閑話 ノア・シンフォス 6 罪と再生の名を継ぐ者
(もしかして、あいつも……縛られていたんだろうか。神に)
それは同情ではなかった。ただ、自分と同じ“業”を背負った者に対する、静かな共鳴だった。
「……まあ、確かにその通りだな。変態は置いておくとしても、賞金首だった機体をそのまま使うのは、いささか印象が悪い」
グレゴが顎に手を当てながら、納得したように言葉を継ぐ。
「ついでに機体のIDも変えておいた方がいいだろう。履歴が残れば、今後の活動にも支障が出かねん」
その提案を受け、クロはすっと背筋を伸ばし、真剣な面持ちで言い切った。
「その費用は、私が出します。今回の一件、私にも責任がありますから――お詫びとして、当然のことです」
きっぱりとしたその一言に、ノアは慌てて身を乗り出す。
(そこまでは甘えられない!)
「いやいやいや、それはダメです! クロさんにそんな……自分で出しますっ!」
言い切った直後、隣から冷静な声が飛ぶ。
「ノア。君、今手元に――500万、持ってるかい?」
ギールの言葉に、ノアは凍りついた。
「……っ!」
持ってない。
活動を始めてからまだ日が浅く、報酬はあらかた――食べ歩きに消えていた。記憶が戻るかもしれないという微かな望みに縋って。だが、効果があったのは結局、最初のラーメンだけだった。
集まる視線から目をそらし、ノアは悔しそうに答える。
「……持ってない、です……」
その瞬間、まわりの視線がじんわりと生温かくなる。張り詰めていた空気が、不思議と緩んでいった。
(……やっぱり、言わなきゃよかった……)
口にした瞬間にはもう遅い。胸の奥に、じわりと染みるような恥ずかしさが広がっていく。情けなさと、どうしようもない無力感が入り混じって、ノアは俯きかけた視線を上げられずにいた。
「じゃあ、ここは先輩に甘えてください」
クロが軽く微笑みながらそう告げると、グレゴが苦笑を漏らし、肩をすくめる。
「……お前が“先輩”って事実が、一番恐ろしいな」
「私は逆に、お父さんやグレゴさんの“若さ”が恐ろしいんですが。……今、おいくつなんです?」
ノアは一瞬、クロの質問の意図が読めなかった。どう考えても、見た目からすれば――若く見積もっても、三十代後半。
「71だ。別に、そこまで驚く年でもねぇだろ。今の世の中じゃ、七百歳や千歳なんて当たり前なんだからよ」
「えっ、そうなんですか?」
「初耳です……」
(いやいやいや、おかしいって! 71って……いや、逆にこの世界だからこそなのか。前の世界の常識はホントに当てはまらない)
「私のいた星では、長寿なんてエルフや魔族くらいでしたよ?」
「僕も、そんな話まったく聞いたことありません」
クロとノアが顔を見合わせるように同時に答えると、グレゴは肩をがくりと落とし、大きなため息をついた。
「ったくよ……クロはともかく、ノア。お前は知っとけ。……てことはだ、お前、まさか“注射”打ってねぇんじゃねぇか?」
「……注射?」
ノアが首をかしげる。
(注射って……なに? インフルエンザの予防接種的なやつかな?)
そんなことを思っていると、グレゴとギールが視線を交わし、無言のまま頷き合った。
「これは、一度病院で検査してもらった方がいいかな」
「同感だ。……ま、今はそれは置いとこう」
(え、病院……行くの? いやだな~)
気が重くなるノアをよそに、グレゴは話題を戻すようにクロへと向き直る。
「それより、機体の名前だ。お前、決めてあるのか?」
だがクロは、静かに首を横に振った。そして――まっすぐ、ノアのほうを見つめる。
「私ではなく、ノアが決めるべきです」
真剣な声音に、場の空気がふっと引き締まる。視線を正面から受けたノアは、息を詰めたまま次の言葉を待った。
「これは、あなた自身の“次の一歩”になりますから」
クロの言葉が落ちた瞬間、室内の空気がふと静まり返った。まるで儀式の前触れのように、誰もが次の言葉を待っている――そんな空気だった。
ノアは考える。
自分がこれから進むために、新たに名を与える理由。その“意味”を。
自分の名――ノア。
旧世界では『ノアの方舟』に由来し、「神の救済」「希望」「再生」を象徴していた。バハムートという神に救われ、また歩き出すことを許されたこの身には、まさにふさわしい名だったのかもしれない。
そして、機体に与えるべき名は――『シンフォス』。
それは中二病っぽい響きかもしれない。でも、確かに意味はある。
“シン”は、英語の“sin(罪)”。
“フォス”は、ラテン語の“fossa(刻まれたもの)”。
ウイング・セイバーとして犯してきた罪。それを胸に刻み、忘れずに生きるための名。
(ノアと……シンフォス。この二つが並ぶことで、きっとこう言える……)
(――罪の痕を胸に、再び歩み出す者。僕だけじゃない。あの機体もきっと、過去を抱えたまま、生まれ変わった仲間なんだ)
だから――
「アルカノヴァ、でもいいですか?」
控えめにそう提案すると、空気にわずかな緊張が生まれる。グレゴやギールが反応を止め、クロが目を細める。その中で、一番に声をあげたのはギールだった。
「……どんな意味だ?」
純粋な好奇心に満ちた目でノアを見つめてくる。その瞳に押されるように、ノアは照れたように説明を口にした。
「えっと、アルカが“箱舟”って意味で、ノヴァは“新星”。……つまり、“新しい旅立ち”みたいな感じです」
言いながら、ふっと目を伏せる。けれど、その想いだけは誤魔化せなかった。
(――そう。新しい旅立ち。僕の、そして……“あいつ”の)