閑話 ノーブルワール・ゲイツ 3 副官と制服と封鎖区画
「…………デカいな。動いてるし、こっちを――見てるような……」
施設の屋根を突き破って鎮座するクリスタルドラゴン。その巨躯を見上げながら、ノーブルは思わず漏らす。
だが、その余韻を遮るように、アトラが即座に応じた。
「ノーブル様、それは後ほどでお願いします。今は、偽情報の拡散手配、各道路・空域・宙域の封鎖、現地技術者への聞き取りと結晶体の計測、それと――近衛軍への応援要請と警備体制の再編も控えています」
「…………任せても、いいかしら?」
「ダメです。見上げてないで、中に入りましょう」
事もなげに言い放つアトラに促され、ノーブルは渋々視線を落とした。そして、ひとつ溜息をついてから、施設の自動扉へと歩を進める。
その後――廃棄予定の機体は“被害演出”として意図的に破損され、現地の軍には「想定外の脅威に遭遇し撤退した」と報告させる。同時に、“バハムートらしき存在が出現した”という情報をそれとなく流布し、クリスタル社周辺は完全封鎖。宙域・空域・陸路の制限も徹底され、施設は一時的に“帝国直轄の危険指定区画”とされた。
その過程で、通りがかりの軍人がぽつりと呟いた言葉も耳に入っていた。
「……いきなり来て、何様のつもりだよ……」
だがノーブルは、それに反応することなく歩みを止めない。いま気にすべきは、皇帝直轄の特注品――結晶ドラゴンの封印と搬出であり、感情に構っている暇はなかった。
そして、時間は静かに過ぎていく。
一週間後。近衛軍の応援部隊が到着し、警備体制は一段階引き上げられた。結晶体輸送用の特殊梱包ユニットも急ピッチで製造が進められ、搬出予定まで残り二週間。
混乱と緊張が続いていた現場に、わずかながら落ち着きが戻り始める。
ノーブルは、仮設の執務室でふと手元の制服を眺めていた。淡いブルーと白を基調にしたそれは、クリスタル社の受付用ユニフォーム。封鎖前に倉庫から搬出された物資の中に紛れていたものだ。
(……もし私も、ただの一般人だったらこんな制服を着て、受付か何かをやっていたのかもしれない)
そんな想像に、自然と口元が緩む。ノーブルは制服を軽く体にあて、聞きかじった調子でひとりごとのように言った。
「いらっしゃいませ。ようこそクリスタル社へ~……」
制服を体に当てたまま、ひとりごとのように言ったその瞬間。背後からぴたりと空気が張り詰めた。
「――着てください」
振り返ると、そこにはアトラが立っていた。いつも通りの姿勢で背筋を伸ばし、表情は真剣そのもの。だが、瞳の奥にうっすらと期待の色が浮かんでいる。
ノーブルは一瞬きょとんとした顔を浮かべ、すぐに肩を落とした。
「……断るわ」
「いえ、緊急事態ですので。お願いします」
「……何の緊急事態?」
「私のです」
即答に、ノーブルは額を押さえて嘆息する。
「ちょっと待って。今からは“副官”じゃなくて“友達”として話すわよ?」
「承知しました」
深く息を吸ってから、ノーブルは問いかける。
「毎回思うんだけど……スイッチの切り替えが急すぎない? どうして、そんなに私に着せたいの?」
「見て笑いたいからですが?」
またしても即答。ノーブルは頭を振る。
「……ほんと、あなたって切り替えが上手すぎるわよね。普段は誰よりも優秀な副官なのに……人の気配がなくなると、一気に“学友モード”に入る」
「こうでもしないと、気が張りっぱなしで倒れてしまいますから」
アトラはさらりとそう言い、わずかに微笑みを浮かべる。その表情は真面目なのか冗談なのか、判別がつかない。
「……無理難題を押し付けるのが、息抜きってわけ?」
「はい。ノーブル様なら受け止めてくださると信じておりますので」
「断るわよ。絶対に着ないからね」
そう言い切って、ノーブルは制服を軽く畳み、机の上に戻した。アトラはその様子を見て、肩をすくめるように小さく息を吐く。
静かな執務室の空気に、ふたりの間だけに流れるやわらかな空気が溶け込んでいた。くだらない話を交わせる時間など、今のノーブルにとって数えるほどしかない。それでも、こうした時間がほんのひとときでもあれば、息ができる。
――少なくとも、その時までは。