閑話 ノア&ウェン 12 梅がゆと味噌汁と、二日酔いの朝に
「頭が痛い……」
「気持ち悪い……」
朝のリビングに、アヤコとウェンの弱々しい声が重なる。原因は言うまでもなく、昨夜、初めて口にした酒――それも加減を知らず、ただひたすら飲み続けた結果だった。二人はソファーに沈み込み、顔色は紙のように白い。
「二日酔いだな。情けねぇ、ノア。看病してろ。動けるようになったら三人で動け。クロ、お前は今日、俺の店の用心棒だ」
シゲルが短く指示を出す。
「分かりました。お二人は、しっかり反省してください」
クロは昨夜の“強制飲酒”を思い出し、わずかに眉をひそめながら、言葉に鋭さを加えた。
「う〜、もう飲まない……」
「同じく……」
二人はソファーの背から身を起こす力もなく、呻くように返すのが精一杯だった。
ノアは水を汲み、そっと差し出す。
「僕が見てますから、安心してくださいね」
「おう。行くぞ、クロ、クレア」
シゲルは立ち上がり、クロとクレアを伴ってランドセルのタラップを下り、マーケットの店舗へと向かった。
ノアに差し出された水を受け取って口をつけると、またずるずると背を滑らせて沈み込んでいく。
「途中までは……覚えてる。でも……それ以降が、思い出せない……」
アヤコがぽつりと呟く。頭痛と吐き気の波に飲まれ、続ける言葉も出ない。
「これが……ぐっ……二日酔い……。ナノワクチンでも……沈静してくれないなんて……」
「恐らく……病気じゃないから……。これはただの……不摂生……」
ふらふらしながら、まるで研究員のように互いに分析を始める二人に、ノアは思わずため息をつく。
「さすがに初めてで、あの量はすさまじかったですよ……」
苦笑いを浮かべながら、遠い目をして続ける。
「僕が見ただけでも、日本酒に……果実系カクテルに……あと、なんか色がきれいなやつも混ざってたような……」
ウェンはそれを聞いて睨みたかったが、頭が痛すぎて目を細めるだけで精一杯だった。
「いたい~……止めてよ~……」
「止めませんでしたよ。というより、止めようとしたらこちらにも被害が及びそうだったので……シゲルさんと一緒に避難してました」
そうさらりと言って、ノアはカップを片手にキッチンへと向かっていった。そして慣れない手つきながらも、黙々と調理機で構成を始める。
しばらくして、リビングに漂ってくるやさしい香り――だが、ソファに沈んでいる二人の反応は鈍い。
「食べたくない~……」
「……はきそう……」
蚊の鳴くような声で訴えるアヤコとウェンに、ノアは穏やかに、だがきっぱりと言い返す。
「食べないと動けませんし、多少は楽になると思いますよ」
そう言って、丁寧に茶碗とレンゲを運んでくる。
「まずはおかゆです。梅がゆなので、さっぱりしています。苦手でも、少しずつでいいので食べてください」
ふたりの前に茶碗を置き終えると、ノアは再びキッチンへ。次に手にして戻ってきたのは、湯気を立てた汁椀だった。
「こちらはシジミエキスたっぷりのお味噌汁です。具はありません。飲むだけで、肝臓の働きを助けてくれますよ」
その声音には、まるで保健室の常連生徒を世話する学級委員のような、やさしい諦めと淡々とした慈愛がにじんでいた。
「ありがとう……ああっ……やさしい……」
アヤコが小さな声でそう呟きながら、レンゲで梅がゆをそっとすくい上げる。湯気が立ちのぼる。ふう、ふうと息を吹きかける動作もどこか弱々しいが、どこか安心したようでもあった。ひとくち、口に運ぶ。米のやわらかさと梅の酸味が舌の上でほぐれ、熱がじんわりと喉を伝って胃へと落ちていく。それだけのことが、今のアヤコにとっては――限りなく救いだった。
「……しみる……」
目を伏せ、うっすらとした涙を浮かべながら、アヤコはぽつりと呟いた。
「具が……なくて、いい……むしろ……ありがたい……」
そんな彼女の隣で、ウェンもまた、手にした汁椀を両手でそっと包み込んでいた。目を閉じ、香りを吸い込むように深く息をし、ひとくち、みそ汁を口に運ぶ。塩気は控えめ。シジミの出汁がやわらかく広がり、胃の奥へとじんわりと沁み渡っていく。飲み込んだ瞬間、からだの内側から静かに“いたわられる”ような感覚に包まれた。
「……ああ……これ、やさしい……」
ウェンは唇の端にわずかな笑みを浮かべ、もう一口、ゆっくりと口に運ぶ。騒がしく酔い、無邪気に笑い、そして撃沈したあの夜の代償は大きかった。けれど今、この味だけは――優しく、すべてを許してくれているようだった。
二人とも、言葉少なに黙々と、ゆっくりと、静かに食べ続けた。ただそれだけの朝の時間が、何よりも贅沢だった。