差しに、エルデは背筋をぴんと伸ばし、反射的に即答する。


「はいっす!」


 アヤコは苦笑を浮かべながら、二階へ向かう二人の背中を見送る。階段を上がる途中、自室の前で足を止め、軽く手を振った。


「クロ、クレア、エルデ。おやすみ」


「おやすみなさい」


 互いに短く挨拶を交わし、アヤコはドアを開けて消え、クロはエルデを伴って廊下の奥の自室へ向かう。


 部屋へ入ると、外よりもわずかに暖かい空気が包み込む。クロはドアを閉め、振り返ってエルデを見据えた。淡々とした口調の奥に、叱責の響きが混じる。


「エルデ。これまでの生活が一変したのは理解しています。しかし……リビングで、しかもソファーならまだしも、床で寝るとはどういうつもりですか?」


「……すいませんっす。その……」


 視線が落ち着かず、言葉を選びあぐねているのが見て取れる。指先は落ち着きなく毛布の端をいじっていた。


 その様子を見たクレアが、クロの肩からぴょんと飛び降り、エルデの正面に立ちはだかる。


「エルデ! クロ様に説明しなさい!」


「クレア、言い過ぎです」


 クロは小さく息を吐き、片手を軽く振ってクレアをたしなめた。エルデは視線を落とし、指先で床をなぞるようにしながら、ぽつりと呟く。


「……その、いつものことだったんで、ついっす……」


 ゆっくりと顔を上げると、その瞳にはわずかな戸惑いと、どこか申し訳なさが浮かんでいる。


「スラムの家じゃ、部屋は両親のもんだったっす。自分の寝床なんて、隅っこの床か、たまに空いた場所を借りるくらいで……」


 唇をかみ、言葉を切る。


「ランドセルじゃ、ちゃんと客室を使わせてもらってたっすけど床で寝てたっす……家も同じいいと思ったんすよ。だって……自分、一番下っすから」


 その言葉には、長年染みついた遠慮と上下関係がにじんでいた。クレアは一瞬言葉を失い、耳をぴくりと動かす。


 クロは短く目を閉じ、わずかに表情を和らげた――しかし、その声は芯の通った響きを帯びていた。


「事情は分かりました。では……これからは、その考えを上書きしなさい」


 そう言って、俯くエルデの肩にそっと手を置く。


 エルデは驚いたように顔を上げ、クロを見た。無機質だったその表情に、わずかな笑みがにじむ。


「この部屋は、私とクレア……そして、エルデの部屋です」


 一拍置いて、その意味が胸に届いた瞬間、エルデの顔がぱっと輝いた。


「だから――」


「わかったっす! ここの床で寝るっす!」


 クロの笑みがすっと消え、背後のクレアが盛大にため息をついた。


「……ベッドのこと、わざと無視しましたよね?」


 クロは呆れ混じりに眉をひそめ、しかし口調は淡々と保った。


「一緒にベッドで寝ましょうか。余裕で寝られますから」


 クレアもすかさず、ぴしっと指示を飛ばす。


「クロ様の命令です。エルデ、ちゃんとベッドで寝なさい!」


 エルデは両手を上げて降参ポーズを取り、少し照れたように笑った。


「……わかったっす。じゃあ、ありがたくベッドを使わせてもらうっす」


 その返事に、クロは小さく頷き、部屋の灯りをやわらかく落とした。


 ――翌朝。


 朝の光が差し込むリビングで、エルデはトーストをかじりながら、上機嫌でシゲルに昨日の出来事を語っていた。つまみと変なドリンクで盛り上がったことや、床で寝ようとして怒られたことなどを、嬉しそうに話す。


「いや~、家族っていいっすね。床で寝なくてもいいっすから」


「……お前ら、今日から床で寝やがれ!」


 唐突な怒声が響き、エルデはびくっと肩を跳ねさせる。


「ど、どうしてっすか? クロの姉御はベッドで寝ていいって――」


「やかましい! アヤコもクロもクレアも……お前ら全員昨日、俺のつまみを食いやがったな! よりによって高級な奴ばかり! 有罪! ギルティだ!」


「エルデ、無視していいからね」


 アヤコはまるで何事もないようにパンをかじり、クロはコーヒーを静かに口に運び、クレアはマイペースにミルクを舐めている。


「聞いてんのか、てめぇら!」


「聞いてるけど、私……言ったよね?」


「何をだ?」


 アヤコはにっこりと笑い、わざとゆっくり言葉を区切った。


「つまみ、捨てるって言ったよね。だから――私たちの胃に捨てただけだよ」


「…………」


 シゲルは無言でアヤコを凝視する。


「これからも胃に捨て続けるから、よろしくね」


「やめろぉ~~~~~!」


 その絶叫が、朝のリビングに響き渡った。


 ――そして今日も、この家は平和だった。

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