閑話 ノーブルワール・ゲイツ 13 逃れられぬ優雅な罠
受け取ったプラモデルを大事そうに抱え、ノーブルはホテルへと戻っていた。豪華な箱を丁寧に並べ、ひとつひとつの箱をじっくりと眺めてから箱を開け説明書を読み込み、ランナーを眺め製作や完成予想を頭の中に描く。そんな時間を噛みしめるうちに、いつの間にか一日が終わっていた。
だが、ノーブルの表情に焦りはなかった。心底幸せそうに息をつき、プラモデルの箱に囲まれたまま、静かに眠りへと落ちていった。
――そして、翌朝。
オンリーに呼び出され向かうと、オンリーワン上層区画のエレベーターが、普段とは異なる階層で止まる。扉の向こうに現れたのは、真紅と金を基調にした、あまりにも豪奢な両開きのドアだった。
ノーブルは一瞬で察する。
(……嫌な予感しかしない)
この空気。この装飾。この沈黙。
扉の前に立っていたのは、いつも通り柔らかく微笑むトバラだった。ノーブルは思わず、確認するように声をかける。
「……トバラ、違うよな? 私、今日は関係ない……はずよね?」
「わたくしには決定権はございません。中でお待ちのオンリー様に、ご確認いただければ」
その返答が、全てを物語っていた。ため息とともに一筋の冷や汗がこめかみを伝う。
そして開かれる、黄金の縁取りが輝く扉。中へ踏み込んだ瞬間、ノーブルは確信する。
(……やっぱりここ、“ドレスアップルーム”じゃない!)
天井には透き通る光を宿したパネルが浮かび、壁面には繊細な彫刻と香のしつらえ。高級調度が整然と並ぶ室内には、静けさと緊張感が支配していた。
その中心――まるで待ち受けていたかのように、オンリーが腰掛けていた。
流れるような純白のドレスに身を包み、艶やかなヒールを履いたその姿は、どこまでも優雅で、どこまでも強制力を帯びていた。
「いらっしゃい、ノーブルちゃん。さあ、一緒にパレードに出ましょうか」
その一言に、ノーブルは即座に首を振る。
「ちょっと待って! 私は出ないってば!」
だが、オンリーは穏やかな笑みを崩さず、淡々と告げる。
「……匿ってあげたわよね?」
その一言が、胸に深く突き刺さる。ノーブルの表情が凍り、思考が一気に加速する。
(やばい、恩を着せられてる……! どうする? やりたくない! 絶対に嫌! ……代わりはいないの? そう、代わりよ!)
「オンリー、今から代わりを連れてくるから。それで何とか――」
懇願するような口調に、オンリーはにっこりと首を横に振った。
「代わり? だーめ。ノーブルちゃんに決まってるの」
笑顔の圧が、凄まじい。
「いや、待って! 本当に、今すぐ代わりを――連れてくるからっ!」
ノーブルは叫ぶなり、踵を返して全速力で部屋を飛び出す。背中に突き刺さるような視線を感じながら、エレベーター前に駆け寄り、操作パネルのボタンをこれでもかと連打した。
「お願い、早く開いて……!」
こめかみには汗が滲み、鼓動がやけにうるさく響く。
そのとき――
「……さて。誰を連れてくるのかしらね? 説明が通るなら、代わりでもいいわよ」
背後から聞こえるその声音は、優雅な微笑をたたえたまま。オンリーは静かに足を組み直し、あくまでも余裕のある口調で待つ姿勢を崩さない。まるで、“逃げ場など最初からない”と確信しているかのように。
ノーブルの背中を、さらなる冷や汗が伝っていった。
ノーブルはシゲルの店を訪れ、クロを半ば強引に連れ出す。シゲルが「売る」と言えば、ノーブルは即座に「買った」と応じ、クロは「……私は売り物じゃないんですが」と戸惑いつつも従うしかなかった。
焦燥を滲ませながらクロの手を引き、二人はエレベーターに飛び乗る。向かう先は――オンリーの“あの”特別室。
扉の前、待ち構えるトバラに導かれ、ノーブルはついにオンリーの前へ。その一歩が、自らの運命を決定づけるとも知らずに。
オンリーは柔らかな足取りで歩み寄り、微笑をたたえながらふたりを出迎えた。
「入って。準備しましょうか」
その優雅な手招きに、クロは一瞬だけ足を止める。戸惑いが混じった声音で、遠慮がちに問いかけた。
「……すみません。何をすればいいのか、分かっていなくて」
その言葉に、オンリーはわずかに首をかしげるような仕草を見せ、楽しげな口調で返す。
「あら? ノーブルちゃんからは、何も聞いていないの?」
クロは小さく頷く。そして静かに言葉を紡いだ。
「“緊急事態”とだけ聞いてます。それと、“厳しい状況になるかもしれない”と。……もしかして、昨日の私の行動がご迷惑をおかけしたのではと思ったのですが……」
語尾がわずかに震える。その不安を含んだ声音に、オンリーはふっと口元をゆるめ、横目でノーブルを見る。
「そうね。ノーブルちゃんにとっては、確かに“緊急事態”かもしれないわね」
その一言に、ノーブルは内心でほっと息をついた。
(助かった……これで私は救われる)
「そうだ! だからクロを代わりに……」
だが――その瞬間、ノーブルは最も重要なことを失念していたことに気づく。
(あ……忘れてた!)
焦りから、一番大切な配慮がすっぽり抜け落ちていた。
「でも、ノーブルちゃん。……だからと言って、クロちゃんに何の説明もなく連れてくるのは――ルール違反よね?」
オンリーの柔らかな声が、容赦なく突き刺さる。
(いや!でも……)
「いや、でも……っ」
言い訳を重ねようとしたその声を、オンリーの再びの微笑が静かに制した。
「ノーブルちゃん。貴女も――いらっしゃい」
(終わったわ……)