スラムの記憶
誤字脱字の修正しました。
ご連絡ありがとうございました。
何度も同じミスで申し訳ございません。
クロは肩を落としつつ、端末を片付けながらグレゴに向き直る。
「……じゃあ、チーム名は今日一日考えて、また明日来ます」
「ああ、真面目に考えろよ」
グレゴの念押しに軽く手を振って返事をし、クロはギルドを後にした。
外に出ると、人工の青空が広がり、照明パネルの光が街並みを柔らかく包み込んでいた。通りには屋台や雑貨店が軒を連ね、行き交う人々の服装もどこか華やかだ。クロは足を止めず、すたすたとジャンクショップへ向かう。だが、頭の中は先ほどのやり取りの続きに占められていた。
(チーム名……バハムートズ……いや、だめだな。なんか安直すぎる。響きは悪くないんだが……)
歩きながら眉間に皺を寄せ、頭の中で案を組み立てては壊していく。
その横で、エルデはきょろきょろと周囲を見渡しながら歩いていた。目に映るすべてが珍しいらしく、視線は常に忙しく動いている。
「綺麗っすね。スラムとは大違いっすよ」
吐息混じりにこぼれた言葉に、クロはふと思い出す。
「そういえば、エルデは惑星にいたんですか?」
問いかけると、エルデは首を横に振った。
「コロニーっす。ただ、こういう回転してるタイプじゃなくて……回転しないタイプっす」
「重力慣性制御……帝国らしいというか、なんというか」
クロは顎に指を当て、少し考えるように呟く。
その横で、エルデは淡々と、しかしどこか懐かしむように続けた。
「そのコロニーの下層を、勝手に広げた場所がスラムっす」
「……勝手に?」
クロの眉がわずかに上がる。
「それって、普通は広げられませんよね?」
「わかんないっす。生まれた時からあった場所っすから。ただ――」
エルデは一度視線を宙にさまよわせ、記憶を掘り起こすように言葉を探す。
「なんだっけ……近所のじいちゃんが、たしか『ここを壊したらコロニーが崩壊するよう細工してある』って言ってたような記憶があるっす」
クロは思わず口元を緩め、軽く息を漏らす。
「……それ、ただの脅しですね」
口元を緩めて返しつつも、視線は少しだけ宙を漂った。
(……まあ、もし本当だったら面倒な話だ。帝国の技術力なら、あながち冗談でもないかもしれない)
そんな思考を一瞬だけ胸の奥に沈める。
「まあ、嘘つき爺さんの言葉っすから信じられないっすけど……ただ、ここと比べるとかなり汚かったっすね。今の生活から考えると、ほんと天と地っすよ」
エルデの声色には、過去を笑い飛ばすような軽さが混じる。
「水や空気などは?」
クロの問いに、エルデは少しきょとんとしてから、あっけらかんと答える。
「知らないっす。考えたこともなかったっすね」
「……そうですか」
クロは苦笑を深めながらも、スラムという環境にますます興味を持ち始める。
「どんなところでした?」
クロの問いに、エルデは「スラムっすか……」と少し間を置き、ゆっくりと言葉を選んだ。
「どんなとこって言われたら、まず汚いっすね。油が酸化したみたいな焦げ臭い匂いが常にしてて、金属の軋む音や機械の唸り声が一日中響いてるっす」
そう言って片手を持ち上げ、指を一本折る。
「で、変な人が多かったっす」
もう一本。
「自称天才」
さらにもう一本。
「自称すご腕パイロット」
指を折るたび、どこか笑いを堪えているような顔になる。
「自称S級ハンター、自称医者……とか、色々いたっすね」
クロは半眼で聞きながら、ふっと鼻を鳴らす。
そして最後に指を握り込みながら、少しだけ柔らかい笑みを見せる。
「でも、自分も色々教えてもらったっす」
そう言うと、エルデの視線は遠くを見つめ、懐かしむ色を帯びた。
「そこら辺に転がってたコックピットで、シミュレーションの機動兵器操縦を教わったっす。最初は“へたくそ”って散々言われたっすけど……戦闘機の操縦は上手いって褒められたっす」
そこで小さく笑みを浮かべ、指先で空中に戦闘機の形を描く。
「でも、なんでホバリングするんだって呆れられたっすね。いや、戦闘機が垂直にじっと立ってるのって、なんか面白くないっすか?」
「……いえ、意味はないですけど」
クロは即答しつつ、眉だけをわずかに動かした。その表情には、心底理解できないという色がありありと出ていた。
「え~……そこでくるくる回ったりして、面白かったっすけど。まあいいっす」
エルデは肩をすくめ、すぐに別の思い出を口にする。
「後は、自称格闘家の爺さんが“護身術だ”って言って、格闘技を教えてくれたっす」
「続けなかったんですか?」
クロの問いに、エルデはバツの悪そうな笑みを浮かべ、視線を少し下に逸らした。
「……折っちゃったっすよ。その自称格闘家の右腕」
クロが瞬きを一度する間に、エルデは両手で当時の動きを再現する。
「相手が殴ってきたら、その腕を取って――こう殴れ、って言われたっす。それで言われた通り思いっきりやったら……“ボキッ”って」
指先で小さく折れる音を真似しながら、肩をすくめる。
「大丈夫だから思いっきり来い、って言われたっすから……右腕で殴りかかってきたところを、左手で掴んで、そのまま右腕で軽く――ほんと軽く殴ったんすよ。そしたら“ポキッ”って」
クロは半眼になり、わずかに口の端を上げた。
「……それ、ただ単にそのお爺さんの骨がもろかっただけでは?」
皮肉とも呆れともつかない声色に、エルデは素直に頷く。
「そうっす。パンチも遅かったし、本当に軽くパチンって叩いただけだったっす。でも、爺ちゃん……骨がボロボロだったみたいで」
そう言いながら、エルデは自分の手を相手に見立てて、軽く拳を当てる。乾いた「パチン」という音がわずかに響き、その頼りなさが当時の衝撃を物語っていた。
「まあ、自称格闘家は他にもたくさんいたっすから、色々教えてもらったっすけどね」
最後は少し笑って締めるその様子に、クロは小さく息を吐き、口元をわずかに緩めた。
(……まったく、スラムの人間らしいな。荒っぽいが、どこか憎めない)