閑話 ノア&ウェン 11 酒宴の暴走と、制御不能な酔い
そうして挨拶回りを続けるうちに、店の中にひとつの変化が芽生えていた。商人、技術者、整備士――さまざまな人々と言葉を交わし、情報や経験をやり取りしていくうちに、二人の顔つきが次第に変わっていく。最初は緊張気味だった眉が緩み、瞳の奥に光が戻る。言葉の端々にも、ほんの少しの自信が滲んでいた。それに気づいたのは、テーブルの向かい側に座っていた商人の女性だった。
「ねぇ、シゲルちゃん」
くいっとグラスを揺らしながら、彼女が問いかける。
「あ?」
顔を向けたシゲルは、ビールを片手に返事をする。
「もしかして酔っぱらってない?」
その言葉に、シゲルは鼻で笑いながらジョッキを傾けた。
「何言ってんだ。このくらいで酔うわけねぇだろ」
豪快に飲み干す。だが、女商人は小さく首を振り、ちらと視線を逸らす。
「違う違う。あんたじゃないよ」
そう言って、彼女が指さしたのは――アヤコとウェンだった。
「ああっ? って――はぁ?」
そう言われて視線を向けたシゲルは、思わず眉をしかめた。明らかに様子がおかしい。アヤコとウェン、どちらも頬がほんのりと赤く染まり、目元はとろんとゆるんでいる。しかも手にしていたはずのコップが、いつの間にか背の高いグラスに変わっていた。中身は、完全に酒だ。
「……いつの間に!? おい、何飲んでやがる!」
驚きと焦りの混じった声を上げると、アヤコがグラスをゆらゆらさせながら笑った。
「えへへ……なんか、いろいろ飲ませてもらっちゃった……」
「うん、ほら……これすごいフルーティーで、アルコールって感じ全然しなかった……のに……ぐへへ」
ウェンまで、けらけらと笑いながら、頬を押さえてふらつく。まったく自覚がないらしい。テーブルの男たちからは、あちこちでくすくすと笑いが漏れはじめていた。
「ちょっと、おまえら何飲ませてやがる!」
シゲルがぐるりと睨みを利かせると、常連のひとりが悪びれもせずグラスを掲げた。
「だって美味いって言うからさ、つい……。こっちはレモン風味の白酒、そっちはライチ入りのやつな」
「おまえらなぁ……っ!」
頭を抱えるシゲルの隣で、アヤコとウェンはすっかり顔がゆるみきっていた。二人はテーブルに肘をつき、グラスを揺らしながらけらけらと笑い合っていた。もはや、完全に出来上がっている。
シゲルは「もう一杯!」のコールをなんとか制し、アヤコとウェンの襟元を掴んでずるずると引きずり、クロとノアのいるテーブルへ戻ってくる。戻ると、すでにクロとクレアは起きており、静かに食事を始めていた。
「戻ってたか」
「はい。少し前に……それより、その二人は?」
クロが目線でアヤコとウェンを示すと、シゲルは渋い顔で肩をすくめる。
「バカどもに酒飲まされた。もう仕方ねぇから戻ってきた」
そう言って二人を椅子に座らせ、自分も席に着く。再びテーブルに残っていた食事に手を伸ばしながら、ぼそりとこぼす。
「……やられた。気づいたときには、もうすでに飲んでやがった」
「はぁ、それは災難ですね」
ノアが苦笑まじりに返すと、すかさずツッコミを入れる。
「クロさん。……絶対に他人事ですよね?」
その指摘に、クロは素知らぬ顔で箸を取り直し、食事を再開しようとする――が。
「く~ろ~、これみて~」
アヤコがふらふらとグラスを差し出しながら顔を寄せてくる。クロが反射的にそちらを向いた瞬間、ぐいっと何かを口に押し込まれた。
「んぐっ……なにをっ……!」
途端、視界がぐらりと揺れる。喉の奥に焼けつくような感覚。
「くれあ~、このみずなめてみて~。あまくて、おいしいよ~?」
今度はウェンが、小さな盃に自分のグラスの中身を注ぎ、それをクレアに差し出す。くんくんと匂いを嗅いだクレアは、甘い果実の香りにひかれて、ほんのひとなめ。
「……くぅん……」
そのまま、ぱたりと倒れた。
「ありゃ~、クレアまたねちゃった~」
「だいじょうぶ、くろがのむからね~」
そう言いながら、アヤコとウェンが左右からクロに迫る。
「いや、もういいです。水、ください。普通のやつ」
「は~い、みずいっちょ~!」
そう叫ぶや否や、手際よくグラスに日本酒を注ぐウェン。
「これ、水じゃないですって……」
「み~ず~……の・ん・で……?」
アヤコが頬を赤らめながら、潤んだ目でじっと見上げてくる。
「く~ろ~! アヤコにこんなこと言わせて、のまんばいなんて、だめっ!」
クロは助けを求めてシゲルとノアへ視線を向けたが――二人はすでに少し離れたテーブルで、のんびり食事中だった。
「……裏切りましたね」
「裏切ってねぇ。お前が指名されてるだけだ」
「頑張ってください。心から応援してます」
シゲルとノアは、完全に他人事モード。何か言い返そうとしたクロだったが――アヤコとウェンが、ぴたりと両脇に張りつく。
「ほ~ら、くろ……のんで。わたしも、のむから……グイッと!」
アヤコがグラスを仰ぎ、か~っと勢いよく叫ぶ。
「こらっ、くろも、のまないとだめっ!」
ウェンはそう言いながら、クロの手に酒を持たせようと必死だ。
「わかった! わかりましたから! 飲みますから、落ち着いてくださいっ!」
「はやく~! つぎが、まってるんだよ~!」
クロの夜は、二人によって酔い潰されるまで続けられた。