偽物と軍の隠蔽
「バハムートですか。私がいない間に、何かありましたか」
わざとらしいほど白々しく問いかけるクロに、グレゴはふんと鼻を鳴らし、カウンター越しにじろりと睨みを寄こした。だが、その表情には怒気だけでなく、状況を語るうえでの諦めにも似た色が滲んでいる。
「バハムートがな――消し飛ばしたんだとよ。軍の10年分の戦力が、一瞬でな。まるで大戦争でもあったかのような勢いだ。ただ面白いことに、軍はそれを否定してやがる」
皮肉を込めた吐き捨てるような口調に、クロは目を細める。グレゴはさらに声を低め、肩をすくめながら続けた。
「精鋭の第七艦隊は“訓練中”って建前で、不在だそうだ。どうせ表向きの理由に決まってる。あいつらの動き、少し見れば何があったか一目瞭然だ」
吐き捨てるような言葉の奥に、軍の隠蔽体質への呆れが透けて見える。グレゴはちらりと周囲を見やり、声を落とした。
「それと……どうやら徴兵に踏み切る可能性があるらしい。まあ、ここじゃなくて本国の惑星近辺の話だがな。こんな辺境の、さらに外れたコロニーなんざ徴兵の網にかかることはねぇだろうが、本星とその周辺の惑星やコロニーは、今ごろ気が気じゃねぇはずだ」
そこで一拍置き、グレゴは深く息を吐いた。
「……まったく、動きを見りゃ何があったかくらい察せられるもんだ。あいつらのやり口は昔から変わらねぇ」
そう吐き捨てると、グレゴはカウンター越しに手招きをした。クロが怪訝そうに歩み寄り、身を屈めて顔を近づける。グレゴの声は低く、わずかに喉の奥で唸るような響きを帯びていた。
「……で、何やった」
クロは短く息を吸い、視線をわずかに伏せる。
「マーケットの襲撃を企んでいたようです。偽物のバハムートを用意し、その狙撃訓練の最中にマーケットを発見。おそらく、接収するつもりだったのでしょう……もっとも、塵に変えましたから断定はできませんが」
淡々とした口調の裏で、わずかに硬さを帯びた声色が、場の空気をさらに重くした。ふっと視線を落とし、短く吐き捨てるように続ける。
「私の偽物……いえ、“偽物”というにはあまりにも出来が悪く、私を馬鹿にしているとしか思えませんでしたが」
グレゴは「ふむ」と低く相槌を打ち、真相を飲み込むようにゆっくりと顔を離す。クロもそれに合わせて姿勢を戻した。
「度し難い……この国をどうにかしたいが、ハンターとして出来る行動が限られてる。とりあえずだ――」
言葉を切り、グレゴの視線が鋭く後方を射抜く。
「――そこの後ろの女は、なんだ」
その視線に触れた瞬間、エルデは短く「ひっ」と息を呑み、慌てて己より背の低いクロの背中に隠れた。肩越しにのぞく瞳が、不安げに揺れる。
クロは半ば呆れたように小さく名前を呼ぶ。
「グレゴさん……」
グレゴは両手を軽く上げ、顔をしかめた。
「おれはなにもしてねぇ!」
カウンター越しに交わされる視線と声。そのやり取りに、近くの職員がちらりと二人を見やり、くすりと笑う。だが、すぐに端末や書類へ視線を戻した。
「で、誰だ」
「私の新しい家族です」
クロの即答に、グレゴの眉間の皺がさらに深く刻まれる。
「それは……?」
「知ってます」
その一言に、グレゴは再びエルデへと視線を向ける。エルデは再び「ひっ」と小さく悲鳴を上げ、今度は背中越しではなく、クロの肩にまで身を寄せて完全に隠れようとした。
しかしグレゴは気にも留めず、視線だけはクロに戻して問いかける。
「……その髪が一部、黒くなっているのは何だ」
「眷属の証みたいなものです」
クロが淡々と説明すると、グレゴの視線がゆっくりとクロの肩へ移る。そこにはクレアが静かに腰を下ろしていた。クレアは何も言わず、こくんと小さく頷く。
「……なるほど」
「ええ。クレアの妹分です」
クロは背後に隠れるエルデへと視線を向け、声をやわらげた。
「エルデ、大丈夫です。この人はグレゴさん。こんな厳つい体をしてて、森の熊みたいな見た目ですが――かなりの愛妻家です」
クロの背中に身を寄せていたエルデが、小さく首をかしげる。熊と愛妻家の組み合わせが結びつかないのか、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「クロ! てめぇ!」
グレゴの怒鳴り声がギルドホールに響き渡り、周囲の職員やハンターたちが一瞬だけ顔を上げた。だが、その表情には緊張よりも、事情を察したようなわずかな笑みが浮かんでいる。
「違いましたか? ではジンさんに確認してきます」
さらりと言い放つクロに、グレゴの眉間がきゅっと寄る。
「それ以上ふざけるなら――除名させるぞ!」
クロは肩をすくめ、小さく息をついた。
「……本当のこと、でしょう」
その一言に、グレゴの唇がわずかに歪み、苦みを含んだ笑みとも怒りともつかぬ表情になる。周囲の笑みはさらに深まり、ギルドの空気は少しだけ和らいだ。