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バハムート宇宙を行く  作者: 珈琲ノミマス
惑星に巣くうもの
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居酒屋スペースとおばちゃん

 データ室を後にし、一階へと降りたクロは、カウンターで向かい合って話すエルデとグレゴの姿を見つける。


 遠目にも、それは熊が目の前の獲物を威嚇し、獲物は肩を小刻みに震わせながら観念している――そんな構図にしか見えなかった。


 この様子では、まだ話が片付くまで時間がかかりそうだ。そう判断したクロは、視線を横へと滑らせ、併設された居酒屋スペースへ足を踏み入れる。


 初めて入るその場所は、思い描いていた賑やかな酒場とはまるで違っていた。普段なら笑い声や食器のぶつかる音が絶えず響き、依頼や噂話で盛り上がるはずの空間。だが今は、わずかな会話と食器の触れ合う音だけが静かに漂っている。数えるほどのハンターが席に散らばり、それぞれの飲み物を手に黙って過ごしていた。


 クロが姿を見せると、何人かは驚きに目を丸くし、手を止めた。その視線が自然と一点に集まる。油と香辛料の混ざった匂いが鼻をくすぐり、奥からは煮込み料理の柔らかな香りが漂ってくる。


 カウンターの奥には、この店の主であるふくよかな年配の女性が立っていた。エプロンをきゅっと締め、調理器の味を調整していた女性がクロを一目見た瞬間、彼女の目が大きく見開かれる。


「あんた! 飯はちゃんと食ってるのかい!」


 まるで雷が落ちたかのような迫力の声が店内に響き、静かな空気を一瞬でかき消す。


「なんだい、ハンターなのにその小ささは! ほら、こっちおいで! 飯を食いな! 飯は体を作る大事なもんだよ! タダでいいから、さあ喰いなっ!」


 その勢いに押され、近くのハンターたちまで思わず口元を緩める。


(……おばちゃんの“食わせたい欲”ど真ん中だもんな、あれは)


 女性をよく知る者にとっては、クロの華奢な体つきが“痩せすぎ”と映るのは一目瞭然だった。


「いえ、私は結構です」


「なら何しに来たんだい。飯を食わないなら――」


「はい、出ていき……」


「無理やりにでも食わせるよ! ほら、座りな!」


 女性の圧に押され、クロは観念してカウンター席に腰を下ろす。すると、さっきまでの怒気を含んだ表情が嘘のように、女性はぱっと笑顔を咲かせ、手際よく準備を始めた。


「それでいい! あんた、名前は?」


 調理器の細かい味の配合を調整しながら、女性が問いかける。


「クロです。肩にいるのはクレアです」


 そう挨拶すると、女性は目尻を下げて頷く。


「偉い! ちゃんと相棒の名前も教えてくれるなんて、いい子だよ。……クレア、あんたもちっさいんだから、しっかり食べな。それで大きくなって、立派な犬になるんだよ!」


 クレアは犬呼ばわりに反論しかけたが、ぐっとこらえて口をつぐむ。


「私はおばちゃん。そう呼びな」


 あっさりと言い放つ女性に、クロは瞬きを一つしてから、


「お名前が……おばちゃんですか?」


「そう思っていいよ。どいつもこいつも名前を言っても『おばちゃん』としか呼ばないんだ。なら、もういっそ名前をおばちゃんにしてやったよ」


 そう言って、豪快に笑いながら、調整の済んだ調理器にメインプレートを差し込み、さらに設定を微調整していく。


「それは……本当ですか?」


 驚き半分で尋ねるクロに、女性は肩をすくめた。


「いいんだよ、どっちでも。おばちゃんはおばちゃん。それでいいさ」


 湯気と香ばしい香りが立ち上る中、女性は笑みを浮かべたまま手を止めることなく作業を続けていた。


(……面白い人だ。おばちゃん。正に“おばちゃん”だな)


 クロがそう心の中で呟いた瞬間、威勢のいい声が響く。


「できたよ! これからまだ出すから、残さず食いな!」


 勢いよくカウンターに置かれたのは、こんがりと揚がった唐揚げと、湯気を立てる真っ白なご飯。油とスパイスの香りが鼻をくすぐり、思わず腹の奥が反応する。


「クレア、あんたはこっちだ!」


 その隣の席に置かれた皿には、肉汁がじゅわりと滲む分厚いステーキ。クレアが食べやすい様に切り分けてある。焼きたての香りが漂い、クレアは皿を凝視している。


「……差がありすぎません?」


 クロの唐揚げとご飯、クレアのステーキ――その差は誰の目にも明らかだった。しかしおばちゃんは、まるで気にする様子もなく鼻で笑う。


「おバカ。クレアはそれで腹いっぱいになるだろうが。あんたは、まだまだ来るからさ! さあ、次を作る前に食っちまいな!」


 豪快に笑いながら、新しい食材を手際よく取り出すおばちゃん。その背中からは、台所全体を包み込むような包容力と、場を支配する活気があふれていた。


「……いただきます」


 クロが小さく呟き、箸を手に取った瞬間――ふと視線を感じて顔を上げる。おばちゃんが、じっとこちらを凝視していた。


 横では、クロの肩から飛び降りたクレアが、分厚いステーキを夢中で噛みしめ、しっぽを小さく揺らしている。


「……見過ぎでは?」


「反応が見たいんだよ」


 にやりと笑い、視線を逸らさないおばちゃん。その真っ直ぐな眼差しに、クロは観念してみそ汁椀に手を伸ばす。


 まずは一口――唇から舌先へと流れ込んだ瞬間、クロの瞳が大きく見開かれた。柔らかな香りが鼻腔をくすぐり、次いで舌の上に広がったのは、塩気と旨味の絶妙な均衡。昆布と鰹の出汁が重なり合い、調理機特有の平坦な味ではなく、波のように押し寄せる深みがある。


 さらにその奥には、微かに甘い余韻が漂っていた。具材から染み出した野菜の自然な甘味が、熱に溶け込んでいる。飲み下した後も、喉の奥から鼻へと温かな香りがふわりと戻ってくる――そんな感覚だった。


「……美味い」


 その一言が、湯気の向こうに落ちる。


 おばちゃんは何も言わず、じっとクロを見つめた。その口元がゆっくりとほころび、頬に刻まれた皺が柔らかく広がる。腕を組み、満足げに小さく頷くと、ようやく口を開いた。


「そうだろう? 他の飲食店の調理機でも、このクラスの味は出せるんだ。でもね――微調整をちゃんとするやつがいないんだよ。食事は“美味しい”が一番! どうだい、おばちゃんの腕前は!」


 胸を張り、誇らしげに笑うおばちゃん。その自信には、長年培った経験の重みがあった。


 クロはわずかに肩をすくめ、心からの敬意を込めて頷く。


「……今まで飲んだ中で、一番おいしいです」


 その言葉を聞いたおばちゃんは、満足げに目を細め、にんまりと笑った。

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