閑話 ノア&ウェン 1 手のひらと気持ちの距離
ノアは改めて、艦を見上げた。
輸送艦にしては随分と大型で、しかし丸みを帯びた後部のシルエットが妙に印象的だった。艶消しブラックに真紅のラインが走り、艦首にはレッド君のロゴまで刻まれている。
「……クロさんが背負ったら、まさに小学生――いや、サイズはだいぶ違うけど」
ひとりごちるように口にした瞬間、その情景が脳裏に浮かんでしまい、思わず吹き出してしまう。
その笑い声に重なるように、後ろからも小さく含み笑いが漏れた。驚いて振り返ると、そこには見知らぬ女性が立っていた。
金髪のポニーテールを揺らし、黒のタンクトップにシャンプスーツを腰に巻いている。浅く帽子を被り、快活な印象を漂わせているその女性は――ウェンだった。
ノアは慌てて視線を逸らす。無意識に、クロのタンクトップ姿を思い出してしまい、目のやり場に困ったのだ。
「君、面白いね。それと……さっき、どこ見てたのかな?」
ウェンは口角を上げながらからかうように言う。その言葉に、ノアは赤面しながらもなんとか言葉を絞り出した。
「い、いや、その……ちょっと、可愛かったもので」
正直にそう言ってしまった自分にさらに顔が熱くなる。
「僕はノア・シンフォスです。……えっと、よろしく」
“可愛い”という言葉に、ウェンは少し驚いたように目を瞬かせたあと、すぐににやりと笑った。
「もう、何言ってんの。可愛いのは当たり前でしょ。私はウェン・ボム。よろしく、ノア」
「はい。ウェンさん」
そう返すと、ふたりは自然と握手を交わす。ウェンはノアの手を握りながら、こっそりとその感触を確かめていた。彼女の頭の中には、クロの手の記憶がよぎっていた。(同じような感じだけど、やっぱりクロのほうが数段上……インパクトが違いすぎる)
そう思いながらも、黙ってノアの手を見つめていた。
ノアは、なかなか離されない手に戸惑いながら、またもや顔を赤くする。
「……その、柔らかいんですね」
自分でも何を言っているのかわからないまま口にしてしまったその一言に、ウェンは思わず吹き出した。
「もう、面白すぎ。ノア、気に入ったかも」
そう言いつつも、ウェンの頬はほんのりと赤くなっていた。慌てたようにノアの手をぱっと放すと、その動きに合わせるように別の声が割り込んでくる。
「おやおや、何か面白そうな空気が漂ってるわね」
穏やかに笑いながら、アヤコがふたりに歩み寄ってきた。
ウェンは手を左右に振りながら、笑って否定する。
「ち、違うってば。挨拶してただけだよ。ノアの手がさ、クロと同じような感触だったから、ちょっと確認しただけ。……ま、クロの方が数段上だったけどね」
さらっと言いながらも、どこか照れくさそうな調子だった。ノアは放された自分の手を見つめ、少しだけ眉を寄せる。
「そりゃ……クロさんに比べたら、数段落ちるよな」
呟くように言い、その手をぎゅっと握る。
「でも――いつか、少しでも近づけたら……」
ぽつりとこぼれたその独り言に、ウェンもアヤコも自然と目を向けた。視線に気づいたノアは、はっとして顔を赤く染める。
「あ、えっと……それじゃ、俺、先に行ってます!」
そそくさと身を翻し、まるで逃げるようにランドセルのタラップへ駆けていった。
その背中を目で追いながら、アヤコがくすっと笑う。
「うーん、青いね」
すると、ウェンはややむくれ気味に肩をすくめた。
「ないない。ノアはなんか弟って感じ。そういうのじゃないってば」
そう言いつつ、真っ赤になった自分の頬には気づいていない。
アヤコはそんなウェンを横目で見ながら、小さく頷く。
「……気づいてないんだなぁ、その顔の色」
くすくすと笑いながら呟くアヤコを、少し離れた場所からシゲルが眺めていた。腕を組み、目を細めながら、遠い誰かの面影を重ねる。
「あいつ、ばあさんにそっくりになってきやがったな……」
そうぼやいた口元に、わずかな苦笑いが浮かぶ。だがその目は、既に別の意図をはらんでいた。
ランドセルに乗り込んでいく若者たちの姿を見送るその表情には――うっすらと邪悪な笑み。
「まぁ、俺も楽しみだけどな……がっつり組ませてやるさ」
そう呟くと同時に、シゲルは密かに“あの二人をなるべく組ませる算段”を本気で考えはじめていた。