登録と星図
「クソが……ああ言えばこう言いやがる」
「そうですか。それでは、登録をお願いします」
クロはそう告げると、背後に隠れていたエルデの肩を軽く押し、自分の前へと引き出した。視線を向けられたエルデは、オドオドとした様子でグレゴを見上げる。
「……エルデっす」
「声が小さい」
グレゴは短く言い放つと、クロに視線を戻す。
「クロ、登録と説明は俺がやっておく。その間にジンに今の状況を教えてもらってこい」
「わかりました」
クロは頷き、階段へ足を向ける。エルデは「待って」と言いたげに手を伸ばすが、その肩をがっちりとした手が押さえた。
「お前はここで登録だ。それと、ギルドの説明もしてやる」
「……はいっす」
肩が痛むほどではないが、逃げられないと分かる確かな握力。エルデは観念したように息を吐き、グレゴと正面から向き合った。
「……食べないでほしいっす」
「食うか!」
グレゴの一喝に、近くの職員が吹き出す。
「まったく、クロと言いお前と言い……なんであいつの関係者は、揃いも揃って俺に失礼なんだ」
そうぼやきながらも、グレゴの目には微かに笑みが浮かんでいた。
エルデをグレゴに任せたクロは、軽やかな足取りで二階へ上がったすぐ横にあるデータ室の前で立ち止まり、扉横のパネルを軽く叩く。
すぐに、艶のある落ち着いた声が中から響いた。
「どなた」
「クロです。帰ってきました」
「どうぞ」
短い返答の後、扉が静かに左右へ開く。室内に足を踏み入れたクロの目に飛び込んできたのは、以前とはまるで違う光景だった。
壁や天井、さらには床近くにまでホログラムモニターが投影され、無数の情報が宙に浮かんで流れている。ハンターの行動ログ、怪獣の生息分布、海賊被害の発生地点と出没ルート、犯罪組織の活動記録……その全てが立体映像や数値データとして視界を埋め尽くしていた。
「……凄い光景ですね」
クロの感嘆に、奥の机に座るジンが微笑を浮かべる。椅子越しに視線を向けながら、軽く手を動かしてクロを促した。
「ええ。軍の機能が一部マヒしているの。おかげで依頼が雪崩のように押し寄せているわ」
クロは頷きながら歩み寄り、促されるまま椅子に腰を下ろす。
「なるほど」
座り直したクロは周囲のデータ群を一瞥し、確認するように問いかけた。
「今、皆さんがいないのは依頼のためですか」
「そうでもあるけどね」
ジンは軽く笑みを含ませながら、視線をモニターへと戻す。
「人手の足りないフロティアンの各ギルド方面へ行ってもらっているの」
ジンはそう言って、ふっと笑みを浮かべた。その笑みは柔らかくも、どこか含みを持っている。
「もちろん、クロにも行ってもらうわ。今すぐではないけれど、近いうちにね」
言葉と同時に、ジンの指が軽く空中を払う。ホログラムの中から一つの星系図が前面に浮かび上がり、その中の青緑色に輝く惑星が拡大される。
「これは」
クロが身を乗り出し、投影された惑星を確認する。横でクレアも視線を上げた。ジンは軽く頷き、説明を始める。
「ここは、まだ国家と認められていない。コロニーもない発展途上の惑星。今はフロティアン国が後ろ盾になって、発展を促している場所なのだけど……」
そこでジンの声が急に途切れた。指先はホログラム上で止まり、視線がわずかに逸れる。
クロとクレアは、思わず互いに顔を見合わせた。
「……何か、言いにくいことでも」
短い沈黙のあと、ジンは小さく息を吐き、視線を戻した。
「……そうね。端的に言うと、搾取していたわけ。『発展を促している』という体裁でね」
淡々とした口調の奥に、わずかな苦味が滲んでいた。
「それは……さぞ恨まれてますね」
クロの言葉に、ジンは薄く笑みを浮かべたものの、頷き方はどこか重い。
「そうね。一応ギルドは存在しているから、ハンターに対する一定の信頼はあるわ。けれど……歓迎されているとは言い難い」
ホログラムに浮かぶ惑星の映像が、ゆっくりと回転を続ける。青緑の光が室内を淡く照らし、クロとジンの横顔に揺らぐ影を落とした。クロはしばし黙ってその光景を見つめ、目だけをジンへと向ける。
「……なぜ私なんです」
静かに発せられた問いに、ジンの視線がクロを捉える。数秒の沈黙が流れ、彼女の指先が机上のデータをひとつ閉じる仕草だけが、微かな音を立てた。
「――あなたがバハムートだからよ」
やわらかい口調の中に、確かな理由が込められている。
「ある程度の理不尽なら簡単に防げるし、そもそもあなたはフロティアン国の人間じゃない」
クロはわずかに眉を寄せ、首を傾げた。ホログラムの光が瞳に反射し、その揺らぎが心の動きを映す。
「……私、フロティアン国出身じゃなかったでしたか」
ジンは軽く目を細め、息をひとつ置いてから続けた。
「たらい回しにされたって経歴になっていたでしょう。出身は一応“帝国”になってるわ。その後、この国に来た……そう記録されている。でも、詳しく聞いてないの?」
クロは視線を少し落とし、淡く笑みを浮かべる。その頬を、ホログラムの青緑色が柔らかく染めていた。
「はい。家族になれた――それだけで、十分だったので」
ジンもまた、微笑を返す。
「……そうね。それが、一番大事だったわね」