鍵と卵と、遠い日の記憶
誤字脱字報告ありがとうございます。
修正いたしました。
ようやくコンテナに資材と物資の積み込みを終え、クロは端末に目を落とした。
「もう夕方、今日はここまでだな」
小さく呟いて、コンテナを別空間に収める。次の瞬間、彼女の姿が漆黒の巨体――バハムートと同化し、宙へと舞った。
転移先は、コロニーの近傍。再び別空間からコンテナを取り出し、資材運搬用の倉庫へと手際よく収めていく。だが、それで終わりにはならなかった。
バハムートは一度その場を離れ、視認範囲の外に出てから再び転移し、ドックへと戻る。そしてようやく、分身体を本体から切り離した。
「……やっぱり、鍵が要るな。納品してすぐ離脱、転移して戻るって……どう考えても怪しい」
口元が、わずかに引きつった。
思い出すのは、さっき資材を納めた時のこと。ギルドの職員たちが、怯えたような目を向けつつ、ひそひそと交わしていた会話。
「そのまま帰ればいいのに、なんでまた離れてくんだ……?」
「まさか、まだ暴れ足りないんじゃ……」
背中越しに聞こえたその声に、バハムートは胸の奥で静かにため息をついた。
誤解だとわかっている。けれど、それをわざわざ説明するほど、気力は残っていなかった。
――それ以上に、今は。
「……昨日の今日で『やっぱり鍵が要ります』なんて……最強種として、情けなすぎる」
苦笑すら浮かばず、ただ自嘲するように呟いた。けれど、アヤコに会いに行く気力はなかった。
転移した先は、ギルドの近く。まだ夕方だというのに、ギルド併設の酒場はすでに大いに盛り上がっていた。
(もしかして、働いてるのって俺だけなんじゃ……?)
そんな疑念が脳裏をよぎる。
それを振り払いながら、受付に立つグレゴに声をかけた。
「戻りました。資材と物資、それと賞金首を狩ってきました」
グレゴは無言でカウンターのスキャン部分を顎で指し示し、端末を置けと合図する。クロは腰のホルダーから端末を取り出し、所定の位置に静かに置いた。
端末が読み込みを始めたのを確認しながら、グレゴが目を細める。
「……よし。まあまあの量だ。これで少しは、コロニーの資材不足も解消されるな。ついでに物資まで……やるな」
「はい。大漁です」
グレゴがデータを手早く確認しながら、淡々と処理を続ける。
「資材は元の依頼主に返送、物資も同様。不明分はギルドで買い取り。で、賞金首は――ミズダコ海賊団か」
そこで、ほんのわずかに口元を緩めた。
「……こいつらの名前、毎度バカみたいだな」
「はい。茹でだこにしてやりました」
「塵になってたが?」
「……味付けに失敗しました」
グレゴが無言で鼻を鳴らす。その後、いつものように淡々と処理を続けた。
「よし、今回は320万だ」
グレゴが淡々と告げる。
「内訳は、賞金が300万。不明物資の買取が20万。……文句は?」
「ないです」
クロは素直にうなずいた。グレゴは満足げに端末のディスプレイを操作しながら、画面をこちらへ向ける。
「なら、いつもの承認を押せ」
クロは指示通りに画面をタップし、入金が完了するのを確認する。
「よしよし。素直で助かったわ」
どこか含みのある口ぶりに、クロは小さく首をかしげた。けれど、その意味を深掘りするほどの興味はなかった。それよりも、今は――
「あの、どこか美味しいお店って知ってます?」
突然の質問に、グレゴの眉がぴくりと動いた。
「……ギルドは案内所じゃねぇ! 自分で探せ!」
思わず声を張ったグレゴのツッコミに、クロはふむと考えるように口元に指を添える。
「わかりました。じゃあ、名物だけ教えてください」
「……ぶれねぇな、お前」
しばし黙ったあと、グレゴは重い溜め息をひとつ吐いた。
「このコロニーなら、コメがうまい。丼ものや定食屋あたりが外れねぇぞ」
「ありがとうございます」
クロは深々とうなずく。その姿を見ながら、グレゴはふと天井を仰いだ。
(こいつ、絶対“ありがとう”だけは綺麗なんだよな……)
クロは、天を仰ぐグレゴを一瞥もせずにギルドを後にした。外に出て端末を操作し、地図アプリを展開する。
検索ワードは――「美味しい店」。
すぐに候補がいくつも表示された。評価は星の数で示され、選び抜かれたように、星8から星10の店ばかりが並んでいる。
「ギルドも星9か。漫画とかだと、こういう場所って評価が低いもんだと思ってたけど……意外だな」
小さく呟き、クロは静かに歩き出す。
魚、肉、野菜……どれが食べたいのか、正直なところ自分でも分からない。ただ、ひとつだけはっきりしているのは――
「コメに合うもの……卵かけご飯……」
その言葉と共に、遥か昔の記憶がふと蘇る。バハムートとして転生する前、人間だった頃の記憶。食卓に並んでいた、湯気の立つ白米と、生卵、そして醤油の香り。
目を閉じれば、匂いも、味も、舌の上にくっきりと甦ってくるようだった。
――ああ、懐かしい。
それを、ただもう一度味わいたいだけ。けれど、地図上に並ぶ店のメニューは、どれも見たことのないものばかりだった。
高級そうで、凝っていそうで、見栄えもいい。だが、今の彼女が求めているのは、そんな華やかな食ではない。
素朴で、温かくて、あの頃の自分に繋がっているような――そんな一膳。
「……どこか、ないのか」
口に出すでもなく、心の中で呟いたその時。ふと、別の考えが閃いた。
「……まてよ。これを口実に、アヤコのところに行って、昨日のお礼で食事を奢りつつ……ついでに鍵を受け取る」
我ながら、悪くない案だった。少なくとも、真正面から『やっぱり鍵が必要でした』と頼むよりは、まだマシに聞こえる。
そう、鍵の件は――昨日のお礼の“ついで”。あくまでそれが本題ではないという、建前さえあれば。
多少の情けなさも、誤魔化せる……はずだ。
そう自分に言い聞かせながら、クロは静かに歩き出す。目指すのは、あのジャンクショップ。
足取りは自然と軽くなっていた。
この分身体になってから、初めての“食事”。お茶なら何度か飲んだが、固形のものを口にするのは――本当に、数千年ぶりのことだった。
思えば、それはバハムートであった自分が、長い時の果てに忘れていた、ささやかな営み。けれど今、その“ささやかさ”が、どうしようもなく愛おしかった。
「……早く、アヤコのところに行こう」
ぽつりとこぼれたその言葉に、自分でも驚いて――クロはほんのわずかに、唇を緩めた。その表情には、まだ不器用な笑みが、かすかに宿っていた。