閑話 ノーブルワール・ゲイツ 10 交錯する視線と親子の距離
そして、数日後のことだった。シゲルとクロがオンリーワンに姿を現し――その正体が明かされる。
“バハムート”。
たった一言で、ノーブルの思考は凍りついた。あのクリスタルドラゴンの一件。それが偶然などではなく、運命に導かれていたような錯覚すら覚える。
理解と驚愕、そしてわずかな恐れと敬意。ノーブルの内側で、さまざまな感情が静かにせめぎ合っていた。
――そして翌日。
ついにマーケットが開催され、専用層には人々が詰めかけ、喧騒と熱気に包まれていた。ノーブルは私服姿で、その雑踏の中を歩いていた。
動きやすさを重視した、シンプルなジャケットに、無駄を削ぎ落としたラインのスマートなパンツ。色合いは落ち着いたモノトーンで統一されているものの、身体にぴたりと沿ったその装いは、彼女の研ぎ澄まされた体躯を隠すどころか際立たせていた。肩幅、背筋、脚線――どこを取っても、ひと目で只者ではないと分かる整った輪郭。
すれ違う男たちの視線が、知らず吸い寄せられるのも無理はなかった。だが当のノーブル本人は、その熱を帯びた視線にも動じる様子を一切見せず、まるで風景の一部のように淡々と市場を巡っていく。
――注目されることなど、とうに慣れきっていた。皇族として、そして近衛将校として歩んできた日々の中で、人の視線を受け流すことはもはや呼吸のようなものだった。
だが今、ノーブルの意識は外ではなく、内にあった。胸の奥に残るのは、任務という名目で逃げた誕生日式典への、わずかな罪悪感。けれど本当に厄介なのは、その“罪悪感”の正体だった。
(……どうして、あの人はいつまでも“親”でいようとするのかしら)
ノーブルは心の中で呟く。皇帝としての職務を完璧にこなし、国家を掌握し続けるその姿に、尊敬はある。だからこそ――“父”としての顔を見せられるたびに、どう応じればいいのか分からなくなる。
娘として甘えるには、年齢的に遅すぎる。将校として敬うには、あまりにも情が近すぎた。その狭間で――ノーブルは、いまだに“どう在るべきか”という答えを見出せずにいる。
(お父様が悪いわけじゃない。……悪いのは、私のこの中途半端な気持ち)
父としての優しさも、皇帝としての厳しさも知っている。そのどちらも否定したいわけではない。けれど、ほんの少しでいい。あと一歩だけ距離を置いてくれたら――そうすれば、どう向き合うか考える余白くらい、持てるはずなのに。
(……子離れ、してほしいのよ。そして……私自身、まだ親離れができていない)
何度そう思っても、結論は出ない。それでも、心の底に澱のように沈んでいくその想いは、消えずに残っていた。
(お父様……私は、どうしたらいいの……)
悩ましげに眉を寄せながら商店を眺め歩いていたノーブルの耳に、ふと騒がしいざわめきが飛び込んできた。
(……何かあった?)
そう思った瞬間、周囲から興奮気味な声が次々と耳に入る。
「おい! 早く見に行くぞ!」
「ああ! 黒髪の子供が大人を抑え込んでるってマジかよ!」
「しかもビームソードで脅してるらしいぞ! 早く見に行かなきゃ終わっちまう!」
誰が何をしているのか――言葉を聞くだけで察しがついた。ノーブルは考えをいったん頭の隅に押しやり、すぐに端末を取り出す。
「トバラ。クロが、どうやらトラブルを起こしているか、あるいは鎮圧している可能性があるわ」
「初日から、ですか。面白い方ですな。警備隊を向かわせます。位置を教えて頂いても?」
「送っておく。頼んだわ」
そう言って通信を切り、即座に位置情報を送信する。
「まったく……どこまでも予想の上を行く子ね」
皮肉混じりに息を吐きながら、ノーブルは人ごみの中へと身を滑らせていく。ほどなくして雑踏の中心へたどり着くと、まず視界に入ったのは、うろたえた様子の赤髪の少女。
(……この子がアヤコか。思った以上に成長してる)
その横には、髪の毛の陰に隠れてはいるが、明らかにクロとわかる小柄な背。その足元には押さえ込まれている男。クロはすでにビームソードを抜いており、静かに、しかし威圧的に何かを告げていた。
場に張り詰める緊張が満ち始めたのを感じ取り、ノーブルは一歩前に出る。
「クロ。その辺で止めてくれ」
その声に、クロがふわりと顔を上げる。
「おや、ノーブルさん。昨日ぶりですね」
まるで散歩の途中ででも出くわしたかのように、何事もなかったような声音。その様子に、ノーブルは軽く額を押さえたくなるのをこらえ、静かに息を吐いた。