閑話 ノア・シンフォス 7 選択の代償と、差し出された手
本日より、閑話も1日4話更新でお届けいたします。
ご感想をお寄せいただき、誠にありがとうございます。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
「登録しておきました」
クロの声とともに、端末から控えめな電子音が鳴る。ノアは思わず顔を上げた。
「ところで、機体はどこに保管します?」
ギールが端末を起動し、ホログラフに料金表を浮かび上がらせる。そこには、ギルド専用整備ドックの使用料が細かく表示されていた。
(……僕、抜きで話が進んでる……)
ノアは戸惑いながらも、何とかついていこうと耳を傾ける。
「10mから30m級なら……一ヵ月で二万C。後払いも可能だよ」
その一言に、ノアの肩がわずかに揺れる。
(今そんな額ない……でも後払いなら……いや、こういうのは先に払うのが普通じゃ……?)
「もちろん、自分専用のドックを購入することもできる。だが――今のところ空きはない」
グレゴが腕を組んで付け加える。
「コロニー直結の場所じゃなく、小惑星に設置されてるドックなら若干の空きはある。だが……現実的とは言えんだろうな」
眉間にしわを寄せながらそう言われ、ノアの中で焦りが募っていく。
(お金がないのに……どんどん話が進んでいく……)
さっきあれだけ啖呵を切った手前、「実はお金がありません」とは、もう言い出しづらい。
「それに、ギルドのドックなら許可済みのドローンバスが常時運行してる。移動費も使用料に含まれてるから、その点も心配いらん」
グレゴの説明は実直だったが、ノアは気まずそうに視線を落とす。
(恥ずかしいが……もう、ええい!)
「それがですね……」
覚悟を決めたノアは、言葉を飲み込みながら端末を取り出す。ためらいがちに、残高画面をホログラムで投影した。
(食べ歩きなんてするんじゃなかった……お金、ちゃんと貯めておけば……)
画面に淡く光る数字――表示された残高は、わずか五千C。
場が沈黙に包まれた。そして、ギールとグレゴがほぼ同時に、長いため息をつく。
「……よくそんなんで、機体のID代、自分で出すって言えたな」
グレゴの声には、呆れと驚きが入り混じっていた。けれどその口調には、どこか憎めない温かさがあった。
(全くです。すいません……カッコつけました)
ノアは心の中でそっと謝りながら、気まずそうに端末を閉じる。指先が妙に重く、画面を払うように閉じた動作すら頼りなかった。
そんなノアに向けて、ギールが苦笑いを浮かべつつ、ふわりとフォローを差し出す。
「ま、大丈夫。使用料は後払いできるから。すぐにどうこうって話じゃないし」
優しい言葉だった。でも――
ノアの表情は晴れなかった。胸に残るのは、どうしようもない情けなさと恥ずかしさ。心の奥に、じわじわと自己嫌悪が滲んでいく。
そんな沈黙の中、ギールがふと視線を逸らすように空を見上げ、それからノアのほうへと向き直る。言葉を選ぶようにして、静かに、けれどまっすぐに言った。
「……もしよかったら、うちのチームで動いてみない?」
ノアははっとして顔を上げる。ギールの声に、冗談めいた響きはなかった。ただ、温かな誠意がこもっていた。
「俺が所属してるところなんだけど、ちょうどアタッカーが一人抜けててさ。補強したくて。……良かったら、一度みんなに会ってみない?」
押しつけがましさも、見返りを求めるような響きもない。ただ、選択肢を差し出してくれる――そんな静かな優しさがそこにはあった。
ノアは一瞬、言葉の意味が飲み込めず戸惑う。その空気を察して、グレゴが腕を組み直し、低く、しかしはっきりと続ける。
「こいつのチームなら、戦艦もあるし専用ドックも完備されてる。環境としては申し分ない。何より――」
そこで一拍置き、顎でギールを示す。
「リーダーはこいつだ。安心していい」
ギールは少し照れたように肩をすくめたが、それでもどこか誇らしげな笑みを浮かべていた。
「……保証するよ。俺の名にかけて――それと、このコロニーのギルドマスターとしてもな」
その一言が、静かにノアの胸へと届く。重く、そして優しい響きが、何かを揺らした。
(僕なんかが入っても……いいのかな。だって、僕は……。でも、ギールさんが言ってくれた。“俺の名にかけて”。ギルドマスターとしてもって――僕なんかに、こんなふうに手を伸ばしてくれる人たちがいる……)
ノアはそっと視線を落とし、手元の端末を見つめた。そして、胸の前で小さく拳を握る。その掌の奥に生まれた、名もなき決意を込めて――
(……言っていいのかな。でも……もう、迷わない)
「……お願いします。会わせてください」
声は小さかったが、ノアの決意は確かだった。
ギールはゆっくりと頷く。
「わかった。じゃあ、今から一緒に行こう。俺の拠点まで」
その言葉は穏やかで、そして優しくノアの背中を押してくれるようだった。
(――頑張ろう。この世界で)
この瞬間。ノアは、自分が“この世界で生きていく”ことを、はじめてはっきりと選び取ったのかもしれなかった。