破壊者と、繊細な問題
バハムートの元へ転移したクロは、迷いなくその本体へと戻る。吸い込まれるように融合すると、本体の双眸がゆっくりと開かれた。
視界がひらける。そして――最後の仕上げに入る。
一方その頃、ミズダコ海賊団の基地は混乱の渦中にあった。
警報が鳴り続ける中、海賊たちが倉庫前に集まり、騒ぎ立てていた。
気づかぬうちに侵入され、山のように積まれていた資材や物資が――棚ごと、跡形もなく消え去っていた。
鍵も壊されておらず、警報が鳴った直後にはシャッターも下りていた。破壊の痕跡はなく、侵入経路として思い当たるのは、唯一、割れたガラス越しに飛んできた隕石。
だが、誰も見ていない。その場に“誰かがいた”という証拠もない。
「どうやって……」
「まさか内部の裏切り……?」
「いや、それなら……」
口々に憶測が飛び交うが、誰ひとりとして“正解”には辿り着けない。
そしてそのとき――
基地全体に、重低音のような異音が響き渡った。
警戒システムが別の侵入を感知し、警告音が新たに鳴り始める。
それは、“破壊者”が近づく合図だった。
バハムートは、静かに――だが確実に進んでいく。
基地へと続くルート上、宙に隠された無数の迎撃兵器やタレットがその巨躯に向けて火を噴いた。連射されるビームや実弾が、体に次々と叩きつけられる。だが、バハムートは一切の反応を見せない。足を止めることも、進路を変えることすらしない。
迎撃兵器やタレットがあった場所を、無造作に殴り壊す。砲座はあっけなく押し潰され、金属片だけを残して沈黙した。
次いで、ミサイルポットのセンサーがバハムートを感知しロックオンする。直後、左右の宇宙空間からミサイルの雨が放たれた。数は数十、いや、それ以上。
だが――
バハムートは無造作に腕を振るった。その一撃だけで、迫るミサイル群はまとめて粉砕され、熱を放ちながら消し飛んでいった。
さらに、機雷が感知範囲に入る。自動反応で爆発が連鎖するが、それすらも無意味だった。爆風はその巨躯に傷ひとつ残さず、ただ空間を無駄に揺らすだけ。
あらゆる防衛兵装が機能していないわけではない。確かに作動している――それでも、バハムートには通じていなかった。
まるで、罠というもの自体が意味を成さない。それどころか、基地への“案内表示”のようにすら見えてしまう。
――格が違う。
ただ、それだけのことだった。
やがて、基地全体の輪郭がはっきりと見えてきた。
前方には、戦艦が二隻。その周囲には、民間用ロボットを無理やり武装化したと思しき機体が、十数機並んでいる。
迎撃態勢は取られていた――だが、すでにその緊張は限界を迎えつつあった。
罠をいくつも超えてなお、進路すら変えず迫ってくる漆黒の巨躯。防衛線をまるで“通過儀礼”のように粉砕してきた存在に、誰もが悟り始めていた。
――勝ち目は、ない。
そして次の瞬間、戦域全体に、幼い少女の声が響いた。
「こんにちは。ミズダコ海賊団の皆さん。私はクロ。ハンターです。……大人しくしていれば、痛みもなく死ねますよ」
穏やかで、感情のこもらない声。だが、それが余計に恐怖を助長した。
『お、お前は……なんだ! 倉庫も……お前か!』
「はい。全て、いただきました」
『返せ! あれは俺たちの物だ!』
その声に、バハムートがふっと腕を組む。そしてわずかに口角を上げ、静かに見下ろした。
ただそれだけで、海賊たちの背筋を冷たいものが走る。
その存在は――悪魔にしか見えなかった。
「……返してもらう、ですか?」
クロの声は静かに、だが確実に届いた。
「あれは、もともと貴方たちのものではないでしょう? “奪った者の物になる”ってことなら、今は私のもの、ですよね?」
その一言に、誰もが絶句した。
返す言葉もなく、反論もできず。怒鳴り声を上げていたはずの者ですら、唇を噤んだまま動けなかった。
通信の向こう、バハムートから、再び声が届く。
「……では、さようなら」
淡々と告げられた別れの言葉と同時に、バハムートの右手がわずかに上がる。掌から放たれたのは、漆黒の玉――ゆっくりと進むフレアだった。
直進するそれを、ミズダコ海賊団の誰もがただ見つめていた。
撃ち落とす者はいない。逃げる者も、叫ぶ者もいなかった。
静寂の中で、玉は届き――
弾けた。
漆黒の閃光と共に、基地も、戦艦も、機体も――沈黙のうちに塵と化していった。
言葉はなかった。悲鳴もなかった。
ただ、終わりだけがそこにあった。
「掃除完了。資材も物資も確保……さて、あとはコンテナに詰めるだけだな」
バハムートは呟くと、別空間から黒と赤――容量最大のコンテナと大量の資材と物資を取り出した。ゆっくりと手を伸ばし、近くの資材に手をかける。
そして――
ボキッ。
「……え?」
掌を開く。
そこにあったのは、原型を留めない粉々の破片だった。かつては確かに、箱型の梱包物だったもの。
「……これは……脆い」
バハムートの額に、珍しく汗がにじむ。その巨躯に似つかわしくない繊細な問題が、今ここに立ちはだかっていた。
このまま素手で掴めば、すべてが先ほどのように粉々になる。だが、コンテナを使わず、直接別空間から取り出して地上に置けばクロは人として存在できなくなる。
「……考えろ。安全に、確実に、コンテナへ入れる方法を……」
バハムートはその巨躯を静止させたまま、しばし沈黙する。周囲に響くのは、ただコンテナの推進装置が放つ低い駆動音だけ。
そして――
一時間後。
「……ああ。分身体でやればよかったのか」
ようやく答えに辿り着いた巨躯は、重たく肩を落とした。
強すぎるがゆえの繊細な問題。それは、ときに敵よりも厄介で――ときに、自分自身が最大の障害になる。