閑話 ノア&ウェン 19 民族衣装と恋の攻防戦
男たちはノアの謝罪を受け入れ、にこやかに手を振ってそのまま店を後にした。
残されたノアは、カフェの席に着いたまま、テーブルに突っ伏す。
(……もうダメだ……恥ずかしすぎる……ウェンに、どう顔向けすればいいんだよ……)
額を押し付けたまま唸っていると、不意に、後ろから軽やかな足音が近づいてきた。
「まったく……せっかくの楽しいお茶が台無しだったじゃない」
ウェンの声に反応して、ノアは顔を伏せたまま謝る。
「ごめん……ウェンが危ないと思ったら……つい」
「……顔、上げて」
促されるままに、ノアが恐る恐る顔を上げる。
「えっ――」
その瞬間、言葉が凍った。
いつもの帽子とポニーテールはなく、ウェンの髪は左右にお団子状にまとめられていた。服装も、普段のタンクトップにジャンプスーツという少年めいた装いではない。異国情緒あふれる赤とオレンジを基調にした鮮やかな民族衣装は、艶やかでありながらどこか危うげで、ノアの目を釘付けにするには十分すぎた。
胸元には装飾的な切れ込みが入り、柔らかな谷間を際立たせていた。しなやかにフィットする布地は身体の曲線をなぞるようにまとわりつき、太腿まで大きく開いたスリットが歩くたびに揺れる。
ノアは目を見開いたまま硬直し、次の瞬間、ぶんぶんと頭を振って再びテーブルに突っ伏す。
(見ちゃダメだ! 絶対ダメだ!! ああでも見たい! いやダメだ! でもでもでも――!)
ひたすら自問自答を繰り返すノアの姿は、哀れというより、もはや愛おしさすら感じさせるほどだった。
一方その様子を見ていたウェンは、少し前まで自分が感じていた羞恥心など、どこへやらという勢いで、頬を緩めていた。
(……さすがに恥ずかしかったけど、この反応が見られるなら……この服、着てよかったかも)
ちらりと視線を下ろせば、自分の胸元にできた装飾的な切れ込みが、今もわずかに谷間を覗かせている。途端に、じわりと頬が熱を帯びる。
(……うん、やっぱりちょっと大胆だったかな)
今度はスカートの深いスリットに視線を移す。歩けば太ももが大胆に覗く、ギリギリのライン。風でも吹けば下着が見えてしまいそうなその設計に、さすがの本人も内心ひやひやしていた。
それでも、いま目の前で恥ずかしさの極みに沈んでいるノアの反応を見れば――その羞恥心すら、甘く心地よい刺激に変わる。
「ねぇ、顔あげなよ」
耳元でそっと囁くように声をかけると、ノアがびくんと肩を震わせた。
(かわいすぎでしょ)
自然と口元が緩み、もうニヤニヤが止まらない。
「もう怒ってないから……お・ね・が・い」
囁くように言葉を重ねれば、ノアは限界を迎えたように、さらに深くテーブルに突っ伏した。
「やり過ぎ~~~~っ!!」
もはやテーブルと同化する勢いでうずくまるノアに、ウェンの機嫌はますます良くなる。
そのやりとりを遠巻きに見ていた店員――獣人の若い女性は、ため息交じりにぽつりと漏らした。
「……カップル、爆発しろ」
恋人のいない店員にとって、目の前で繰り広げられるイチャイチャ劇場は――怒り、呆れ、そしてほんの少しの嫉妬が入り混じる、なんとも複雑な光景だった。
やがてノアはなんとか顔を上げたものの、その視線は落ち着かず、宙をさまよっている。
「もう、こっち見なよ。怒ってないって、言ってるじゃん」
ウェンがそう言うと、ノアは苦しげに視線を逸らしながら答える。
「そうじゃないよ……。その、目のやり場に困ってるんだ」
「ふうん? なんで?」
ウェンはニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべながら、意地悪く問い返す。
ノアはしどろもどろのまま、混乱した勢いで心の本音をこぼしてしまった。
「ウェンが……可愛すぎるからだよ! もっと自覚して! その格好も可愛くて、センシティブで、もう僕……どうにかなりそうなんだ!」
瞬間、ぴたりと笑みが止まり――
「……えっ」
煽っていた側のウェンが、今度は見る見るうちに真っ赤になっていく。
「その……ありがと。ノアも……カッコよかったよ。ほんとに……ありがと……」
ぽつりぽつりと呟きながら、顔はもはや茹でだこのごとく真っ赤に染まり、耳まで真っ赤に火照っていた。
ノアもまた、自分が口にした言葉の破壊力に気づき、顔を両手で隠して項垂れる。
カウンターの奥からその様子を眺めていた店員は、無言で首を横に振りながら、手で“首を切る”仕草をしてみせる。
「……リア充乙」
小さく毒づき、その場をそっと立ち去った。もはやこれ以上見ていられない、という表情で。
その後――
ふたりは服が乾くまでカフェに留まり、民族衣装はノアではなくウェンが買い取ることに。店を出る頃には、店員から生ぬるい視線を存分に浴びつつ、そそくさとカフェを後にした。
最後の仕入れを終えると、ふたりは自然と手をつないでいた。
互いに顔を見合わせ、照れ笑いを浮かべながら、ランドセルへと歩を進めていく。
「というわけでだ、スミス。あいつら、かなり“いい感じ”になってるぞ」
オンリーワンから戻ったシゲルは、コロニー内の小さな酒場でスミスと向かい合いながら、土産話を語っていた。
「……シゲルさん。中々に性格がねじ曲がってますね」
サングラス越しにジト目で睨むスミスに、シゲルはどこ吹く風とばかりに笑って返す。
「お前も言ってただろ? このままじゃ、彼氏の一人もできやしないって」
「それとこれとは話が別です」
「いいか、あいつは有望株だ。俺が保証してやるよ」
ぐい、とビールをあおって、口角を上げる。
「もしあいつがウェンを不幸にしたら――俺が金玉焼いてやるよ!」
その無駄に力強い発言に、スミスは眉をひそめ、サングラスを額に上げた。
「下品ですね。ただ、そのくらいの覚悟は持ってもらいましょう。……ノア、でしたね?」
「おう」
「覚えておきます。もしウェンを泣かせたら、その時は――ハチの巣だ」
淡々と語りつつ、手元のウィスキーを静かにあおる。
だが、次の瞬間――シゲルがニヤリと笑い、手にしたジョッキを掲げて言い放つ。
「……楽しみだなぁ。あいつがハチの巣になる方に、俺は賭けるか」
それを聞いたスミスが、淡々と返す。
「……シゲルさん。さっきと言っていたことと、矛盾してますね」
しかし、シゲルは動じることなく肩をすくめた。
「俺はいつだって、“面白い方”に賭ける主義なんだよ。お前は“幸せになる方”に賭けとけ」
そう言って、ビールをひと口あおり、どこか楽しげに口角を上げる。
「もしお前が勝ったらな――次、この店で飲むとき、全部奢ってやるよ」
その提案に、スミスも静かにグラスを持ち上げ、ぴたりとシゲルに向ける。
「なら、俺が負けたときは――逆に、奢らせてもらいましょう」
シゲルはにやりと笑い返し、ジョッキを軽く合わせた。
賭けは、静かに成立した。
果たしてノアは、ハチの巣になる運命なのか。それとも、ウェンを幸せにする未来を掴み取るのか。
――本人の知らぬところで、密かに“運命”は動き始めていた。