閑話 ノア・シンフォス 11 アドベンチャーの“猛獣”と“鬼”たち
ノアの胸の奥に、じわじわと不安が広がっていく。この人たち――今は静かにしているけれど、その切り替わりの速さと賑やかさが、逆に怖い。まるで、いつスイッチが入るか分からない爆弾の真ん中に座らされたような気分だった。
そんな空気の中、ギールが一歩前に出て、皆へと向き直る。
「じゃあ改めて、ノアを紹介するよ――俺の知り合いで、これからチームに参加してもらおうと思ってる」
その間にも、奥のキッチンスペースから、いかにも「奥さん風」の女性がティートレーを抱えて戻ってきた。上品な香りを漂わせる紅茶と、見た目にも高級そうなケーキの皿が、ノアの前のテーブルにそっと置かれる。
そして、女性はマイの横にふわりと腰を下ろした。皆が揃ってソファーに腰をかけたところで、ギールは順に紹介を始める。
「まず、このガタイのいい男がマイの父親で、テリー・マグナム」
紹介に応じ、テリーは組んでいた手を解き、両膝に置くと、深々と頭を下げた。
「今紹介された、テリーだ……その、シゲルさんはお元気だろうか」
唐突な問いに、ノアは少し面食らいながらもうなずく。
「えっ、ええ。元気でしたよ? その、どうして急に」
ノアの疑問に、テリーは思わず手を振りながら言い訳のように笑う。
「いや、その、元気なら良かったんだ。ああ……元気、なんだな……」
そこまで言ってから、ぽつりと一言――
「……こえぇ……」
テリーの呟きに、ノアは言葉を失った。だが、静まりかけた空気に耐え切れず、そっと声を絞り出す。
「あの……優しい人でしたけど……」
そのひと言に、テリーがガバリと顔を上げた。
「優しい――!? そんなわけあるかッ!!」
ほとばしる叫びは、思わずノアの背筋を凍らせる。
「あの鬼が優しいだと!? あれほど恐ろしい存在はおらん! 思い出すだけで胃が痛むわ!」
手を振り、頭を押さえ、ソファーのクッションに体をあずけながら、テリーは次々と叫ぶ。
「かつて、このコロニーで『最強』と呼ばれた男だぞ!? 何回負けたと思ってるんだ、俺が! 一回や二回じゃない! しかもだ、強いだけじゃない、頭もキレるんだぞ!? 反則だろ、あの鬼は!!」
まるで過去のトラウマが蘇ったかのように、テリーは天井を仰ぎ――最後には、力なく項垂れた。
「……わ、忘れてくれ……頼む。記憶から消してくれ……」
その姿はまるで、戦場を彷徨い帰還した敗残兵のようだった。
ノアは呆然とその様子を見つめていたが、ギールは平然と次の紹介へと移る。
「テリーの奥さん――マリー・マグナム」
紹介された女性、マリーは背筋を伸ばして丁寧にお辞儀をする。その仕草は、先ほどまでの賑やかさが幻だったかのように落ち着いていた。
「マリーです……シゲルさんがお元気で、本当に良かったです」
「こちらこそ、よろしくお願いします。ええ、今日もグレゴさんとは喧嘩してましたが、元気でしたよ」
ノアが笑顔を添えて応じると、マリーの動きがぴたりと止まった。目が見開かれ、顔に緊張の色が走る。
「……あの猛獣と、平然と喧嘩を」
言葉を絞り出すように、マリーが小さく震える。
「えっ……はい。まあ、口論みたいなものでしたけど……」
ノアが思わず身構えると、マリーは遠い目をして、ひとつ深く息を吐いた。
「……いやだわ、思い出してしまう……昔の、悪い記憶を……」
「えっ……」
ノアが身を乗り出すと、マリーはためらいがちに、しかしどこか吹っ切れたような声で語り出す。
「――あの頃、ちょっとばかり暴走していたのよ。コロニーの路地裏をバイクで駆け抜けて、夜な夜なエンジン音を響かせて……」
「そ、それはまた大胆な」
「でも、『鬼』と『猛獣』に、それはもう徹底的に叩き直されましたの……うるさいという理由だけで、容赦なく、ええ――徹底的に、叩き直されましたの……」
マリーの頬に、するりと涙が一筋落ちる。
「ジンさんにも、シゲルさんの奥様にも……もう本当に、ごめんなさい」
そう言って、静かに、しかし確かにマリーは泣き始めた。
場の空気が一瞬だけ静まり返り、その涙に、ノアは何も言えなくなった。けれど、心の奥でふと浮かぶ。
(……“鬼”と“猛獣”って、なんなんですかこの世界……)