閑話 ノア・シンフォス 10 赤鬼の影と、仲間の門出
「皆さん、初めまして。僕は――ノア・シンフォスと言います。ギールさんの紹介で来ました。よろしくお願いします!」
そう元気よく言って頭を下げた、その瞬間だった。
「うっせぇ! 泣かすぞ!」
マイの怒鳴り声が、雷のように空間を裂く。
「そうだな、うるせぇ」
「マイ、あなた……駄目よ。でも、たしかにちょっと大きい声だったわね」
「元気があってええなぁ~。飴ちゃんあげよか?」
「うむ。良い声じゃな。はきはきしておって、気持ちがよい」
怒声、援護、フォロー、そして飴ちゃん――怒涛の五連撃が、ノアを真横から襲ってきた。
マイの両親らしきふたりからの小言混じりの反応と、関西弁のおばちゃんこと“ハン”が懐から差し出してきた飴玉、さらに端のソファーで穏やかに頷くシゲ爺の笑み。
あまりの一体感に、ノアは思わずギールを見る。
ギールは肩をすくめ、申し訳なさそうにため息をついた。そして、ノアの肩に手を置いて静かに一言。
「……ごめん」
その声に、ノアは一度は首を振ろうとして――しかし、やっぱり言わずにはいられなかった。
「いえ……。いや、やっぱりおかしいですよ! なんで初対面で怒鳴られなきゃいけないんですか!?」
ほとばしる困惑とツッコミが、空気に投げ込まれた。
だが――返ってくる反応も、やっぱり期待を裏切らなかった。
ギールが一歩前へと進み、ノアの肩に軽く手を置く。
「みんな。この子は――アタッカーとして、チームに入れようと思ってる」
その宣言に、ソファーの上が一瞬でざわつく。
「ギール! てめぇ勝手に決めてんじゃ――」
「ちなみに!」
ギールが語気を強めて言葉をかぶせる。
「シゲルさんの関係者だよ!」
その一言が落ちた瞬間、空気が一変した。
先ほどまで怒鳴っていたマイは、ヤンキー座りからそそくさと普通の姿勢に戻り、すっとソファーに腰を沈める。
隣の筋肉ゴリラも、腕を組みながらやや背筋を伸ばし夫婦は目を見交わして黙り込む。
ハンは出しかけた飴をそっとポケットに戻すと、小さく震えて後ずさる。
そしてシゲ爺だけが、穏やかにノアを見つめたまま、なるほど……と小さく頷いていた。
(え、なに……今、場の空気が一瞬で切り替わった……?)
戸惑うノアの前で、場の中心にいたマイがすっと姿勢を正し、真っ直ぐにこちらを見据える。
「おい」
その声は静かで――逆に、緊張感が走った。
「本当に……“赤鬼”の関係者なん、ですか?」
まるで別人のような口調に、ノアは思わず身を引く。
「な、何急に!? 逆にこっちが怖いんですけど!?」
ツッコミが、もはや悲鳴に近かった。
静まり返った部屋に、ノアの声だけが妙に反響する。
その空気をやわらげようとするように、ギールが肩越しに笑みを浮かべた。
「……改めて言うよ。この子は“シゲルさん”の関係者。それも、かなり近い位置にいる」
そのひと言が落ちた瞬間、先ほどまでの騒々しさが嘘のように、空気がピキリと張り詰める。
マイはソファーの上でこそこそと父親に顔を寄せた。
「……親父、やばいって。赤鬼の……しかも“かなり近い”って言ったよ」
「うむ……これは洒落にならん。母さん、一番いいお茶とケーキ、出そう。今すぐにな」
「ええ、もちろん。紅茶は三年熟成の銀葉ね。ケーキは冷凍じゃなくて、あの予約のやつ出すわ」
(……なんか急に“高級接待モード”に入ったんですけど!?)
ノアの内心が悲鳴を上げる間にも、ハンは慌てたように額の汗をぬぐいながら呟く。
「や、ヤバい……またオーガに絞られてしまう……うち、終わったかもしれへん……」
「ハン。まさかとは思うが……お前、またシゲ坊に何かやらかしたんじゃあるまいな?」
シゲ爺が落ち着き払った声で尋ねると、ハンはぴたりと動きを止め、視線を宙にさまよわせる。
その様子を見て、ノアの中にじわりと広がる不安。
(……いや、だから“シゲルさん”って、いったいどれだけ恐れられてるんですか……)
言葉にならない疑問が頭を駆け巡る中、隣にいたギールが、ひそっとノアの耳元で囁いた。
「ここにいるメンバー――シゲ爺さんを除いて、全員が“シゲルさん”にけっこうな借りがあるんだよ」
「……借り?」
ノアが思わず小声で聞き返すと、ギールはいたずらを仕掛ける子どものように、にやりと笑った。
「うん。たぶんね、自分たちから勝手に墓穴を掘りはじめるから。見てて面白いよ」
その言葉を残して、ギールはひょいと腰を下ろす。ノアも、その隣におそるおそる座った。
まるで、舞台の幕が上がる前に最前列へと案内された観客のような心地。
そんなノアに向かって、ギールが肩を軽く叩きながら笑顔を向けた。
「さて、ノア。紹介しよう。――これが、俺のチーム。“アドベンチャー”さ」
(……ほんとに僕、ここに入るの? さっきから情報量も、テンションも、濃すぎる……)
ノアの胸の奥に、じわじわと不安が広がっていく。
この人たち――今は静かにしているけれど、その切り替わりの速さと賑やかさが、逆に怖い。
まるで、いつスイッチが入るか分からない爆弾の真ん中に座らされたような気分だった。