静かな入港とギルドの熱
本日より新章がスタートします。
皆様に楽しんでいただけるよう、心を込めてお届けしてまいります。
引き続き『バハムート宇宙を行く』をよろしくお願いいたします。
コロニーの外縁に到着すると、民間大型輸送艦ランドセルは静かにクーユータから離れ、シゲルが管理するドックへと滑り込んでいった。残ったクーユータには、クロとクレア、そして新たな家族であるエルデがいる。
クロの命を受けて、バハムートとヨルハを固定するための作業が始まった。バハムートとヨルハは静かにドックから姿を現す。足元からゆっくりと現れる独特な出方――それも、今回で見納めになる。
「エルデ、ハッチを開けてください」
クロはバハムートの首元、疑似コックピットのモノリスに腰掛けたまま、クーユータにいるエルデへ通信を送った。
『了解っす!』
エルデの快活な返事とともに、クーユータの下部ハッチが滑らかに開き、無機質な空間が現れる。ゆるやかに進入したバハムートの全身を、固定アームが包み込むように掴み、確実に収めていく。金属の擦れる音はせず、空間の静寂に包まれた作業だった。
「面白いな。トバラが冗談で言っていた“マットレスがあればベッドになる”というのも、あながち間違いじゃない」
すぐ背後からエルデの声が響く。
『クロの姉御。クレアの姉さんも入れるっす』
後方にいたヨルハにも固定アームが伸びる。ヨルハは静かに掴まれ、そのままクーユータの内部へと運ばれていく。
「ヨルハ……どうだ?」
「いたくはないです。ただ、やはり主の上が落ち着きます」
ヨルハの声音には、ほんのりとした寂しさが滲んだ。それを感じ取ったバハムートは、わずかに目元を和らげ、苦笑する。
『閉じるっす。エアロックが終わったらドックに向かうっすよ』
エルデの操艦で、クーユータはゆっくりとドックのゲートへ進入していく。その光景を見守っていた者たちは、心の中で同じ感想を抱いていた。
(正しい使い方だ。……けど面白くない)
しかし当の本人たちはそんな視線に気づく様子もなく、船は静かにドックへと入っていく。
入港と同時に、眠っていた機構が一斉に動き出した。収納アームが船体へ伸び、検査用リングが回転しながら外装を走査する。長く停止していたドック設備が、一斉に動き出す。その光景を見ながら、クロはブリッジへ姿を現し、肩のクレアに視線を向けた。
「ようやくこのドックの機能が使えますね」
「そうですね。しかし……少し残念でもあります」
「そうですか? じゃあ、今度お父さんに私たち用のベッド用ドックを買ってもらいましょうか」
「クロの姉御……やめておくっす。それは無理っす。それより、これからどうするっすか?」
エルデにあっさり否定され、クロはわずかに肩を落とす。しかしすぐに表情を引き締め、
「ギルドに行きます。そこでエルデの登録と説明をしておかないと、あとが面倒なので」
そう言って差し出した手に、エルデがうれしそうに応える。
「はいっす!」
手を握った瞬間、エルデの視界がふっと切り替わった。つい先ほどまで目の前にあったブリッジの計器や視界の広がりは消え、代わりに低い天井と斜めに走る補強梁が視界を横切る。壁や天井は艶のない灰色のパネルで構成され、所々に配線ダクトが覗く。だが、無機質なだけの空間ではなかった。床は丁寧に掃き清められ、壁際には簡素ながらも整えられたベッドと、座り心地の良さそうなソファーが置かれている。空調の低い唸りが微かに響き、そこに人の生活の温度が混じっていた。
「はっ! どこっすかココ!」
驚きに声が上ずるエルデに、クロは短く答える。
「ギルドの屋根裏部屋です。静かに」
その声音はいつも通り落ち着いていて、場の空気を自然に静める力を持っていた。エルデは息を呑み、視線をぐるりと巡らせる。ベッド脇の小型ロッカー、壁にかけられた作業着、机の上に置かれた端末と書類束――どれも使い込まれた跡があり、この場所が単なる物置ではなく、誰かの拠点であることを示している。そんな視線を意に介さず、クロはエルデの方へ歩み寄り、淡々と告げた。
「転移しました。それより行きますよ。ついて来てください」
「転移っすか……? ちょっと頭が追いつかないっす」
エルデはまだ半歩遅れて立ち尽くし、戸惑いを隠せない。クロは振り返りもせず、軽く肩越しに言葉を返す。
「そのうち分かります。それより先に登録と説明を済ませる方が先です」
静かな口調だが、その歩みは迷いなく階段へ向かっていく。エルデは一拍遅れて慌ててその背を追った。胸の奥ではまだ「転移って何すか?」という疑問が渦を巻いていたが、今はクロの背中を見失わないことの方が大事だった。階段を降り、一階のフロアに足を踏み入れた瞬間、クロは思わず声を漏らす。
「……静かですね」
肩に乗ったクレアも小さく頷き、周囲を見回した。いつもなら依頼掲示板の前で口論する者、テーブルに腰掛け依頼書を広げて議論する者、昼間から酒を煽るハンター、ソファーでだらしなく寝転がる常連たちでごった返しているはずだった。
しかし今、広いギルドホールも併設の居酒屋も様相が一変している。依頼票を黙々と確認する者がわずかに数人、居酒屋では食事を取る客が数組だけ。雑音らしい雑音は消え、足音や端末の操作音、皿やカップの触れ合う音がやけに耳に残るほどの静けさだった。
「帰って来たか、バカ野郎」
不意にカウンターの奥から声が飛び、クロはそちらを向いた。鋭い目つきのグレゴが、こちらをまっすぐに見据えている。だが、その眼差しには純粋な怒りだけでなく、忙しさに翻弄されながらも状況の活気をどこか嬉しそうに受け止める色が混じっていた。
「罵倒にしては……やけに嬉しそうに言いますね」
「バハムートのせいで、軍の機能が著しく落ちてな。おかげでハンターへの依頼がひっきりなしなんだよ」
グレゴの声は苛立ちと高揚が入り混じり、カウンター越しに低く響く。その背後では複数のモニターが壁一面に投影され、流れ込む情報が絶え間なく更新されていた。
職員たちはそのデータの嵐を必死にまとめ、隣の机では山積みの紙資料が今にも崩れそうになっている。通信端末の呼び出し音も途切れることなく鳴り響き、空気をせき立てていた。ギルド全体が、普段の喧騒とは異なる、切迫感を伴った熱気に包まれている。