閑話 ノア&ウェン 15 償いと祝賀、そして少女の再臨
その中に含まれたある一言が、ノアの胸に引っかかった。
「……クロさんが?」
「はい。……これは、実際にご覧いただいた方が早いかと存じます。どうか、皆様の元へお戻りください」
そう言って、青年は静かに手を差し出した。
「この者たちは、トバラ様のご指示により丁重に――それはもう、丁寧に“おもてなし”をさせていただきます」
その言葉の裏に潜む冷たさに、ノアは察するものがあった。だからこそ、これ以上は任せることにした。
「……では、お願いします」
「畏まりました。ああ、それと――こちらをお持ちください」
彼の言葉とともに、背後からもう一人の執事が現れた。ノアが気配に気づくより早く、無音で現れたその男が、丁寧に袋を差し出す。
(……うそ、今までまったく気配がなかった)
驚きつつ受け取った袋の中には、冷えたドリンク類がいくつか入っていた。
「これは、お礼とまでは申せませんが……せめてもの償いの一部でございます。 また後日、正式なご招待を主にご相談のうえ、改めてお届けさせていただきたく存じます」
「……分かりました。これはありがたく、いただきます」
ノアが頷くと、青年はもう一度深く頭を下げる。
「このたびは、我々の失態により多大なるご迷惑をおかけいたしました。心より、深くお詫び申し上げます」
その真摯な謝罪に、ノアはふと、己の姿を重ねる。
「……僕も、背負ってるんです。それも、ここにいる誰よりも重い罪を。でも――だからこそ、こうして生きながら、償おうとしてる最中なんです」
静かに目を伏せたまま、続ける。
「たとえ、誰かに許されても。僕自身が、それを忘れるつもりはありません。だから……あなたも、これからだと思います」
ふっと笑ってから、ゆっくりと踵を返す。
「……半端な僕が言うのはおこがましいけど。お互い、これから頑張りましょう」
そう言ってノアは、その場を後にした。青年は、何も言わずに頭を深く下げる。
それは礼ではなく、決意。彼の背が見えなくなるまで――その姿勢は微動だにしなかった。
ノアがビルの屋上に戻ると、開口一番、容赦ない声が飛んできた。
「遅い! 自販機そこにあったでしょ!」
ウェンの鋭いひと言に、ノアは思わず足を止めてたじろぐ。
「い、いや……その、せっかくだからって……」
気まずそうに視線を逸らしつつ、手にしていた袋をそっと差し出す。
中には、よく冷えたドリンクが三本。どれも果実ベースのもので、ピーチ、ライチ、オレンジ――いずれも高級感のある装いで、パッケージには可愛らしい動物のイラストや花のモチーフが丁寧にあしらわれていた。
「……どれがいい?」
ノアがそう訊ねると、ふたりの目が一気に輝きを帯びる。
「うそ、すごい豪華じゃん! いいの?」
「どこにこんなの売ってたの? 全然見なかったよ?」
アヤコとウェンが袋を覗き込むようにして目を輝かせる。
「……それは、秘密」
ノアは苦笑いを浮かべながら視線を外す。
もちろん、言えない。
――“狙撃犯を取り押さえたら執事が現れて、なぜか渡された”なんて、どう考えても説明がつかない。
(……執事道って、いったい何なんだ……)
頭の片隅でそんな疑問を抱えながら、ノアはただ静かに袋を預けた。
渡したのは飲み物のはずなのに――二人はまるで、宝物でも見つけたかのように目を輝かせていた。
そんな穏やかな時間のなか、耳をつんざくような楽隊の音が、徐々に近づいてくる。
そして。
三人は、言葉を失った。
街の中央通路を進んでくるのは、白く巨大なフロートだった。それは金と銀の装飾を施されたエアカーに牽引され、宙を漂うようにして滑らかに進んでいる。その上には――三人の人物が、立っていた。
まず目に入ったのは、左右に立つ一人。
その姿は、まるで劇場の幕が開いた瞬間の主役のようだった。膝上ぎりぎりでふわりと舞うスカート。花のように広がるそのシルエットは、黒――けれどただの黒ではない。深夜の静けさと星のきらめきをそのまま縫い取ったような艶と奥行きを宿し、風に揺れるたび、布の表情が変わる。
背にはリボンのような装飾が添えられ、胸元から腰にかけては曲線を意識した流れるような縫製。派手さを抑えたその佇まいが、むしろ“仕立ての良さ”を際立たせていた。
少女らしさと気品が、極めて高いバランスで共存している。
アヤコはぽつりと呟いた。
「……あれって……クロ、だよね……?」
「うん……いや……おそらく……多分……」
隣でウェンが、普段の調子とは違う声で応じる。ふたりの視線は、今まで“知っていたはず”の少女に吸い寄せられていた。
まるで別人のような美しさに、息を呑む。
光沢のある髪は丁寧にすかれ、整えられたストレートが風に揺れていた。一束ごとに表情を変える艶やかさは、自然でいながら計算し尽くされた“演出”。その髪先が風に溶けていくように揺れるたび――見ているだけで、心の奥をざわつかせる。
ノアは先ほどの執事の言葉を思い出していた。
(“クロ様が、何かしら働きかけていたのでしょう”……って、言ってたけど――確かに、あそこに立ってるなら納得……)
納得。けれど、どこか胸の内がざわつく。
(……けど僕には、ウェンの方が――……いやいやいや、なに考えてるんだ僕っ!)
ノアは慌てて顔を背け、視線をパレードへと戻す。