おばちゃんの流儀
その言葉を聞いたおばちゃんは、満足げに目を細め、にんまりと笑った。
クロは箸を伸ばし、揚げたての唐揚げを一つつまむ。衣の表面はきつね色に輝き、箸先から伝わる軽やかなざくりとした感触が心地よい。
ひと口かぶりついた瞬間、衣が小気味よく砕け、中から熱々の肉汁があふれ出す。鶏肉はふっくらと柔らかく、噛むたびにガツンと来るニンニクの香りと、ほんのり広がるショウガの風味が舌を刺激した。胡椒の辛味と醤油の香ばしさがその奥に重なり、思わず箸が止まらなくなる。
添えられた塩をひとつまみ付けてみれば、旨味が一段と引き締まり、後味にキレが生まれる。そして横に添えられた小さなマヨネーズ――邪道と思いつつも試せば、まろやかな酸味とコクが唐揚げを包み込み、ご飯を呼ぶ力が倍増した。
白いご飯を口に運べば、ふんわりとした甘味が唐揚げの濃い旨味を受け止め、また箸が唐揚げへと戻ってしまう。
「よし、いい喰いっぷりだね」
おばちゃんは満足げに頷きながら、新しいプレートを調理器に入れ、次の料理の準備を始めた。
みそ汁、唐揚げ、白いご飯、そして付け合わせのサラダを交互に口へ運びながら、クロは満足そうに箸を進めていた。
しかし、ふと――鼻先をかすめる別の香りに、思わず動きが止まる。
(……これだけで十分満たされているはずなのに、なんだろう。この香り、食べたいと思ってしまう)
湯気の中に混じるのは、ふくよかで甘じょっぱい味噌の香り。その奥に、ほんのりと爽やかなショウガの匂いが潜み、食欲をそっと刺激してくる。
クロが最後の一口を飲み下した瞬間、おばちゃんがタイミングを見計らったように皿を置いた。
「こっ……これは!」
「クロ、コメが好きそうだったからね」
得意げな笑みと共に差し出されたのは、湯気を立てるサバの味噌煮だった。
照りを帯びた濃い飴色の味噌だれが、ふっくらとしたサバの身を包み込む。箸を入れると、しっとりとした白身がほろりと崩れ、味噌と魚の香りが一層立ち上る。口に運べば、濃厚な味噌の旨味と魚の脂が舌の上でとろけ、後からショウガの清涼感がふっと抜けていく。
その味は、ご飯を誘うために生まれたと言っても過言ではなかった。クロは箸を置くや否や、空になった茶碗をすっと差し出す。
「……お代わりを」
「あいよ! たんと食べな!」
おばちゃんは満足げに笑い、ご飯をよそいながら勢いよく差し出す。白米の上に乗るサバの味噌煮――脂と味噌の濃厚な旨味が絡み合い、ひと口ごとに喉の奥まで満たしてくれる。箸が止まらないとは、まさにこのことだった。
夢中で食べ進めていると、背後から疲れ切った声が届く。
「クロの姉御……終わったっす。グレゴさん、怖いっす」
振り向けば、ぐったりした様子のエルデが立っていた。
「終わりましたか。……エルデも食べますか?」
クロが提案すると、エルデはぱっと顔を明るくし、こくこくと頷く。そして当然のようにクロの横に腰を下ろした。
「なんだい、あんた?」
カウンター越しにおばちゃんが目を細め、エルデを見据える。
先ほどのグレゴとのやり取りを引きずっているのか、エルデはやや怯えた声で答える。
「……エルデっす」
おばちゃんはその名を反芻するように呟くと、次の瞬間、雷鳴のような声を響かせた。
「あんた! しっかり飯を食いな! なんだい、その栄養が足りてないほっそい体は! 胸だけはいっちょ前だけど、全体的に細すぎるよ! ただでいいから食べな!」
「えっ……でも……」
言い淀んだエルデが助けを求めるようにクロを見る。
クロはすぐさまおばちゃんへ向き直った。
「おばちゃん、エルデにもご飯をお願いします。あと、お金はお支払いします」
おばちゃんの手が一瞬止まり、包丁の刃先が調理台を軽く叩いた。
「なんだい。いらないって言ってるだろ! まさかおばちゃんの厚意を無下にするつもりかい?」
鋭い眼光に、背後の空気がわずかに張り詰める。しかしクロは淡々と、まるで理屈を積み上げるように言葉を返した。
「簡単なことです。――次回も気兼ねなく食べたいからです。ここでお金を出さなければ、次は“義務”として食べることになってしまう可能性がありますから」
わずかな沈黙。おばちゃんはじっとクロを見つめ、それからふっと息を抜くように笑った。
「……あんた、中々見込みがあるね。このおばちゃん相手に、よくそんなこと言ったよ。気に入った!」
豪快に笑い、今度はエルデへと視線を移す。
「で、あんた。何が食いたい?」
エルデは肩を少しすくめ、視線をクロに一瞬向けてから答えた。
「……美味しいものがいいっす」
素直すぎる答えに、おばちゃんは目を瞬かせた後、盛大に吹き出した。
「一番の難題を言ってくるんじゃないよ! 全部美味しいのが、おばちゃんの自慢なんだ!」
エルデが慌てて小さく会釈し、「ごめんなさいっす……」と呟くと、クロが苦笑を浮かべながら補足する。
「エルデはスラムで育ったため、料理をあまり知らないんです」
その言葉に、おばちゃんの表情がわずかに陰る。調理器の音だけが小さく響き、短い間が落ちる。
だが次の瞬間には、ぱっと明るい笑みが浮かんでいた。
「……そうかい。なら、これから知ればいいさ! 今からあんたに相応しい料理を出してやるよ」
そう宣言すると、おばちゃんは調理器の蓋を開け、メインプレートを差し込みながら細かく設定を調整していく。その手際には、経験に裏打ちされた迷いのなさがあった。
「おばちゃん……ありがとうっす」
エルデがぽつりと呟くと、おばちゃんは片手をひらひらと振りながら、にやりと笑った。