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バハムート宇宙を行く  作者: 珈琲ノミマス
閑話 それぞれの目線
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閑話 グレゴ&ジン バハムート急便のその後。 結晶花に刻む、ふたりの時間

 コロニーの街灯がぽつぽつと灯り始め、静かな夜が広がっていた。


 住宅区の一角。そこに佇むのは、ごく普通の一軒家――周囲と比べればやや広い造りだが、特別豪奢というわけではない。ただ、今夜ばかりは、少しだけ違っていた。


 リビングには明かりもつけず、テーブルの上に置かれた一本のロウソクが、静かに揺れている。その小さな炎が、椅子越しに向かい合うふたりの影を、壁へと浮かび上がらせていた。


「毎回思うけど……あなたって、顔と体に似合わず、ずいぶんロマンチストなのね」


 赤銅色のロウソクの火を見つめながら、ジンがやわらかく笑う。その言葉は、目の前の男に向けられたものだった。


 彼女の服装は、いつものギルドで着ている改造した制服ではない。胸元と背中が大胆に開いた、淡い緑のドレス。どこか懐かしい式典の記憶を彷彿とさせる装いだった。


「大事な日だ。……君が生まれた、特別な日だからな」


 グレゴが答える声は、低く穏やかで――その肉体とは対照的な優しさを帯びていた。普段は無骨な戦士のそれである巨体も、今はタキシードという“鎧”に包まれている。髪も珍しく整えられ、ワックスが光を返していた。


「そのギャップ、ほんとに面白いわ。鍛え抜かれた筋肉に、ぴしっと決まったタキシード。反則級よ」


「言うな。……自覚はしている」


 そう言って、グレゴはゆっくりとリビングに視線を巡らせた。


 静かだった。あまりにも静かで、まるで時が巻き戻ったかのようだった。


「子供たちは、みんな巣立っていった。孫も生まれた。……こんなに静かなリビングは、家を建てた最初の頃以来かもしれん」


「……そうね。最後の子が嫁いで、やっと静かになったわ。二人きりで迎える誕生日なんて、何十年ぶりかしら」


 ふたりの目線が、無意識のうちに部屋を見回す。


 かつては子供たちの笑い声が飛び交い、誰かがこぼしたスープを慌てて拭いたこともあったテーブル。兄弟喧嘩に泣きながら仲直りしたソファー。壁には今も、かすかに落書きの痕が残っている。


 ――そのすべてが、ふたりの“家族の歴史”だった。


「賑やかで、家族に囲まれる誕生日ももちろんいいさ。けど、今年は……」


 グレゴはロウソクの灯りを見つめながら、ゆっくりとジンを見つめた。


「今年は、ふたりだけだ。だからこそ――君のために、特別な夜にしたかった。懐かしいだろ?」


 その声に、ジンは微笑む。


 誰かの母としてでも、祖母としてでもなく――ただ、“ジン”として過ごす夜。ふたりだけの静かな時間が、そこには確かに流れていた。


「今回は……家族総出のプレゼントはないが――ジン、君にこれを」


 グレゴは言葉を添えて、膝の傍らからひとつの箱を取り出した。縦長の、丁寧にリボンが結ばれた包み。どこか懐かしい色合いの包装紙が、ロウソクの光をやわらかく反射する。


「あらあら……ほんと、懐かしいわね」


 ジンは箱を見下ろし、ふんわりと微笑んだ。その笑みには、かつての記憶が滲んでいる。


「昔は、みんなが我先にで自分のプレゼントから開けてくれって押しつけてたし……ほかの子供たちも負けじと並んでたわね」


「はは、あれは戦場だったな。誰が最初かで兄妹喧嘩まで始まった」


 そう言って、グレゴは箱をそっとジンの前へと差し出す。ラッピングを乱さぬように置くその手付きは、戦士ではなく、長年寄り添ってきた伴侶のそれだった。


「開けてもいいかしら?」


「もちろんだ。君のために用意した、“特別なもの”だよ」


 グレゴの声は、どこか誇らしげで、それでいて照れ隠しを含んで低く響いた。真っ直ぐな眼差しは、少年のように不器用で、しかし熱を帯びている。


 ジンは、手の中のリボンにそっと指をかける。ゆっくりと結び目を解きながら、その感触を噛みしめるように手を動かしていく。――こうして包みを開けるのは、いったいどれほどぶりだろう。リボンの柔らかささえ、愛おしく思えた。


 ぱさり、と紙が開き、箱の中から静かに姿を現したのは――まるで光そのものが結晶化した、七色に輝く結晶花。


 中央には、大輪のバラ――その花びらは幾重にも折り重なり、まるで想いの層を重ねたようにしっかりと根を張っていた。「情熱」と「あなたを愛しています」――その言葉を結晶の輪郭が雄弁に語るように、強く、気高く、揺るがぬ愛を形にしていた。


 その周囲には、五芒星のような整った輪郭を持つ桔梗が寄り添っている。芯を貫くような対称性が、“誠実”という言葉を無言で語り、「変わらぬ愛」の花言葉が、まるで信念のようにそこに根づいていた。


 さらに、ふわりとした広がりで支えるスターチスの群れが、花束の土台を形作っていた。小さな結晶の集合体が、空気の中に記憶を留めるかのように咲き誇り、「変わらぬ心」と「永久不変」という意味が、そっと空間に沁みていく。


 優しく抱きこむような五弁のブルースターは、その形だけで“幸福な愛”を感じさせる。そのフォルムは穏やかで、「信じ合う心」や「身近な幸福」といった静かな愛情を、触れぬまま伝えてくる。


 そして、最後に据えられていたのは、翼のように左右対称の胡蝶蘭。その花弁は舞う蝶のように広がり、まさに幸福を運んでくる使者のよう。「純粋な愛」と「あなたを愛しています」――その重なる花言葉は、これまでとこれからのすべてを肯定するように咲き誇っていた。


 それらすべてが、重厚な透明感をたたえた結晶花が瓶に美しく固定され、まるで時間を止めて、この瞬間を閉じ込めているかのように、静かに、しかし確かにそこに“在った”。


 どの花も、ふたりの記憶にそっと結びついていた。出会い、すれ違い、共に歩んだ数十年――そのすべてを語るように、結晶花はそこに咲いていた。


 ろうそくの光がその花々を照らすたび、色彩がリビングの壁や天井に映りこみ、ふたりが過ごしてきた軌跡を、まるで映写するように広がっていく。


 ジンは声もなく、その輝きに見入っていた。胸の奥がじんわりと温かくなる。頬に触れる空気までもが、懐かしさと幸福に満ちていた。


「結晶花は枯れることはない――出会ったあの日から、今も、これからも、この想いは、決して枯れない。永遠に、君だけを想っている」


 グレゴの言葉は、まるで詩のように、静かに、そして確かに響いた。それは幾度も重ねてきた愛の告白――だが、そのたびに違った形で、彼は彼女へ想いを伝え続けてきた。


 その言葉に、ジンは小さく笑い、結晶花をそっと胸に抱き寄せた。


「……ほんとにもう、あなたって……」


 あふれ出しそうな想いを堪えながら、けれど瞳は潤んでいた。それは、年齢や時間などでは測れない、今この瞬間にしか生まれない愛のかたち。


 ――こんなにも、長く一緒にいたのに。どうしてまだ、こんなに心が揺れるのかしら。


 自問にも似たその心の声は、言葉にこそならなかったが、ジンの仕草のすべてに宿っていた。


「受け取ります。これからも、末永く――あなたを、愛しています」


 その言葉は、何よりも真っ直ぐで、そしてどこまでもあたたかかった。“家族”として、“母”として、“祖母”としての時間を超え、ただ、ジンとして、愛する人の想いに応える瞬間だった。


 そして――


 ふたりの影を灯し続けるロウソクの火は、まだ消えない。あの夜と同じように、静かに、永く――温かな光を、確かにそこに揺らめかせていた。

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