閑話 ノーブルワール・ゲイツ 7 皇帝で、父であるということ
調査への第一歩として、ノーブルは皇帝――父親でもあるその人物に、連絡を取る。
使用したのは、皇族にしか許されていない“家族専用通信端末”。形式的な手順や認証などは一切不要で、必要なのは“言葉”と“意志”だけ。ほんの数秒後には、応答が返ってきた。
表示されたのは――メッセージ本文というより、絵文字とスタンプの洪水だった。
まず、メッセージ冒頭に「OK♡」の文字。そのすぐ下には、笑顔でピースサインをして踊る猫型キャラクターのアニメーション。そして極めつけは――
『最近の儂、カッコよくない?』
という一文と共に、自撮り写真が添付されていた。
画面に映るのは、金色の装飾が施された玉座にもたれかかる皇帝の姿。片足を優雅に肘掛けへと乗せ、斜め上からカメラ目線で撮られたその構図は、どう見ても皇帝というより“某アイドルグループのブロマイド”。しかも背景にはキラキラと加工されたスタンプと、なぜか王冠エフェクトまでついていた。
――一瞬、ノーブルの手が止まる。
続けて彼女は、感情を抑えきれずに額を押さえ、次いで端末を見下ろしたまま肩を震わせる。
「……こ、の……」
ぐっと唇を噛みしめ、端末を振りかぶる。あと数センチ傾けば、確実に部屋の壁へと叩きつけられていたであろう勢いだった。
「お父様! このッ! 能天気にもほどがある!! だから兄様が――……兄様が出ていったんだぞッ!!」
秘匿室に怒声が響く。
あまりにも軽すぎる父の反応に、ノーブルの苛立ちは頂点に達していた。自分がどれだけ神経をすり減らし、慎重に計画を進めているか――その深刻さが、まるで通じていない。
だが一方で、端末の向こうの皇帝は、その軽さすら“本気で”やっているのだということも、ノーブルは痛いほど分かっていた。
ノーブルは再び深く息をつき、手にした端末を静かに置いた。その目に、怒りとは別の色――どこか、やるせない諦念のような光が揺れていた。
それでも、ノーブルはすぐに自分を引き戻す。立ち止まっている暇など、ない。
「……だが。一歩前進だ。これからだ。まずは――軍全体の軽度調査から、順に……」
気を取り直し、端末に向き直ろうとしたその瞬間。
――ピロン♪
再び端末が震え、小気味よい通知音を奏でた。
ノーブルは明らかに嫌そうな顔で、渋々画面を覗き込む。
そこに表示されていたのは、先ほどと同じ発信元からのメッセージ。
『あと儂の誕生記念の式典には出ろよ。その時に孫にクリスタルドラゴン渡すからよろしくね♡』
添えられたのは、満面の笑みを浮かべた皇帝の新たな自撮り写真と、祝いのクラッカースタンプ。
ノーブルの眉が、ぴくりと跳ねた。
「……………………ふんっ!!!!」
限界だった。
こみ上げる怒気がついに臨界点を越え、ノーブルは思わず端末を手に取り、勢いよく床へと叩きつけた。
ガンッ――という硬質な音と共に、床を弾かれた端末はくるくると回転しながら、部屋の隅で無惨に止まる。
……しかし、さすがは皇族仕様の特注端末。壊れもせず、通知ランプが律儀に点滅を続けていた。
ノーブルは額に手を当て、ひときわ深いため息をついた。
「お父様のバカ……! 誰が行くかっての!」
吐き出した声には、怒りと呆れ、そして――“皇帝”という立場と、“父”という存在、そのどちらにも振り回され続けてきた者にだけ宿る、諦めにも似た疲労が滲んでいた。
(……お父様、いつまで“親”でいようとするつもり?)
親である前に、まず皇帝として振る舞ってほしい。そう何度願っただろうか。
けれど――その政治手腕が、国内外を掌握する“超一級”のものであることも、よく知っている。それがなおさら厄介だった。尊敬しているからこそ、距離の取り方が分からなくなる。
それでもなお、彼は“父”であろうとする。皇帝であることを振りかざすでもなく、ただ“娘に会いたい”という感情を、平然と国家機密の中にねじ込んでくる。
(いい加減、子離れしてほしいわ……)
そう思いながらも、本当は分かっている。
会いたい。ただそれだけの理由。言葉を尽くすこともなく、命令として押しつける。それがあの人なりの――優しさなのだと。
近衛軍の将校として、皇帝に向き合うべきか。それとも、娘として、父に向き合うべきか。その答えを出せぬまま、今日まで来てしまった。
思考を断ち切るように、再び端末が鳴る。胸の奥がざわつく。嫌な予感しかしない。見たくない。けれど――見ないわけにもいかない。
ノーブルはため息をつきながら、床に転がった端末を拾い上げる。
『どうせ怒りに任せて端末を投げてるだろうが、壊れんぞ。それよりも、絶対に来い。これは“親としての願い”だ。真面目な話――お前の“結婚”についても、そろそろ決めるぞ。逃げるなよ、ノーブル』
あまりにもシンプルで、あまりにも強引なそのメッセージ。
だが、その中に確かに宿っていたのは――皇帝としての意志と、父としての情。どちらを選んでも、ノーブルにとっては“逃げ場”になり得ない。