閑話 ノーブルワール・ゲイツ 11 軍事疑惑と世界最高の牽制
男を警備隊に引き渡したのち、ノーブルは近くの獣人族が営むカフェに身を寄せた。店内の温かな香りと素朴な装飾が、わずかに緊張を和らげる。
注文を済ませ、穏やかなやり取りを交わしたその直後――クロが口を開く。
「では、確認します。クォンタム社製の大型軍用輸送艦が二隻。これがフロティアン軍に配備されているという可能性は――ありますか?」
唐突な問いに、ノーブルの内心は大きく波立った。
(……まさか……)
焦りを隠そうと、手元の湯呑を口に運ぶ。だが、その動きはほんの一瞬、揺れた。
「ズ……」
思わず啜ってしまった音が、静かな店内に小さく響く。場の空気が微かにきしむのを感じ、ノーブルは軽く咳払いをして取り繕った。
「あり得ん。クォンタム社は帝国直轄の軍事企業だ。スペックの一部こそ公開されてはいるが、あれは“見せ札”に過ぎん。実際の性能や構造、制御コードなどは軍機の中でも最上級の秘匿対象だ。他の軍に卸すなど、かなりの型落ちでない限りまずあり得ない。仮に現行型を渡したとなれば、それはもう帝国がフロティアンに何らかの政治的譲歩を行ったに等しい」
平静を装いつつも、脳裏では警告灯が激しく点滅していた。いま進行中の調査――それと、完全に一致してしまっている。
そこへ、アヤコがさらなる一言を差し込む。
「この形、見覚えない? クロの所有する、大型輸送艦のフォルムなんだけど」
その瞬間、ノーブルは手を止めた。静かに湯呑を卓上へ戻し、映像へと視線を定める。
(まさか……これは……)
「……クォンタム社の最新鋭輸送艦……間違いない。それも、ごく最近建造された型だ。……これを、お前が所持しているのか?」
その声には、驚きと混乱、そして抑えきれぬ緊張が滲んでいた。だが、疑念はなかった。確信に近いものが、すでに心を支配していた。
(これは……尻尾をつかんだ。ここから内部調査へ切り込める……!)
クロは、ホログラムを見つめたまま団子を口に運び、咀嚼しながらふと視線を落とす。そして、まるで何かを思い出すかのようにゆっくりと頷いた。
「……フロティアンで手に入れました。正確には、フロティアン軍が輸送中――“犯罪組織に襲撃されたというてい”で横流ししていたものを、私が叩きのめし、手に入れたという流れです」
(決まりだ。クォンタム社の内部精査が必要だ。調査の導線は確保できた)
「ちなみに、もう一隻はギルドに売りました。で――何が言いたいかと言いますと……」
クロの言葉が続く前に、ノーブルは手を上げて制した。
「わかった。ちょうど前回の件で精査中だったからな。もう少し深くまで潜らせてもらう。それと……その船、返せないか?」
「返せませんし、返しません」
短く、明確な拒絶。
(……そうだろうな。私が同じ立場でも、手放しはしない)
心中でため息をつきながらも、ノーブルは小さく頷いた。あの艦は、今後の調査と交渉の鍵を握る“現物”――。不用意に踏み込めば、すべてを壊す。慎重に見極めるべきだと、自制をかける。
そのとき、アヤコが首を傾げながら問いかけてきた。
「ノーブル姉さんって……軍関係のお仕事なんです?」
その無邪気な視線に、ノーブルはふっと口元をゆるめた。
「そうだ。これでも一応、かなり偉い立場にいる。何かあれば、頼ってもらって構わない」
瞬間、アヤコの目がぱっと輝く。
「じゃあ、クォンタム社の最新型量子シールド――買えたりしません? ランドセルの防御力、上げたくて!」
「ダメだ」
即答すると同時に、内心で苦笑がこぼれる。
(シゲルの孫だな。思ったことをそのまま言葉にしてくる。……面白い子に育っているようだ)
アヤコは、しょんぼりと肩を落とした。
ノーブルは端末を取り出し、今のやり取りをアトラへと送信する。即座に返ってきた返信には、フロティアン軍の異常な動きが記されていた。
『承知いたしました。取り掛かります。それと、フロティアン軍に動きがあります。国境の不干渉地域前に大部隊が集結しています。そちらへの干渉の疑いがもたれます。お気を付けください』
(……フロティアン。間違いない。狙いはここだ。となれば――)
情報の扱いは慎重に。それでいて、確実に共有すべき相手がいる。
軽く会話を交わしたあと、ノーブルは湯呑を置き、クロへと向き直る。声には、わずかな緊張と警告が混じっていた。
「最後に、クロ」
その声に、クロも表情を引き締め、目を合わせる。
「今、フロティアン軍の一部が――国境線の近くに展開している」
その一言で、場の空気が一変した。先ほどまでの和やかさは霧散し、空気には緊張の幕が下りる。アヤコも動きを止め、ノーブルに視線を向けた。
「さすがにオンリーワンに対して、あからさまな侵攻を仕掛けるとは思えない。だが――集結している規模が、あまりにも異常だ。正直、進軍の数としか見えない」
その言葉に対して、クロは静かに――けれど確かな意志を込めて返す。
「……それなら、こちらで動いておきます」
まるで事前に想定していたかのような応答に、ノーブルとアヤコは視線を交わし、再びクロを見る。その目には、かすかな不安と戸惑いが宿っていた。
「どうするつもりなの……?」
アヤコの問いに、クロは微笑を浮かべながら、湯呑を丁寧に卓上へ戻す。
「私は、動きません」
言い終えると、ひと呼吸置いて――
「……でも、もしかしたら“世界最高の賞金首”が、どこからか現れるかもしれませんね」
静かに告げられたその一言には、柔らかさの裏に隠された、鋭い“圧”があった。
「まあ、手を出しさえしなければ――安心ですよ。ええ、“手を出しさえしなければ”」
その言葉を聞いた瞬間、ノーブルは確信した。
(フロティアン……これはもう、終わったな。……何だろうな。哀れにすら思えてくる)
会計の直前、ふと気まぐれを起こしたノーブルは、どこか得意げに言い放った。
「……奢ってあげるわ」
その瞬間、アヤコの目がきらりと輝いた。勢いよく振り向いたかと思えば、迷いもなくカウンターに駆け寄っていく。そして気づけば、高級茶器に希少な茶葉、限定パッケージの湯呑セットまで――店内の“お宝”が次々とアヤコの腕の中に吸い込まれていった。
その光景は、もはや買い物というよりも競技だった。制限時間つきの買い物レース、しかもノーブルの財布を舞台にした“豪快な一点突破型”。
「……これ、全部?」
呆れたように問いかけたノーブルに、アヤコは悪びれもせず満面の笑顔で頷く。
「だって、滅多にない機会だし!」
それを聞いたノーブルは、ため息交じりに端末を取り出しながら、内心で小さく呟いた。
(……要らないところまでシゲルに似ているわね)
そうは思いつつも、ノーブルは購入リストを確認し、すべてに購入許可を出した。支払いは完了。店員は笑顔、アヤコは勝利の顔、そしてノーブルは――ほんの少しだけ、頭が痛かった。
そんな騒ぎのあと、ふとノーブルの目がクロへと向けられる。
「動くなら――夜にしなさい。できれば、アリバイも用意しておくことね」
さらりとした口調でそう忠告を残すと、ノーブルは片手を挙げて背を向け、もう一つの目的地へと歩き出す。クロが返したかすかな頷きだけが、彼女の耳に届いた。
だが、その「アリバイ工作」が思わぬ波紋を呼ぶことになる――クロがそれを“完璧に”実行した結果、後にシゲルから説教されるなど、ノーブルはこの時まだ知る由もなかった。