閑話 ノア・シンフォス 9 賑やかな嵐の中へ
ギールは、攻撃の嵐を受けながらも入り口でじっと立ち尽くしていた。
「新人連れて来てるんだから、いつものノリやめてよ」
そのひと言に、すかさず鋭い叫びが返った。
「うっせぇ! どこにいんだよ、いねぇじゃねぇか!」
反射のように口を開いたマイに対し、ギールは真っ当な反論を放つ。
「いやいや、いきなり罵詈雑言を浴びせてくるようなとこ、普通は怖くて入れないでしょ」
その言葉に、マイが一瞬むっと口を閉じたのを見逃さず、ギールはノアを手招きして中へと導く。
足を踏み入れた先――部屋の中央には、コの字型の大型ソファー。そこに集まる五人の視線が、一斉にノアへと向けられた。
その中でも、ひときわ目を引いたのはソファーの正面中央。座らず、低く腰を落とした“ヤンキー座り”でこちらを睨みつける少女――声の主、そして“マイ”の名を持つ者だ。
その姿はまるで、縄張りに侵入してきた異物を警戒する獣のような目つきだった。
乱雑に結ばれた金髪ツインテール。髪はややぼさつき、幼さの残る輪郭には不釣り合いなほど鋭い眼光。唇はつり上がり、今にも毒を吐き出しそうな気配を漂わせている。
袖を無造作にちぎったような白いジャケットに、黒のタンクトップ。ハーフパンツのジーンズに無骨な編み上げブーツ――その姿はまさに“荒くれ者”。
(……絶対怒ってる……なんで怒ってるんだろう)
「何見てんだぁ! 誰だてめぇ!」
間髪入れず、隣にいた大柄な男が声を重ねる。
「おう、誰だお前」
そちらに視線を移したノアは、思わず小さく息を呑んだ。
坊主頭に隆起した筋肉、まるで熊を模したかのような風貌の男。顔の作りも口元も、マイと酷似していた。
黒いタンクトップに迷彩柄のパンツ、無骨な黒のブーツ――まるで漫画に出てくる“喧嘩上等”な兄貴分そのものだ。
空気を変えたのは、柔らかな声だった。
「マイちゃん、あなた。お口が悪いわよ……で、だあれ?」
その声の主は、いかにも“お母さん”といった雰囲気の女性。
青のセーターに、黄色のロングスカート。上からエプロンまでつけている。その姿は、この騒がしい空間に明らかに異質だった。
けれど、目元はマイとそっくりだった。丸みを帯びた目の形、睨みつけた時にやや釣り上がる表情。血のつながりを、ノアはそこに感じ取る。
(ああ……親子なんだ。口の悪さも、きっと遺伝だ)
妙な納得と、少しだけ湧いた安心感に、ノアは思わず小さく頬を緩めた。
ノアが自己紹介をしようと、そっと口を開きかけた、その瞬間だった。
目の前の関西弁の女性が、まるでガトリング砲のように一方的にしゃべり倒してきた。
「なんやぼっちゃん、えらいやせてんなぁ~。飴ちゃん食べるか? いやそれより、ちゃんと食べとる? 食べなあかんで? おっきくなれへんし、元気にもならへんよぉ?」
ノアは言葉を挟む間もなく、ただ呆然と相手の言葉を受け止め続ける。
「それとも、金ないん? 貸そか? 貸さへんけどなぁ~!」
(え、貸してくれないの!?)
「何や呆けて、どないしたん? あ、もしかして――うちに惚れたん?」
ドンと胸を張ってきたその勢いに、ノアはわずかにのけぞる。
「アカンでぇ~。うちには恋人がおんねん。お金っていう最高の恋人がな~。どや? 羨ましいか? 羨ましいやろ!」
(ちょっと待って……話、全然ついていけない……)
「まいったな~、うち失恋させてもうたわ!」
本人は満足げに笑っているが、ノアの方は完全に防御不能だった。
(な、何この人……会話、って……どこ行った? ……ギールさん、この人たち、本当に仲間なんですよね……?)
目の前の女性は、黒髪の一部を紫に染め、まっすぐに伸ばしたストレートヘア。顔立ちはシャープなのに、肝心の目は糸のように細く、開いているのかどうかすら判然としない。
そして何より――その格好。
真正面から睨んでくる豹の顔が、Tシャツの胸元にドンと描かれている。地味に怖い。その上に羽織ったのは豹柄のジャケット。下はジーパンという出で立ち。
(大阪のおばちゃん……じゃないけど……いや、まさに、それだ)
ノアが呆然としていると、隣からやわらかな声が飛んだ。
「ハン、ちょっとストップじゃよ」
抑えるような、けれど決して責め立てる調子ではないその声に、豹柄の女性は「おっと」と言いたげに肩をすくめた。
「見てみい、固まっとる。……いつも言っとるじゃろ、喋り過ぎじゃて。少しは、おしとやかに生きなさい」
そう穏やかにたしなめたのは、年配の男性だった。
長い白髪を後ろで束ね、ゆったりした羽織に、年季の入ったステッキを片手にしている。表情も声も柔らかく、どこか“落ち着いたお爺ちゃん”の理想像そのものだった。
「すまんな、シゲ爺」
ハンは素直に頭を下げる。先ほどのテンションが嘘のように、今はおとなしい。
「大丈夫じゃ。ほれ、気にするな。……で、お前さんが、ギールの言ってた“期待の新人”じゃな?」
そう言って向けられた笑みには、年の分だけの深みと信頼がにじんでいた。
ノアは、ようやく自分の脳が追いついた気がして、小さく頷いた。